七緑 一翠(Nanatsuka Issui)

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「想うこと」と「吐き出すこと」の間には1億光年くらいの壁があると私は思っている

誰かを殴ってやりたい。 そう思ったことが無い人なんているだろうか。 私は毎日のように思っているかもしれない。 ただ、それほど心が荒んでいるという訳ではない。 自転車で車道を逆走するおばさん、 スーパーで走り回る子供、 歩きタバコをするおっさん、 見かけるたびに「永遠の眠りにつけばいいのに」と思っている。 しかし当たり前だが、眠らせるべく行動をとることはない。 ここは曲がりなりにも法治国家だ。 そんなことをしたらどうなるかは分かりきっている。 まったくリスクに

    • 自己肯定感というバズワード化してしまった言葉に想うこと

      自己肯定感という言葉の違和感の端っこをようやく捕まえられた気がするので、この感覚が薄れる前に記しておこうと思う。 既にバズワード化されてしまっているように思える自己肯定感という言葉は、 シチュエーションによってその使われ方も定義も異なっているように思う。 世間で一般的に自己肯定感と呼んでいるものは、 私は自己肯定力なのではないかと思う。 言葉遊びには違いないが 「感じる」ことと「能力」であることは別物だろう。 自己肯定力がとても低くても 自己肯定感がとても高い(満足

      • 本当に大切な人を守れるのなら私は薄情でかまわない。

        あなたは10億円と母親の命を天秤にかけられたらどちらを選ぶだろうか。 100億円でもいいし父親や配偶者に置き換えてもいい。 私はこんな究極の選択が好きだ。 それは自分の本当の心を教えてくれるからだ。 この答えはどちらでもいい。考える過程にこそ意味がある。 - 対象人物に金額に見合う価値があるか - 自分にとってどれだけ大事か - 逆にお金がそんなに大切なのか - どちらかを選んだ後にどれだけの後悔があるか これくらいの思考が直ぐにされるだろう。 せっかくなので考

        • 「いいね」をすると自分の中の何かが減っていく気がしていた。

          ご多分に漏れず、いくつかSNSをやっている。 そのほとんどは自己顕示欲を満たすためのものであり、よく考えれば生活にそれほど必要とも思えない。 フォロワーも現実の知り合いばかりでその数も決して多くはない。 これは私自身のことでもあり、こんな駄文を読んでいるあなたのことでもあるだろう。 自己顕示欲を満たすには読者の反応が必要だ。それも共感が不可欠であり、批判などされたらベランダから飛び降りてしまいたいほどアウトプットしたことを後悔する。 布団にうずくまり、枕に口をあてて

        「想うこと」と「吐き出すこと」の間には1億光年くらいの壁があると私は思っている