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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#13

 食堂で昼食を取った二人は、まっすぐに宿へと帰った。そして、自分たちの部屋に戻ろうとしたところで、訝しげな顔をして部屋のドアを見ているミックと出くわした。
「あ」
「……あ、じゃなーい。君らさては外に出たね?」
「い、いや、ちょっと宿の中の探検にさ――」
「やめとけヨハン。こういう時は素直に謝るもんだ」
 ユルクの言葉に、観念したように頭を下げかけたヨハンだった、が。
「って、ユルクの兄ちゃんだって一緒に外出ただろ! なんでタニンギョーギだよ!」
「うっ。す、すまん、ヨハン。あとミック」
「ついでのように謝られてもなー」
 ぞんざいな謝罪を受けたミックは微妙に不満げな顔したものの、「まあいいや」と言ってそれを受け入れ二人を客室に入れた。そして、
「……で、何も無かった? スリに遭ったり変な人に絡まれたりしなかった?」
 無かったと言いかけ、ユルクはふと、あの路地裏で会った不可解なことを言っていた男のことを思い出した。
「そう言えば、路地裏で変なヤツに呼び止められたよ。浮浪者……みたいな感じで、竜が出たことを知ってた」
「君ら、浮浪者に呼び止められてホイホイ近寄ってったのかい?」
「いや、ヨハンがな」
 ユルクの簡素な説明に「セキニンテンカ!」とヨハンが叫ぶ。どう考えてもヨハンが悪いとユルクは思いつつ、そこで男から語られたことを、ミックに説明した。
「――とまあ、今にして思えばホラ話だったのかも……みたいな話だけどな。ただ、どうにも真に迫ってて。もしかしたらあの男が言ってたこと、全部本当のことなんじゃないか? 王家に流れる竜の血、それに竜の金。そして、竜が認めた最後の王族、フリードリヒ――」
「兄ちゃん、フリードリヒの……イジ? のことバカバカしいとか言ってなかった?」
「いや、言ったけど……でも、もしかしたらってこともあるかもだろ? なあミック、心当たりとか無いのか?」
 ミックは眉間に深いシワを寄せ、首を横に振った。
「悪いけど、無いね。話に筋は通ってるけど、そもそもフリードリヒが竜に認められた王だったというのも、信憑性があるとは思えない。その王……正確には王族が竜と交流を持ってたなんて話、聞いたことも無いよ」
「そっか……」
 肩を落とすユルクとは対象的に、ミックの表情は変わらず、淡々と話を続ける。
「あるかどうか分からないものに縋るわけにはいかない。そのためにも、僕らはできることをやらなきゃだ。ヨハン、アイゼンシュミットに取り次いでもらえることになったよ。二日後の夜だ」
「おっ。その時になったら、預かってた文書を届ければいいんだな?」
「うん、頼むよ。で、ユルクは僕について、カール王子に会ってもらう」
「会ってもらう、ってマジで会えるのか? あと、会って何するんだ?」
「特には何もユルク、君は……そうだね、簡単に言えば存在が取引材料になる」
「存在が……?」
 ミックの言葉の意味が分からず、ユルクは首を傾げる。だが、ミックからの説明は言葉少なだった。
「心配しなくても、交渉は僕が主体になる。君は特に何かを言う必要は無い」
「……ホントにそれでどうにかなるのか?」
「王子様次第だね。不満かい? 何なら、君が説得を試みてもいいけれど」
 ユルクは即座に首を振る。ミックよりも自分が、交渉に適しているとは思えない。そういうことはミックに任せるべきだろう――しかし。
(本当にそれでいいのか……?)
 何とも言えない、喉元に何かが突っかかるような、収まりが悪い不快感。上手くいくか否かという以前に、自分の意思が挟まらないところで自分が使われているという状況。自分でも納得した上でミックに任せているはずなのに、頭に浮かぶのは『これでいいのか』という思いだ。
(任せるのが嫌なんじゃない。そうだ、これは――)
 ――信じられないのかもしれない。
 ユルクはそのことに思い至ったが、それを口に出して言ったりはしなかった。ここでそれを明言したところで、何にもならない。ミックのやり方に背いたところで、別の案が思い付くわけでもない。ともかく、信じられなかったとしても、任せる他に道は無かった。

