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恋というやさしいエゴ。

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ななびのトークだけを、まとめて読めるマガジンをつくりました。さらっと私のことが知りたい場合の流し読みに、大変便利です。
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2016年6月の記事一覧

私はひとに助けてもらわなければ、

生きていくことができない

自信で満ち溢れているの。

その揺るぎない確信が現れるのはどんな時かって?

私は溺れているのだけど、

立ってごらんっていわれて、

水面が胸のちょっと下くらいまでしかなかったりとか、

そういう感覚にちかいのね。

嘘は口先で虚を唱えますが、

自分が心から信じていることは、

潤沢な息を使って腹の底から吐き出します。

自分の気持ちを、本気で相手に伝えたいのなら、

口先だけで言葉をふーふー吹くのではなく、

自分の心、すなわち『息』に乗せて伝えましょう。

何を言うかよりも、どう言うか。

生後一年半弱で、ことばを話しはじめるわたしたちは、

大人になると、自分が魔法使いだったことすら忘れてしまう。

ことばは人をそだて、人を傷つけ、それから人をしあわせにもする。

とてつもなく巨大なちからだ。

だけどこわがる必要はない。

本当に唱えたい魔法は、きっとえらべる。

何もかも受け止めると言うより、

その人がなぜそういうことを言うのか、

裏の事情を考えられるようになってくるといい。

それを繰り返していると、自分のこころの器が、

また、みしみしと少しづつ広がってゆく。

拒絶こそが、自分の成長機会なのかも。

痛みは心の成長痛。

だれかのしあわせが

心のティーカップからこぼれだすまで、

注ぎ続けることができる、

ティーポットでいたい。

それか、こぼれたしあわせをしっかり受け止める、

ソーサーでもいいから。

正しさ、ってなんでしょうか。

その疑問に、こたえてくれた人がいました。

自分が正しいことをしているかどうかは、

周りに集まってくるひとたちが教えてくれる。

周りのひとたちがしあわせで、えがおで、

自然と集まってくるようならば、

あなたのしていることは、ただしいのだと。

もしも地球上に、

笑顔をエサにして育つ生物がいたとしたら、

人間社会は笑顔で満ちあふれていて、

満員電車のいざこざとか、

会社のなかのちいさな衝突とか、

家族のなかの亀裂とか、

ひいてはそれどころか、

戦争なんて、なくなるんじゃないかなあ、

なんて妄想しています。

最近思いついた語呂のよい、

自分へのこころがけみたいなものがあります。

『顔の筋肉は、しあわせへ向かうためのエンジン』

この世界に生まれて、

何かふと、

いいなーと思うものに囲まれて、

いいなーと思う人といっしょに、

いいなーと思う料理を食べ、

いいなーと思うお酒をのむとき。

そういう時間って、

短いじんせいのなかで、何度あることでしょうか。

しあわせって感情の密度だと思うんです。