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人生の秋休み~鬱と生き方と休職と~

こんにちは、七谷くとです。

実は休職中

なのだ。
少し前から仕事を休んでいる。
休職に入るかはとても迷った。迷ったのだが、結局は身体の方がついてこなかった。朝、ベッドから起き上がれないのだ。全身がだるくて重くて、力が入らない。最初のころは、サカナクションの新宝島の陽気なイントロに合わせて無理矢理起床していたのだが、だんだんそれも上手くいかなくなった。ベッドの中から上司にLINEで、すみません半休くださいと連絡をする朝。それでも動けなくて、結局全休にすることもしばしばだった。

正直主治医には、いつでも診断書は出すけれど、もう少し頑張った方が良いとは言われた。一度休職すると、復職が難しいからということだった。けれどもう、明日ちゃんと出社できる自信すらなかった。結局、起き上がれないのなら仕方がないね、ということで、診断書を書いてもらい会社に提出した。

手続きは坦々と進み、あっさりと私は休職した。

最初こそ、職場や上司に対する罪悪感などもあったのだが、現在は人生の秋休みだと割り切ることにしている。多分私には考える時間が必要で、幸いにもそれを得たのだ。

秋休みの生活~「好きなことをしてください」~

休職に際し、主治医から言われたことは次の通りだ。「規則正しい生活」と「毎日三十分以上の散歩」は欠かさずに。あとは好きなことをしてください。

最初のうちは、規則正しい生活が難しかった。朝は起きられないし、夜は眠れない。それでも毎日続けるにつれ、夜は兎も角、朝はちゃんと起きられるようになった。
やったこととしては、夜は眠れなくても布団に入る、全ての通販を午前着にする、ワクチンの予約を朝一にする、ごみを前の晩ではなく当日朝に捨てるetc...、だ。私の場合、起きなければならない理由がなければ起きられない気がしたので、午前中に起きている必要性を作った。続けていたら、特に用事がなくても、八時半か九時には起床できるようになった。できればもう少し早くしたいが、今のところこれが限界である。

散歩は最初から苦ではなかった。放っておけば一時間くらいぶらぶらと歩くこともできる。ミラーレス片手に外に出れば退屈もしない。問題は、散歩のために家を出る準備をすることの方だった。髪を梳かしたり、外に出られる服に着替えたりといったことだ。更にその前、朝食を食べた後、椅子から立ち上がることがそもそもしんどかった。
髪については、帽子を被れば良いや、ということで誤魔化した。服は着やすく脱ぎやすく洗濯しやすいものばかり着るようになった。立ち上がることについては、どうしようもなくて、立ち上がれるまで気合を入れ続けた。午前から立とう立とうと思って、結局午後になることもあった。これが一番しんどい。
今はそこまで気合を入れなくても、家を出られるようになった。身だしなみもそこそこ整えられる。偶に電車で、後ろに立った人がこちらを笑っているような気がするが、きっと妄想だ。そういう被害妄想が昔からある。

好きなことをするように。と言われたので、割と好きなことをしている。こういうときこそ仕事の勉強をすべきだとは思うのだが、思うだけで、全く勉強はしていない。もう少し回復してから始めれば良いだろう、と気楽に保っている。
日中は基本、植物やメダカの世話をしている。休職当初は、仕事をしていないのに菓子を買うことにも罪悪感があったので、自分でチーズケーキやタルトタタンを焼いていた。菓子は作り始めるまでがしんどい。作り始めてしまえば、中止するということができないので、勢いで最後までいけた。飽くまで私の場合は、だが。
あとは刺繍か。図案を考えるのは少ししんどいが、縫い始めてしまえば無意識で針を運べる。服は作れないので、無印の既製品のシャツにクラゲの刺繍を入れたりしていた。
体力的に回復してきてからは、こういうときじゃないとなかなかできないので、少し遠くに写真を撮りに行った。メダカや草のために工作をしてみたり、絵の練習をしたり、行ってみたかった喫茶店に、平日の真昼間に訪れたりしている――このnoteを書いている今も。
一方で、したいのに、できていないこともある。
例えば読書だ。休職当初は本当に何も読めなかった。読みたいので購入はするのだが、読めないのだ。映画やドラマもそうで、アマプラに好きな番組が入っていることには気付いているが、三十分や一時間、集中して何かを見ることが難しい。
現在は、本については簡単なものなら少しだけ読める。動画コンテンツは、誰かと一緒に観るか、YouTubeの猫動画みたいな、カロリーが低いものでないと厳しい。

