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私はまだ完全に名前を捨てられない


「それでもなお自分の名前を捨ててもいいくらいに想える相手と結婚したい。」

大学に入る時、推薦入試の小論文で私が結びに書いた言葉がこれだ(恥)。


テーマは「夫婦別姓」。

正直なところ、論文対策のネタとしては考えていたものの一つだったので、「あぁ良かった」と思った。

女性が自分のキャリアを形成する上で別姓を選択することの利点だとか、自分が自分であるための尊厳のようなことだとか、対して別姓を選択した場合に子どもはどちらの姓を名乗るのか混乱する点など、、、
とりあえずは頭の中にある知識を繋ぎ合わせて文章は書けた。
が、最後にどう締めればいいか分からない。

そこで、出てきちゃったのが最初の一文だ。
恥ずかしいにもほどがある。
18歳の夢みる小娘の戯言だと許されたのだろうが、よく受かったもんだ。
誰が読んだか知らないが、苦笑されたことだろう。



「名前を捨てる」
ここでは旧姓のことだが、それは20代の中盤から私の目標のようなものになった気がする。

さすがに、ここで本名を晒すわけにはいかないので、伝わりづらいところがあるかもしれないけど、ご容赦いただきたい。

私の名前は、読み方としては決して珍しい名前ではないのだけど、漢字の組み合わせをあまり見ない名前だ。
真剣に読もうとすれば、それは女性名にしかならないのだけど、字面をパッと見た印象だと男性に思われることも何度かあった。

例えば小学生の時、何らかのデータで字面だけを捉えたのか男子校からの入学案内が送られてきたり、中高は女子校だったので誰も間違えなかったが、大学の出欠で「○○くん」と呼ばれ、私が「はい」と言って「え?あ、そーかそーか、名前、あ、そーだよね」と先生にバツの悪そうな顔をされたり。

勤めてからは、支社の営業の人と社内メールでやり取りすることが多く、ある営業さんと何ヶ月も社内メールの関係が続いていたある日、急用で電話がかかってきて、私に代わってほしいと言うので、私ですけどと言ってはじめて「え!女の人だったの??」となったことがある。

そんなかんじだもんだから、名前の由来を尋ねられることも多かった。
質問に対しては、何か素敵な由来があれば良かったのだけど、親からは漢字の意味そのままみたいなことしか告げられず、「姓名判断してもらって画数の良い候補が2つあがって、その2つからなんとなくこっちがいいかなぁで決めた」というのが本当のところだ。

その姓名判断をしたのは、母方の祖母の兄である。
別に占い師のようなことをしていたとは聞いてない。趣味の姓名判断に自分の名前を託されたのは少しどうかと思った、、、
けれど、祖母も母もなんだかそれが誇らしげな雰囲気だったので、私もまぁまぁそういうことかということで、由来を聞かれた時には「姓名判断ができる親戚に聞いて、画数が良い名前をつけてもらったみたいだ」と答えていた。


その事実が捻じ曲げられたのが20代のある日。
祖母と、その祖母の兄の家を訪ねることになったことがある。
当時、すでに母は脳卒中で倒れていて、父はアル中だし、一緒に行った祖母自身も認知症の気配がし出していた。
自己認識としては、自分はそんなに幸せではないと思っていた時期だ。

もしかしたら祖母の兄もまた、当時少し認知症の気配が出てきていたのかもしれない。
祖母の兄の息子夫婦なども同席していたのだけど、私に向かって「ちょっと名前みてやるわ」と言い出した。

「?」
となったのは、たぶん私だけじゃない。
しかし、誰も口を挟めずに姓名判断が始まってしまった。

20数年前に自分がつけた名前を自分で診断するという謎の時間。

まぁ、いいに決まってんじゃんと、愛想笑いをしながら、ニコニコ聞いていた。
が、、、

雲行きが変わる。

「あぁーー、、、これはちょっとなぁ」
と呟いた。

な、なに??

