【遺跡探訪51】 2021年に修復されたばかりの、トンレスゴート(Tonle Sngout 12世紀)
先日、イオン博物館(プレア・ノロドム・シハヌーク・アンコール博物館)に行ってきました。
ここは、上智大学によってバンテアイクデイで発見された仏像が展示されている博物館で、バンテアイクデイ以外の寺院で発掘されたものも見ようと思って改めて行ってみたのです。すると、博物館入り口にかなり大きい(2m以上?)のトンレ・スゴートのドゥヴァラパーラ像がありました。この博物館は3回目ですが、あれ?昔からあったかな?と気になりました。
(関係ないですが、観光省の公式ページをリンクさせようとしたら、この博物館のページに省庁の建物と国立アンコール博物館の写真が間違えて使われていました。観光省の方、誰も気がつかないのでしょうか、悲しい…)
ガイドブックにない遺跡
トンレ・スゴートは手元の2冊の英語・日本語の遺跡ガイドブックと地球の歩き方、どれにも載っておらず、Wikipediaページもありませんでした。
Googleマップを見ると、アンコールトムのすぐ北で分かりやすそうだったので、iPhoneを頼りに行くことにしました。
朝6:30出発
アンコールワットの環濠が今日もきれいです。今日は環濠に突き当たったところで右に曲がり、プラサットクラヴァン方面に行きました。
バンテアイクデイとスラスラン
イオン博物館で展示されている仏像はこの近く(確かこの東門の少し北)でまとまって発掘されたようなのですが、実際現地に行ってみると、どのあたりなのか全然分かりません。もう埋め戻しがされているのでしょうか。
雨上がりで曇っているものの、朝のスラスランは良いです。よく見るとテラスのナーガの向きが4方向全部あって(手前に向いているのは無いと思っていた)バンテアイサムレはじめ他の遺跡と共通しているのだなあと思いました。
テラスから後ろを見ると、バンテアイクデイの正門が見えます。
空白の近世史をスラスランで考えた
スラスラン横のカフェで読もうかと思っていたのですが、雨上がりで誰もいなかったため、贅沢にテラスで読みました。
アンコール帝国陥落から仏領インドシナ期までの、空白のカンボジア史を自分なりに理解したいと思っていました。この辞書みたいに分厚い本(キン・ソック著 カンボジア・シャム・ベトナム民族関係史)がその時代を知る唯一の本なのだそうです。
内乱・戦争を潜り抜けた歴史的資料もポルポト時代に文字通り全て破棄されてしまい、カンボジアの歴史をまとめるのにあまりにも資料がなく、フランスにて残った資料をかき集めた研究成果なのだそう。カンボジア人のキン・ソック博士はこの本をフランス語で執筆し、翻訳はあのアンコール遺跡研究の第一人者、石澤先生というのも驚きました。
仏領インドシナ研究者は、フランス語を共通語として使用していたのだと改めて思いました(サイゴン陥落を体験したジャーナリスト、近藤紘一さんも非常に優れたフランス語スキルを持っていたそうです)
スピアン・トモーが開通していた
新しいスピアン(橋)トモー(石)が開通し、真っ直ぐな道になっていました。ここの迂回路が高低差がかなりあり、原付スクーターでは怖かったので、やっと普通に走れるようになり嬉しいです。
勝利の門から入る
実はこの門から入るのは初めてかもしれません。凱旋したジャヤヴァルマン7世の気持ちになれます。奥に象のテラスと王宮の門が見えて、達成感や緊張が解ける瞬間です。
プラサット・トゥール・スラット
そして北門から出ます。今日はアンコールトムは通り道です。私の一番好きな門はこの北大門です。
東西南北の門はよく通りますが、実は5つ目の門の「死者の門」に行ったことがありません。どうしてそのような名前なのか、バイヨンの真東にあるため普通に考えると正門であるはずなのに使われなくなった理由は何なのか、また別の機会に調べて訪れようと思います。
やっと着きました
アンコールトム北大門を抜けてすぐのところで、道なりに右に曲がらず真っ直ぐ行きます。
車はこの先、進むのは難しそうです。トゥクトゥクもちょっと無理があるかもしれません。とは言っても、ここから遺跡まで近いので、歩けそうです。今地図で確認したところ300mでした。
2021年に修復が完了した新しい(?)遺跡
どのガイドブックにも載っていない理由がわかりました。私の持っているガイドブックが全てコロナ前に発行された本だったので、当時はまだ訪問できる状態になかったのかもしれません。
先日訪れたクロル・コーと同じ時代に同じ用途で建てられています
彫刻はクロル・コーの方が美しく、崩壊はあるとはいえ中央祠堂以外も残っています。
トンレ・スゴートはそういった魅力は少ないですが、修復の苦労が見えて愛おしく感じます。
ジャヤヴァルマン7世時代の祠堂によくあるペディメント。
蓮の花を持つデヴァター
同時代の祠堂の例に漏れず、角にはデヴァターが少しずつデザインを変えて配置されていました。
中央祠堂だけの小さい遺跡です
ここまでの道が舗装されておらず、トゥクトゥクも入れる幅がないこと、また祠堂自体が元々の彫刻がそこまで残っていないことから、今後もガイドブックには載らないかもしれません。
とはいえ、博物館にあったあの立派なドゥヴァラパーラ像が、この敷地のどこかにあったと想像すると、建立当初は非常に印象的だったのではないかと思います。また、博物館に100体はあった仏陀坐像も、バンテアイクデイだけでなくこのトンレスゴートのものもありました。
正面(東面)から見ると、柱もペディメントも基礎も新しく足した石が多く、少し物足りない感じがします。タ・ケウの一部のようです。
帰り道のバイヨンとアンコールワット
もう一度アンコールトム に入り、バイヨンを1/4周まわりました。いつ見てもバイヨンは荘厳です。
アンコールワット前の一方通行が解除されたようで、シェムリアップへの帰り道がわかりやすくなりました。
観光シーズンが本格的に始まるのでしょうか。今日はアンコールワット渋滞がありました。大型バスもよく見かけました。
段々と、遺跡を見るのに適した季節になっていきます。アンコールワットも大盛況でした。
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