テキトーの深み。

先日、とある動画内で言っていた言葉に引っかかりまして。
「『適当』っていうのは、『適当に当分するってことだから、それができるっていうのは、ある意味すごいことなんですよ』って。

別にハウツー的な動画では無かったし、まさかそんな言葉を聞けるなんて思いもよらない感じだったんですけど。でも、今確認したらどこで言ってたのかってくらい分からなくて諦めました……そんなに長い動画でもないのに、見つけられないなんて、まさか幻聴でしょうか。内容が生き霊憑いてるか的な動画だけに、かなーり今ビビってます。嘘だったらめちゃ怖いヤツです。

話は戻りまして。正直、テキトーって悪い言葉に聞こえることがあると思うんです。わたしはテキトー人間なんで、まぁ中途半端というか、どっちつかずというかもうフラフラしまくりなので。
テキトーっていうのがすこし引けてきました。わたしの場合、意図的とか無意識に当分しているんじゃなくて、「あ。 普通にサボってんだろうなぁ」みたいな感じなので。

今日、歩いていたら銀杏がたくさん落ちていて。
何の話やって感じですけど、「あー、もう秋だなぁ」、「でも匂うなぁ」みたいな。とにもかくにもオイニーがゴイスーだったわけですが。
あの銀杏って、茶碗蒸しに入れたらめちゃ美味じゃないですか。わたしは好きで、最後にとっておいて食べちゃう人なんですけど。皆さんはどっち派です? あ、どうでもいいですね。

銀杏ってあんなに匂いすごいのに、料理にするとすごい特別な物になって、それは光りを放つというか。
そういう感じで「適当」って言葉が、今まで黒ーいダークなイメージだったんですけど、ちょっとした話で、まさかの良い言葉に脳内で変換できたというか。ほんと、意味の語源ってちゃんと調べないと、間違って使ってばっかなんだろうなぁと思いました。

そういえばこの間、「フォントに騙されるな」って「news every.」の藤井アナウンサーが言っていて。あ、これまた何の話だってなりますけど。
SNSとかのフォントってすごく綺麗で、ダイレクトにあたかも正当な表現のように入ってくるけど、だいたいの人は羨ましかったり、ただその人に言いたくなってしまったとかそういう軽い気持ちで呟いているだけかもしれないから、あのフォントをそのまま鵜呑みにしないでおけば、少しは楽になるんでは無いか? 的な話を、テレビの音楽番組というこれまた全然関係ない路線のところから聞けた言葉なんですけど。

「適当」って書くのと、「テキトー」って書くのでは見え方が違います。
やっぱりわたしの中にいるのは、「テキトー」なんですよね。
でもちゃんと出来てないから、使って良いのか? いや、でも意味合いとしては間違って使ってはいないか? みたいに考えちゃうんですが。

見え方、感じ方、捉え方で色々傷つくこともあるし、SNSなんかは特にあると思うんですが。意味をしっかり受け止めておけば、フォントに騙されなければ、少しはそのまま自分の体内に、心に入れずに済むのかなー? なんて、ちょっと思いました。

素敵な日本語たくさんあるので、良い言葉とか、本当に意味深いものが飛び交って、穏やかに過ごせるような社会が、やっぱり一番いいですよねぇ。

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