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卯年 年女 還暦になる

自己紹介にも書いてあるけど、今年年女です。

今年の誕生日を迎えると、母(84)、私(60)、長女(36)に。年女3人。そして亡くなってしまったけど義母は私の母より一回り上、やはり卯年生まれ。

私は数日前に、めでたく誕生日を迎え60歳になった。

母親と24しか離れていないと、自分があと10年したらとか、あと20年したら?とか考えてしまう。

反対に長女(独身)の10年後とか、20年後とかも想像してしまう。

あっという間だよ。


「認知症」とか「介護」とか「遠距離」とか「見守り」とか、自分が興味のあるNOTEを日々見て回る。

自分から見るとまだ若い40代、30代、20代の人で親の介護をしている方もたくさん。

子育てとダブル?「親」だって一人じゃなくて両親だったり、義理の親も含めて複数だったり。

私は今のタイミングでなければ、頻繁に実家に来ることは難しかったと思う。

夫も既に退職後で駅までの送迎も不要になったし、子どもたちも全員30過ぎ、それぞれ独立してる。

亡くなった義母は、2007年夏、80歳のときに脳梗塞で倒れた。

急性期病院に3ヶ月入院して、そのあとどうするか?

身体の麻痺などはなかったけど、血管性認知症というのか、高次脳機能障害になった。


当時、高次脳機能障害なんていう言葉も知らなかったけど、一回目の脳梗塞でいきなりドンと来た。

顔を見ても普段と変わりない。返事もしてくれる。でも、息子である夫や夫の兄のこともわからない。

兄嫁は度々見舞いに行ってくれて、様子を知らせてくれた。

何もわからなくなってしまって、この先独り暮らしはもう出来ないよ。施設を探すか、私(兄嫁)が面倒を見るかだね。と。

結局兄弟二人で相談して、有料介護老人ホームを探すことに。それも結局兄嫁が近くで探してくれたんだけど、入居できるのは(退院してから)二週間後だと。

介護保険は導入されていたけど、当時と今とでは、入居できる施設の数も、介護に対する自分たちの知識も、時間の猶予もなかった。

義母と兄の家族は神奈川、徒歩五分くらいの別居生活。兄は単身赴任中で不在。

私たち家族は転勤族で、当時は茨城県北部で社宅住まいだった。
長女は私大2年で都内で下宿、息子高2、次女は中3。

いろいろな手続きは兄嫁がやり、ホームに入れるまでの2週間は、うちで暮らすことに。

夫が入院先の病院まで義母を迎えに行き、一旦実家に寄った。兄嫁が来て、洋服や身の回りのものを整え荷物を準備してくれた。

一泊してから、茨城へ。

私は入院中二回しかお見舞いに行かず、あとは兄嫁や夫の話を聞いて想像していたに過ぎなかった。

頭の中が混乱しているというのに、退院後すぐ遠くまで連れてこられて、知らない人たちに囲まれる。

息子だ、嫁だ、孫だと言ったところで記憶も時間や場所の感覚もない。

トイレの場所も毎回わからず、探していた。

さぞや怖い思いをしたことだろう。

それでも穏やかな人だったので、泣いたり喚いたり怒ったりということはなかった。

夜は夫が義母と一緒に寝てくれた。

二週間後、ホームに入居する前日。来た時と逆方向に夫と2人で義母を連れて実家で一泊。

次の日、約束の時間にホームに着くと兄夫婦が先に着いていて、説明や案内などを受けていた。

また知らない所に連れてこられ、不安そうな顔をした義母。

今日からここに泊まるんだよと、夫。

部屋まで着いていくつもりが、「では、お預かりします。」という職員さんの言葉で終わった。

あっけなかった。

義母の寂しそうな不安そうな顔。

夫と私、たぶん口を開けば二人とも泣いてしまいそうで、無言で車に乗り込んだ。

夫に今すぐ連れて帰ろうって、言えなかった。言ってあげられなかった。


二週間後に面会に行った時、義母の顔から表情が消えていた。

義母はそれから何度か小さな脳梗塞を起こしたり、転んで骨折したりして何度か入院した。

三年弱で特養に移ったのもつかの間、83歳で肺炎で亡くなった。

今、自分の母親の見守りに何度も実家に帰っている。

義母の時に何もしてあげなかったというのに、自分の母親の時だけ何度も何度も。それもいつまで続くかわからない。

毎回駅まで送ってくれる夫に、感謝と同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

これはたぶん墓場まで持っていく後悔なんだろう。





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