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バレンタインデーが美味しかった件

先週まで、どこか苦しいところにいた。仕事や人間関係がうまくいかないことが重なってうずくまっていた。

それが、バレンタインデーを境に、一気に抜けた。嘘みたいに。うまくいっていなかったことが全部スッキリ好転した。びっくり。

うまくいっていないと感じていた間、自分の何がこの現実を想像しているのだろうかと見つめていた。そうしたら、そこには”人や世界を怖れている私”だったり、”信頼していない私”がいた。ずっと慣れ親しんできた私の一部分でもあり、私の対人関係のパターンでもある。その奥には、過去の痛みがある。いつの間にか、無意識のうちに自分を閉じて守ろうとしてしまう。結果、知り合いはたくさんいても、ほんとうにつながりを感じられる関係というのが乏しくなる。そして、孤独。

何回やっても、繰り返してしまうパターン。

今回もそれに気づいて、少しずつ自分を開こうとし始めていた。開いている自分は”人の本質は愛””人は愛と優しさでできている”ということを信じている。これは人から聞いてそう信じているわけではなくて、私自身が体験したこと。

ずっと灰色がかった世界が、カラーに変わった瞬間があった。それは、NLPを学んだ時。その場所は、相手にジャッジやアドバイスをしてはいけないというルールがある安全安心のコミュニティだった。自分の感情や、考え、価値観、誰にもジャッジされない世界を初めて経験したときでもある。その場所に3年近く通っていたある日、”世界は愛でできていたんだ”と知った。それから私は立ち上がって、自分の人生を生きるということを模索し始めた。

それでも、そのコミュニティから一歩外に出れば、世界はジャッジに満ち溢れている。なんなら、頼んでもいないアドバイスなんかが不意に飛んできたりする。でも自分を一番制限しているのは、自分の自分へのジャッジだった。

そうして、いつの間にかまた私は、人や世界や、自分自身が”愛”であることを忘れてしまう。でも何度でも思い出せばいい。こうして、うまくいかなくなっているときはだいたいそのことを忘れてしまっているときだから。

人や世界や、自分自身が愛そのものだとしたら。

そのことを思い出すだけで、私の行動は少しずつなんだけど全然違って、結果全てが好転した。

去年まで、バレンタインデーは、何それ美味しいの?みたいな過ごし方をしていた。職場で女子たちが男性陣に渡す義理チョコなんかも、”私は参加しません”というスタイルだった。

だけど今年は違う。彼がいる。十数年ぶりのバレンタインデー到来!本命チョコを渡したい恋する乙女であります笑 大したものは作れないけれど、前日から生チョコを作ってみた。市販のチョコを溶かして生クリームを混ぜて固めるだけなのだが笑 それから、周囲の友達にも渡そうと、初めての”友チョコ”分も作ってみた。ラッピングなんかも選んだりして。

14日の朝に、生チョコは無事完成して彼に本命チョコを渡したら、想像以上に心が満ちた。したかったことができた!といった具合で、私が大満足していた。続いて、友チョコをラッピングしているとき、これまたとても心が満ちた。まだ渡していないのに。相手の喜ぶ顔を見たわけでもないのに。これは今まで受け取る側で生きてきた私にとって、大きな発見だった。

与える方も喜びだった。

14日は、チョコを渡して回った。チョコなんだけど、そこには確かに私の愛が込められていて、それを大切な人たちに配れることが何より嬉しかった。もちろんみんなありがとうと喜んでくれて、みんなの笑顔からさらに豊かさを受け取った。

うまくいっていないと感じていた相手にも、勇気を出してチョコを渡しにいった。ドキドキしながら。最悪の事態なんかも想定しつつ。だけど行ってみたら、やっぱり人は愛だった。めちゃくちゃ愛だった。大きな愛で受け入れてくれて、私の愛も喜んで受け取ってくれた。

言葉にすると薄っぺらくていやんなっちゃうんだけど、自分も相手も愛の存在だと信じて交わされるものは、それが言葉であれ、メールであれ、チョコであれ、与えるも受け取るもどちらがいいでもなく、全部愛なんだということ。自分さえ相手に、世界に、開いていれば、この世界は豊かさに満ちている。

そのことを思い出させてくれたバレンタインデー2021。
みんなありがとう♡



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