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一番には愛されないという信念

新しいパートナーが私の人生に登場してもうすぐ8ヶ月になる。

11年ぶりのパートナーがいる生活。これから彼とのパートナーシップの中で起きていること、わたしがいかにしあわせを手にいれるかをリアルタイムで書き残して行こうと思います。自分でいうのもなんだけど、結構おもしろいはず!

まず、わたしがなぜ11年間もパートナーがいなかったのか、というと、ひとえに”親密な関係”を怖れていたから。だと思う。人を好きになったり、愛することがとても怖くなってしまった。それは初めてのパートナーシップが終わりを迎えた時に経験した喪失感や罪悪感の痛みによる。

そうだと自覚しながらも、自分の内なる男性性と女性性の統合を意図しながら、パートナーがいたらこんな自分!をひとりでもやってみていた。パートナーが欲しすぎて欲しすぎて求めて止まない気持ちを手放した時なのか、ある日突然空から降ってきたみたいに2人の時間が始まった。

8ヶ月2人の時間を過ごしてみて思うところは、それでもまだ”親密”を怖れていて、”しあわせ”をも怖れているということ。人生かけて背負ってきた罪悪感は私がしあわせでいることを全力阻止してくる。毎日しあわせであるなんて、ゆるさないのだ。だから、しあわせが続くと問題を作り出しては喧嘩して、険悪になって、モヤモヤして、このモヤモヤしている自分こそ慣れ親しんだ自分!安心!そんな時間もあった。それでも何度も、自分の設定している”私のしあわせはここまで”の限界値を突破しまくってきた8ヶ月であります。うん、よく頑張ったわたし。

もう一つの課題として、私が握り締めている信念の一つに「私は一番には愛されない」というのがある。だからなのか、パートナーがいなかった11年間も、私のことを一番には愛せない人しか惹かれ合わなかった。私以外に大切な人がいて、私は一番に愛されないことで、私も相手を真剣には想わなくて済む。親密を怖れている私にとって、とても都合がよかったのだ。

だけど、今のパートナーはもちろん、私以外にパートナーはいない。念願の独身男性であります。なんだけど、私の握り締めている信念の力なのか、やっぱり私は一番に愛されていないのであります。

では彼は一体誰を一番に愛しているのか、、、


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