名前が概念を作る 東日本最大の前方後円墳とドイツ人Tom
午後14時半頃稲城インターから中央道に乗る。
甲府盆地の曽根という場所の近くに地元の人しか来ていない高台の公園を見つけ、山を駆け下りると、山を含めて大小の古墳が軒を連ねる場所であった。うち、銚子山古墳は前方後円墳としては東日本一の規模を誇る。古来、富士から甲府盆地に至る道は要衝であったから、余程の権力者が蟠踞していたものと思われる。
銚子山古墳から眺める八ヶ岳をはじめとするアルプス山脈はまことに美しく、権力者が死という異界に巣立つことには相応しい景観のように思われた。
太宰治が甲府での新婚生活中に立ち寄っていた銭湯喜久湯の暖簾を久し振りにくぐる。地元商店の看板を含めて、まんま昭和時代の銭湯のままである。そしてまた冷泉の温泉でもある。
昔、外風呂に必ず付いていた本当なのかどうかわからないどこぞやの博士が監修した効能や成分表を眺めている白人がいたので、「懐かしいですね」と声をかけてみた。
ドイツ人(ベルリンより少し南)で慶應から山梨学院大学に籍を移したという。都会もいいけれども田舎の生活もいいものなのだそうだ。実はドイツ語を少し知っているので、久し振りに使ってみた。話していくうちにどんどん思い出してくる。ドイツ人のくせにTomという名前らしい。私はどうせ本名は覚えにくいだろうからと、Terryと呼んでくれと伝えておいた。
名前ってなんだろう。森鴎外は自身の墓に森麟太郎という名前以外は生誕日や逝去日を含めて一切入れないよう伝えたという。そして、その遺言は守られている。鴎外は彼の中のあらゆる属性のうち、石見の麟太郎であるという事実だけを認めていたと言っても良いかもしれぬ。軍監でもなく文筆家でもなく、元号研究に費やした大家でもなく、島根の津和野の麟太郎という記号だけを選び取った。
ちなみに、Terryという名前でいるときの私は外向的である。
鴎外のことについては猪瀬直樹の「天皇の影法師」に詳しい。加えて、名前の役割や意義といったより広く深い全体的な考察については浅羽通明の「野望としての教養」に詳しい。
「初めに言葉があった」とバイブルの冒頭には書かれているらしい。たしかに、私たちは言葉を通じて概念を構築する。言葉がなければ、概念も生まれ得ない。換言すれば、自他の区別をすることができない。そういう意味では、バイブルの冒頭は示唆的ではある。言葉が最初にあった。ゆえに、世界は文節化され、いや、それ以前に初めて世界を世界として私たちは認識できるようになった。
もしも、私たちが言葉を忘却したとき、世界はどう認識されるのだろう。そんな疑問もよぎった。
Tomは銭湯から出て、チャリンコで近くの自宅まで帰っていった。私は二時間かけて都内の自宅まで帰っていった。こういう捉え方(?)も言葉を前提としたものである。言葉とは不可思議なものである。
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