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【遺跡探訪32】建立400年後にひっそり彫られたアユタヤ風レリーフ(アンコールワット 12世紀/16世紀)

先日、上智大学アジア人材養成研究センターにて修復に関わった方のセミナーに参加して以来、修復の第一人者であった石澤良昭先生の本を読んでいます。

そこで、アンコールワットの章のこちらを読んで衝撃を受けました。

東南アジアにおける戦争は総力戦であると同時に、地域住民を含めて根こそぎ拉致してしまうのが常であった。王朝の中枢にいて落ち延びた人たちは少なかったのである。それでも、現地の碑文資料によれば十六世紀半ば頃、アンコール朝の末裔と思われる王たちはこれら遺跡群を再発見して、かつて祖先が造営したアンコール都城であることを知ったのである。そして1546年から1664年の間、アン・チャン一世(1528-1567)は未完成であった第一回廊東面の北寄り及び北面に薄肉浮き彫りを刻ませた。この時のクメール人彫工たちは、明らかにアユタヤ朝のシャム美術の影響を受けていた。こうした未完工事の再開が可能だったのは、ミャンマーのタウングー朝のバイナウン王(1516-1581年)がアユタヤ朝を攻撃し、その都城を12年間に渡り占領したためであった。カンボジアにとっては、この16世紀の後半は対シャム戦争がなく、一息つける平和な時代であった。

アンコール・王たちの物語 P138

アンコールワットで、第一回廊の東面の北寄りと北面は、一般的な順路には入っていません。私もアンコールワットは10回くらい訪れていますが、西から入り南面から時計回りに半周して第二回廊へ行くのがお決まりコースになっていました。ガイドさんも「この先はあまり面白くありませんよ」と言っていた気がします。

行ったことないゾーン、ここに何があったのかというと、他のレリーフが彫られて400年経ってから戦争がひと段落して「やっと、完成してなかった場所を彫れる」と彫刻を進めたゾーンなのですね。そして当時既にアンコール王朝はアユタヤ朝によって陥落し、アユタヤの管轄であったのでシャム美術の影響があったと…グッと来ます。

これが見たい!
ということで朝6:20 に出発しました。

SEA Gamesのマラソンやっていました

アンコールの森を抜け、西参道方面に向かうと、通行止めでした。

大型バスがここで止まり、観光客はぞろぞろ橋方面へ歩いています。

とりあえず、駐輪場にスクーターを止めました。
お土産屋さんを通って、

さらに歩き、

朝7:00なのに、串焼きが揃っています。

スバエクトム風のお土産も。素敵。

スバエクトムはこのリンク先に詳細を書きました。カンボジア旅行ではアンコールワットと併せておすすめします。

こうやって作っているんですねぇ。

アンコールワットは見えているのに警察に止められる

西参道入り口まで着いたのですが、警察に止められました。

アンコールワット見えているのに、向こう側に行けない

ちょうどSEA Gamesのマラソン競技をやっていました。後から聞いた話では、マラソンのスタートの際ピストルに失敗し、もう一度スタートをやり直したらしい。カンボジアらしいです。

迂回して、仮の橋まで来ました。SEA Gamesの影響か、先週の連休の反動か、1週間前と比べると全然人がいません。既に33度くらいあって暑いです。朝7時台なのに汗だく。マラソンお疲れ様です。

強烈な日差しで美しい西塔門のレリーフ

橋を渡った手前の門のところは、西塔門というのだそう。英語だとWestern Gateだそうで、「塔」は抜けるのですね。

この西塔門の南側から今日は入ったのですが、東から(真横から)刺す強烈な日光でレリーフの陰影が際立ち、えも言われぬ美しさです。

戦士が神話上の鳥に乗っているそう

まぶしすぎる、池に映るアンコールワット

有名な池にうつるアンコールワットの写真も撮ってみましたが、日光強すぎて背景が飛んでしまっています。こういうの、ホワイトバランス?絞り?何をどうやって調整するのかな。この季節の写真は難しい。

とにかくあつーい。人がいないわけです。

第一回廊

いつもと反対方向の、北側へ進んで行きました。「順路」を無視するのが心が痛い、規則守りたがりの日本人です。

先週見た南側と違って、あまり手の入っていないデヴァター

クリシュナと阿修羅の戦い(第一回廊北側の東寄り)

下のレリーフはガルーダが羽を広げて街を守っている様子だそう。まさに翼を広げて敵から守る「バクセイチャムクロン」です。遺跡どうしの関係が、神話でつながってきます。

確かに彫り方は浅く、所々引っ掻いただけのような場所もあります。そういえば、昔はガイドさんが「ここは中国人が後の時代に彫刻したからあまり上手じゃない」と言っていたような気もします。

しかし石澤先生の説を聞くと、シャム(タイ)とチャンパ(ベトナム)と壮絶な戦いの中、やはりクメール人がその当時の弱くなった国力で最後の力を振り絞って、なんとか完成させたのではないかと思ってきました。

沢山の(千本?)腕を持つバーナ

これは、アンコールの他のレリーフには見られないデザインだと思います。

第二回廊を眺めます。

北西の塔

日本語の名前がわからなかったですが、第一回廊の北と西を繋ぐ塔(North West Corner Pavilion)の内側のレリーフが素晴らしかったです。

神たちがヴィシュヌ神に、地上に降りることを乞う場面だそうです。

「ゴピ」なのだそう。すごくうれしそうだ。

マラソン、お疲れさまです

環濠の外まで出ると、女子マラソンをやっていました。

きゃあきゃあ若い人の声が聞こえます。

のんびり散歩する地元の人も

気温39度まで上がりました

帰ってきて少し休んだら、外気温は39度になっていました。午後4時からは競歩もあるらしいです。祈るしかありません。

と書いているところで停電しました。復帰しますように…

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