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愛するモノココロ

何かを所有してもその度に失う恐れに支配され、
所有していなければ、
それを求める欲求に支配される。
ハンナアーレント
『アウグスティヌスの愛の概念』

全体主義の起源で知られている、
ドイツの政治哲学者ハンナアーレン22才の時の博士論文です。
この論文の第1章でアーレンとが取り上げているのは
「欲求としての愛」です。
私たちは自分にないものを求め、獲得したいと思います。
たとえば、友人や恋人、お金や社会的地位などでしょう。
何かを所有することで幸せになりたいと求めます。
この「愛」は「恋愛」だけでなく、
もっと広く何かを「欲しい」と求める心です。
この「欲求としての愛」から私たちが生きることを
考えてみたいと思います。

〈愛するモノ〉
愛は、愛するココロとモノから成り立っています。
まず愛するモノ=対象について考えてみます。
私たちは自分の外に、幸せにしてくれそうな、
自分の持っていない何かを求めて生きています。
それは素敵なパートナーであったり、
新車であったり、マイホームであったり。
同じ志を共有する仲間であったり、旅行という体験であったり、
芸術作品だったりもするでしょう。
「~を手に入れたい」という思いは生きる活力になります。
勉強や仕事のモチベーションにもなるでしょう。
でもここには落とし穴があるとアーレンとは言っています。

何かを所有してもその度に失う恐れに支配され、
所有していなければ、
それを求める欲求に支配される...

欲しいものに手が届かない時は、
四六時中欲しい欲しいと心を奪われ、
いったん手中に収めると、
手にしたモノが大きいほど、失う不安も大きくなります。
あこがれの人と結ばれて、
「怖いほど幸せ」と漏らした女性がありました。
恋人に裏切られた経験のある人は
好きな人が出来るのが怖くなるのではないでしょうか。
大好きなペットを亡くした喪失感をペットロスと言われます。
生きているペットよりぬいぐるみがいいと
大事にするのは、裏切らないからでしょう。
元プロ野球選手で解説者や監督を歴任した
野村克也さんが亡くなられましたが、
その約1年ほど前に妻沙知代さんを亡くした心境を
週刊誌のインタビューで語っています。

「いるとうるさいと思うけど、
先に逝かれると寂しくて仕方ない。本当に男は勝手だよ。
ああ見えて料理が上手で、正月はいつもおせちやお雑煮を作っていた。
それが今年の年始は祝い事が一切なくて誰も来ないから、
家でずっと一人でテレビを見ていた。
あれほどお通夜みたいな正月は生まれて初めてだったよ」

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野村氏が「妻の不在」を最も実感するのは帰宅時。

「深夜の1時や2時に帰っても起きていたからね。
『先に寝ろよ』と言っても必ず起きて待っていた。
あれが“愛”なのかもしれない。でも今は家に帰っても誰もいない。
とくに、冬だから家の中が冷え切っていて、ものすごく堪える。
帰宅して真っ暗だと寂しいから、電気をつけたまま家を出るんだ」
インタビュー中、野村氏は何度も
「この取材が終わると誰もいない家に帰るんだから憂鬱だよ」とつぶやいた。
(週刊ポスト 2018年2月2日号)

必要とし必要とされる夫婦にも別れがやってきます。
相手が亡くなってしまう、というのも裏切りの形でしょう。
ヒルティ(スイスの哲学者)は
なるほど愛は「心の底にしみとおる幸福ではあるが、
あらゆるものを破壊する不幸ともなりかねない」と忠告します。

「愛」は何も失う恐れのない状態を求めるのですが、
これがあれば幸せと思うものは、
求める私と関係なく生まれ、消えていきます。

いつなにが起きるか分からない、
不安定な世界に私たちは生きています。

〈愛するココロ〉
次は愛する心に目を向けてみたいと思います。
かわり続けているのは、対象だけで無く、私もです。
私とは私の心です。
「心」はお盆の上に置いた卵のように
安定しない、コロコロ変わりやすいから
「コロコロ」から一字抜いて「ココロ」といわれるとか。
変わりやすいもの、それは女心と秋の空.、男心も同じでしょう。
私も飽き性で、好きなものがコロコロ変わります。
高校の頃はハードロックやメタルが好きで、
ライブにも足を運んだのですが、
途中からオルタナに目覚め、今はアンチメタルです笑
「好きだ」という気持ちは熱しやすく覚めやすい。
どんなに熱心でもやがて飽きがくるものでしょう。

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観葉植物を2年間大事に育ててきたアメリカ人の女性が
植え替えようと鉢から取り出そうとしたところ
プラスチック製だとわかり、
「この2年間裏切られた気持ちだわ」とSNSに投稿し
「かわいい」と話題になっていました。
対象が偽物でも、偽が偽と分からず、
つい信じてしまうのが私たちの心かも知れません。

モノもココロも共に変わりやすい。
変わりやすいココロで変わりやすいモノを頼りにしている
不安定な関係です。

「必ず」という字は「心」に杭を打つという字です。
コロコロ変わる心を留めておけたらよいのですが、
なかなか思うようにはなりません。

〈安らげる場所をつくる〉
私たちに出来るのはどんなことでしょうか。
「欲求としての愛」は何かを自分のものにしたい心です。
それを自分だけで所有するのでは無く、
みんなで共有してみたらどうでしょう。
コミュニティーの中で、
持っている人が足りない人にシェアしていけば、
トイレットペーパーが不足しても困りません。
ピンチに助けてくれる仲間がいれば、
これは自分のモノとかき集める必要はありません。
信頼できる仲間のコミュニティーが、
ものすごいスピードで変わっていく世界の中で、
安らげる居場所になるでしょう。

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俺が俺がと自分の利益だけを考えることを
仏教で「我利我利」(がりがり)と言います。
我が利益、我が利益と書きます。
出来るだけ多く自分の懐に入れ、しまっておこうとします。
反対に与えることを「自利利他」(じりりた)と言います。
自分の得た利益、幸せを人に与える、
それが巡り巡って自分の利益、幸せになることです。
「所有する」から「与える」への転換
これが変化の時代を安らかに生きる智恵なのかも知れません。

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学校では学べない生きることを学ぶオンラインの学校『L大』
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こちらもぜひ観てください!

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