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もはや昭和はブームではない

いったい昭和時代に生まれ育った世代が、いまさらのように昭和に懐かしみを覚え始めたのは、昭和30年代に焦点を当てた十年ほど前のことだと思う。「ALWAYS 三丁目の夕日」がヒットした頃である。実際、昭和は64年もあるし、人それぞれに印象に残る昭和はまったく異なる。私自身、昭和30年代にはまだ生まれてはいない。ただ、なんとなく懐かしみを感じてしまったことは覚えている。昭和50年代からの昭和については記憶もあるので、昭和30年代といえば、その20年前のことである。その間、高度経済成長をはじめ、劇的な変貌を日本は遂げてきたが、歴史は連続するものであるし、少なくとも今よりは昭和30年代的なものが残されていたように思える。警察官の制服は鼠色だったし、パトカーのサイレンの音も今とは異なっていた。

民族的な記憶というものも措定してみたくなるけれども、ともあれ、この昭和という時代が令和の今となっても懐かしみの対象として肯定的に捉えられている。ということは昭和は既にブームではなくなってきており、令和時代の中にしっかりと根をはっていると言い換えることもできるだろう。昭和レトロを売りにしたテーマパークや商品はごまんとあるし、趣味の世界でも例えば、昭和の時代の古いクルマが評価され、価格も上昇しているという現象もある。いったい、その理由はなんなのだろう。手塚治虫の「火の鳥 未来編」の冒頭の方で、大衆が回顧主義に陥っているのを選良たちが唾棄しているセリフが出てきているが、状況の方向性としては似ているかなと思えなくもない。

一つには未来への憧れを持ちえないゆえだろう。だから、基本的には「将来はこうしよう」という発想自体が陳腐なものに思えてくる。昭和のバブルの頃までは、未来への関心比率の方が高かったと個人的には思うし、年齢のことも勘案するにしても、私だけにそのような心的変化が生じたようには思えない。デフレが30年も続き(凄いことだ)、右肩下がりになるのがどんどん目に見えてくる様を見れば、「昔はよかった」的な年長者の物言いのような言葉が想起されやすくはなるのだろう。

とはいえ、少なくとも私が覚えていた頃の昭和というものは、ゴミの分別も適当だったし、喫煙者は路上でポイ捨てすることに倫理的悪など毛頭も感じていなかったし、いわゆる不良や暴走族も多く、かつあげという単語は私の青年期にはかなり日常的な現象であった。今挙げたのは、私の個的な昭和史の一段面に過ぎないけれども、昭和という時代を少し冷静に考えてみると、存外と殺伐とした時代で、戻れることができるとしても、戻るという選択を取るかどうかはわからない。皆さんはどうですか。

当座は昭和という時代を美化しつつも(一億総中流意識は確かにほとんどすべての人が持っていたし、銀行の金利なども高かった)、令和の今をSNSなどを駆使して楽しむというのが、プラグマティックなのかもしれない。随分と夢の無い話ではあるものの、大きな物語を構築して夢馳せるという営みは昭和時代にも裏切られてきたのではないか。社会改良としての左翼の学生運動もそうだろう。80年代のノンポリの時代においては、夢はより足の付いたものになったものの、学校歴や性差によって夢を諦めざるを得なかった機会は今よりも随分と多かったと思う。

ということを考えると、政府がまたアホな政策をしでかしていると思いつつも、デモもせずに粛々とマスクをして、スマホを視たりする一見すると卑小な生活というのは、実に等身大ですでに叶えられている夢のようでもある。いや、すでに叶えられている夢というものは論理的にそれは夢ではないから、生活のすべてが現実で覆われていることにもなる。

昭和30年代頃の日本においては終戦の記憶もまだ新しく、それでいて復興から成長へという兆しが見えた時代であり、夢がどんどん適っていくぞという期待感が増大していく最初の時代であり、人間は夢を大きく抱いてまだまだ貧しい日々を愉しんでいた。今は貧しいといっても衣食住に困ることはまずないが、それがゆえに、貧しさを感じるのだろう。即ち、マズロー的な最低限の欲求が満たされているがゆえに、実現欲求といった高次元の欲求が実現しえない。だからこそもどかしい。そこで、昭和という時代に己を仮託してみて、とりあえず、そこで夢を味わい満足し、日々の生活を粛々と送ることが功利的であると脳みそは判断しているのかもしれない。

昭和を知らない世代の昭和への憧れについては心情としては想像はできるものの、基本的にはわからない。なぜなら、私自身が昭和を生きてしまっているから。
ただ、ネットの発達で彼らには昭和のアゲアゲの兆しがある時代や実際にアゲアゲだった時代が憧憬を持って感じられるだろうし、経験したことのない時代に対するワクワクとした気分も伏在しているかもしれない。

そうなると今の時代は幸せなのかそうでないのかわからなくなってくるけれども、幸せの定義は人それぞれだし、という相対化を推し進めていくほかないのかもしれない。「〇〇とはなにか」という問いに関しては、古来より普遍的な回答というものが与えられることがなかったのだから。

最近、この手の昭和の時代からありましたという風情の建物が好ましくて仕方がない。
これは私の心境変化に過ぎないが、昔は未来志向で新しいもの好きだったのに不思議なものである。

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