思うに、私は精神面よりも体力面から先に回復しているようだ。長時間の散歩はできて、読書はできないのだから、多分そういうことなのだろう。いずれ精神が体力に追いつくことを期待している。

興味暴走中

集中力の面ではボロボロなのだが、やる気というか、興味の面では、メンタルが暴走している。
やってみたい、とか、欲しい、という気持ちに歯止めがかからない。特に園芸がそうだ。気が付いたら部屋が草だらけになっている。植物用ライトも増やした。もうスペース的にも限界なので、年内のメルカリ禁止令を自分に発布した。だめです。
刺繍も暴走気味で、まだ前のが終わっていないのに、次のを始めたりしている。持っている糸を使えば良いのに、わざわざ違う糸を買い足して。
あとは勢いで、着付けもできないのに中古の着物を買った。着られれば格好いいとは思うが、さて、買ったもののなかなかトライできないでいる。着付けの練習をしたい気持ちはあるのだが、その手前で躓いている。半襟を付けるのが何故かしんどいのだ。

この暴走は少し怖い。まず普通に、収入がなくなっている(傷病手当金はあれど)のに散財しすぎだ。多少は良いと思うが、限度を超えている気がする。それから、特に着物ついては、一時の興味で終わりかねないので、無駄になりそうで怖いのだ。選択が間違っている気がする。吟味できるほど私のメンタルはまともだろうか。セーブをかけたいが、私の内燃機関は、今日も元気に蒸気を吐いている――noteだって、別に家で書いたって良かったじゃないか。

生き方がわからない

そんな、仕事を休んで日々好きなことに打ち込んでいる私だが、業務に戻る自信の方は、今現在、全然なかったりする。

えっ元気じゃん、戻れよ。とは私も思う。出かけられているし、こうしてnoteも書けている。ただ毎日出社して、会社でパソコンに向き合う日々のことを思うと、みぞおちの辺りにタールが溜まるような感じがするのだ。あそこに戻ることに対して、どうしようもない不安感がある。

もちろん、大なり小なり仕事には憂鬱が付き物だろう。私は今が平和すぎて、そういう憂鬱に向き合うのが億劫になっているだけかもしれない。甘ったれているだけかもしれない。その判断をする自信はない。

仕事は嫌いではなかったはずだ。職場の人間関係にも問題はない。ただ、昨年あたり、昔の上司に、「あなたは今の職種にも、マネジメント系にも向いていないね」と言われたのが心に引っ掛かり続けている。今の上司には、「そんなことなくない?」と言ってもらった気がするのだが、それで払拭できない程度には、その言葉が刺さり続けている。
向いていないのに、果たして、戻るべきなのだろうか。戻ったところで、あと数十年は残っている人生、この仕事で本当に食べていけるのだろうか。仕事の変化についていけるのだろうか。

植物を育てる仕事に就けたら楽しいだろうな、と時々思う。観葉植物の鉢を一個一個仕立てて、送り出すのだ。
けれども、そのためには色々なものを捨てなければいけない。未経験だから、多分最低賃金からのスタートになるし、完全週休二日制にはできないだろう。当然今みたいにフレックス勤務ではないだろうし、偶の楽しみの旅行だって、休みは取りにくくなるはずだ。
だったら今の仕事を続けたまま、趣味で園芸を続けた方がずっと良いはずだ。分かってはいるのだ。けれどどうしても、その夢を見てしまうのだった。

残りの人生を、私はどう生きるべきだろう。生き方がわからない。それでも、毎夜死にたいと蹲っていた頃に比べれば、前向きになった分、多少マシになったのではないかと思う。

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