2016年6月の記事一覧
私はひとに助けてもらわなければ、
生きていくことができない
自信で満ち溢れているの。
その揺るぎない確信が現れるのはどんな時かって?
私は溺れているのだけど、
立ってごらんっていわれて、
水面が胸のちょっと下くらいまでしかなかったりとか、
そういう感覚にちかいのね。
嘘は口先で虚を唱えますが、
自分が心から信じていることは、
潤沢な息を使って腹の底から吐き出します。
自分の気持ちを、本気で相手に伝えたいのなら、
口先だけで言葉をふーふー吹くのではなく、
自分の心、すなわち『息』に乗せて伝えましょう。
何を言うかよりも、どう言うか。
だれかのしあわせが
心のティーカップからこぼれだすまで、
注ぎ続けることができる、
ティーポットでいたい。
それか、こぼれたしあわせをしっかり受け止める、
ソーサーでもいいから。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3164181/picture_pc_c9024f4e0cac05d158c20ae510ce055a.jpg)
正しさ、ってなんでしょうか。
その疑問に、こたえてくれた人がいました。
自分が正しいことをしているかどうかは、
周りに集まってくるひとたちが教えてくれる。
周りのひとたちがしあわせで、えがおで、
自然と集まってくるようならば、
あなたのしていることは、ただしいのだと。
もしも地球上に、
笑顔をエサにして育つ生物がいたとしたら、
人間社会は笑顔で満ちあふれていて、
満員電車のいざこざとか、
会社のなかのちいさな衝突とか、
家族のなかの亀裂とか、
ひいてはそれどころか、
戦争なんて、なくなるんじゃないかなあ、
なんて妄想しています。
最近思いついた語呂のよい、
自分へのこころがけみたいなものがあります。
『顔の筋肉は、しあわせへ向かうためのエンジン』
この世界に生まれて、
何かふと、
いいなーと思うものに囲まれて、
いいなーと思う人といっしょに、
いいなーと思う料理を食べ、
いいなーと思うお酒をのむとき。
そういう時間って、
短いじんせいのなかで、何度あることでしょうか。
しあわせって感情の密度だと思うんです。