「ちょっとアレだわなぁ」

「肺の病気とか気をつけた方がいいな。あと脚もなんだかんだ、、、事故も気をつけよ(細かくは忘れた)」

と、険しい顔で微妙に悪いことばかり言ってくる。。。

これはどうしたもんか、と苦笑いを始めたところに、トドメに
「俺が名前みてやれば良かったなぁ。」
はっはっは。みたいな感じになったので、ついに嫁から突っ込みが入った。

「ちょっと!お義父さんがつけたのよ、この名前!(笑)」

祖母もまだ認知症の症状が軽かったので、
「そうだよ。にいさんがつけたんだがね」と。

とんでもない事実を忘れていた祖母の兄、焦る。

「え、ほんとか!?えっ、嘘だろ!俺ならこんな名前つけんて!
ほんとか??あれ、俺なんでこんな名前つけてまったんかなぁ」

ここから、何とか弁解しようと出てきた言い訳がこれだ。
「でもおまえ、若い頃は苦労無かっただろう?若い時はいいんだわ。」
(いや、今もまだ若い方だと思うけど)
(確かに16くらいまではわりと幸せだったかもね)

この言い訳にも、当時の私の事情をみんな知ってるわけだから、苦い笑みを浮かべるしかない。

「女だで、最初が良けりゃいいと思ってつけたのかもしれん。はっはっはっ。
はよ名前変えることだわな。はっはっはっ。」
結婚が当たり前ではなくなった時代に、なかなかの言い分だ。年寄りだから許される。


そんなわけで、早く名前を変えることにした。
というのは、もちろんその姓名判断を信じたわけじゃない。
が、実家というか父から逃れる正当な理由は結婚しかないと思っていたし、早く旧姓を捨てたいという気持ちをさらに強くしてもらったと言えなくもない。

最後に、祖母の兄は言った。
「ただ結婚して苗字が変わればいいってもんじゃないんだ。」
「完全にその苗字の人間になって、旧姓で呼びかけられても振り向かない程度にならなくてはいけない。」 

その言葉はなぜか心に残った。

早く旧姓から逃れたかった私だが、結局は彼氏彼女の関係から結婚に結びつくことはなく、30歳で結婚相談所に入って3人目に会った旦那と31歳で結婚した。


結婚して名前を変えて、もうすぐ10年経つ。


今や私は旧姓に触れることはほぼない。
母が死んだ時、父が母の遺骨を母方の墓に入れることにした。
父方の墓が遠いのと母方の祖父母と同居していたため、私も賛成した。

3年前に父が死んだ。
夫婦別々の墓に入れるのも変だと思い、父も母方の墓に入れた。
なので、彼らは旧姓ではない墓に眠っている。

父には兄がいるが、父が死んだ一年後にその伯父も死んだ。
私は女のひとりっ子。伯父にも娘が2人いたが養子をとることなく結婚してしまった。
父方の祖母は99歳まで長生きしたが、その祖母も亡くなり、今や旧姓を名乗っているのは伯母(父の兄の妻)だけになってしまった。

どんどんと、名前が消えていく。
父の故郷にはよくある名前だが、世間一般にありふれているというわけでもなく、実生活で同じ苗字をたまたま耳にするということもない。
昔からの友人も下の名前で呼ぶ人としか付き合いが残ってない。

父が死んでから空き家になっていた実家の家は壊して土地も売ってしまったので、旧姓のままの私宛の手紙が届くなんてことも皆無になった。

もう完全に忘れて生活している日もある。
完璧ではないか。

旦那と結婚してすぐに、私は人生で最大の困難に陥って、結局名前なんて関係なかったと思ったが、今思えば好転反応だったのかもしれない。
今、とても平穏だ。

なのに、こうなると30までの自分がどんどん無かったもののように空虚さが出てくるようになる。
昔話をしないわけではない。ただ名前を聞かないというだけ。私が消えてるわけじゃない。
頭では分かるのに、感覚的に虚しさを感じるのは、それが名前が持つ力なんだろうと思う。

一つだけ最後に、あるメールアドレスの登録が旧姓のままになっている。
差し出し人は旧姓の私の名前になっている。
頻度が少ないとはいえ、たまにこちらを使ってやり取りをすることがある。
相手方を思えば、これこそさっさと変更するべきものだ。
なのに、これを変えたらもう全てなくなると気づいてから、変えることができない。
メールの本文に、今の姓と旧姓を両方書いていて、相手としては「他では旧姓で仕事をしてる人かもしれない」と思ってくれているかもしれない。

変なとこにこだわっていると思うが、このメールの設定を変えた時に、ようやく私は旧姓を忘れた、捨てた、と言えるのかもしれない。
その先が、かつての姓名判断のように光なのか分からない。
案外寂しくもなんともなくて、スッキリするだけかもしれない。

こんなこと、ずっと考えるようなことでもないけどもう少し逡巡してみようと思う。






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