 ――二日後。

 夜の帳が降り、喧騒の波に飲まれた街へとユルクたちは繰り出した。先に宿を出たのはヨハンで、まだ日が落ちきらないうちだった。ユルクとミックはそこから更に時間が下り、王都が最も(本来の姿らしからぬ)賑やかさに包まれる時間に出発した。
「……にしても、本当にこの街のどこかに、この国の王子がいるのか?」
 道中。客引きに袖を引かれないよう、早足で歩きながらも、再び目にした悪い意味できらびやかな街を横目にユルクは呟く。特にミックに向けて言ったわけではなかったが、ミックも暇を持て余していたのか、話に乗ってきた。
「逆説、この街から受ける印象に似つかわしい人物だってことさ。地位さえあれば街の景色すらも変えてしまえるってわけだ」
「それが俺には分からないんだ。いくらこういう街が――」
 そこでユルクは、ちらりと通りがかりの店を見やる。酒場のように見えるが、入っていく客が開けたすりガラスの窓の向こうには、席に座って酒を飲む男にしなだれかかる女の姿があった。
「――王子に必要とされてるからって。街に住んでる人が、いきなりみんな……ああいう仕事をしだすものなのか?」
「金になればするんじゃない? 人間っていうものはそういうものだろう。……いいじゃないか。別に強制されてるわけじゃないんだ、彼らは。君がそんな顔をするようなことじゃない」
「そんな顔?」
「嫌でしょうがないって顔」
 軽く首を傾け、ミックはユルクへと視線を向ける。その目は、呆れたような目つきをしていた。
「確かに前の王都の良さはないし、僕はこの街を醜いとも思う。けど、これが人らしさってものだろう。短く脆い命で、最大限の幸福を得ようとする。その欲望が人自身どころか街並みすらも豹変させる。自然なことだよ」
 ミックの言葉にユルクは「自然? こんなものが?」と、思わず声を張った。ミックは足を止め、軽く口元に指を当てる。
「声が大きいよ……」
「す、すまん」
「君の嫌悪はごもっともだし、拒絶したくなる気持ちも分かるけどね。これが人の欲さ。北の竜にも勝るとも劣らない、ね」
「………………」
「安心しなよ。人の命は短い。百年経てば、この街を望んだ王子もいなくなる」
「一緒に王家と王都も無くなってそうだな……」
 縁起でもない言葉を受けながら、ミックは再び歩き出す。ユルクもそれに続く。やり取りを聞かれただろうかとユルクは周囲を見たが、街の者の目は同じ欲を抱く人間を見つけようとぎらつき、ユルクたちには見向きもしなかった。

 五分ほど歩いただろうか。

 街にある建物の中でも、ひときわ目立つ三階建ての建物。三階建て自体は珍しくもなかったが、その外観の装飾の華美さは、まるで小さな宮殿のようだった。灯火の赤い火が映える白い壁に、黄金の装飾。磨かれた黒檀の大看板には『ウンス・アンゲルネーメレ』と金の掘り抜きで記されている。店の前には呼び込みがいない代わりに、警備の者らしい屈強な男が立っている。
「入るよ」
「あ、ああ……」
 圧倒され、知らず立ち竦んでいたユルクはミックに促され、その後について店へと入っていく。
「……う」
 重厚な扉を開いて中を見た途端、ユルクは呻いた。内部は外観以上に綺羅綺羅きらきらしい。手すり、燭台、花瓶の蒔絵にまで金が使われていて、天井から吊り下がるシャンデリアのまばゆい光をこれでもかと照り返している。比喩でなく目が痛くなりそうな光景だった。
「……王宮より豪華なんじゃないか……?」
「かもね。……なにせ王宮の財の一部がここに注ぎ込まれてるんだから」
「なんだよ、それ」
「ま、あくまで噂だよ。もっとも、ここの相場と出入りしてる回数から逆算すれば、離宮の一つも立つような金は落ちてるだろうけど……さ、あまり離れないでね。きょろきょろもしない」
 言われるまでもなく、ユルクは比較的色合いの落ち着いた、誰もいない壁の方へと視線を固定させた。金のきらびやかさから目を背けても、ロビーにはそのきらびやかさに似合わないような、体格の良い男が立っている。目を合わせれば何を言われるか分かったものではない。
(一応客? として来てるはずだし、つまみ出されたりとかは……な、無いよな)
 ユルクは思わず自分の服の裾を見た。服装自体はミックが用意したとあって仕立てが良い。が、こんな場所に釣り合う格好かというと、そういうわけでもない。――そもそもどのような格好ならば似つかわしいのか。それすらもユルクには分からないのだが。
「――ええ、彼も……はい、予約通り真珠の間に」
「かしこまりました。真珠の間までご案内します」
「お願いします。ユルク、行くよ」
「あ、ああ……」
 ユルクは顔を上げた。案内に従って階段を登って廊下へと進み、更にそこにあった階段を登る。最上階は左右に廊下が伸び、扉が四つある。そのうちの一つにユルクとミックは通された。
「こちらが真珠の間です。どうぞごゆるりと、お楽しみになってください」
「ああ、どうも」
 案内役の男の去り際、ミックはその手にチップを渡し、そして真珠の間の扉へと向き直った。
「この先に王子がいるのか?」
「いや、まだ会えないよ」
「……?」
 まだ、とはどういう意味かと首をひねるユルクに、ミックは「中で説明する」と言って扉を開ける。軋む音もなく滑らかに、彫り込みを施された扉が開く。
 ふ、と鼻先を、かすかに甘い香りが掠める。
(……花のにおい?)
 だがそれは、ユルクがよく知る野花の香りではなかった。もっと複雑な、深みのある――
「いらっしゃいまし、ミック様。ユルク様」
 香りに気を取られていたユルクは、部屋の中の様子に遅れて気づいた。ミックの後ろから室内を覗き込むと、そこには女が一人いた。深く下げられていた頭が、おもむろに上げられる。微笑みを浮かべるその白い面は、
「び、美人だ」
 ……と、ユルクが思わず口にするほどのものだった。この部屋の名に相応しい、真珠のように白くなめらかな肌。結い上げられた黒髪は艷やかであり、唇は抑えた赤色の口紅に彩られている。ユルクは一言発して、そしてたじろいで視線を外した。村に入り込んできた獣を恐れること無く狩ってきたユルクは、何故か目の前の、ほっそりとした女一人に圧倒されていた。

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