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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#5

 商人バルボがいる宿は、町の中心部にある時計台広場に面したところにあった。ユルクが寝かされていた宿屋『シュトロ亭』はそこから北にある通りから、更に一本横道入ったところにある。ユルクには信じがたいことだったが、シュトロ亭は確かに中程度のランクの宿で、時計台広場に来るまでにも同じ規模の宿や商店、果ては民家らしいものまであった。
 ユルクはそれらの建物、特に時計台広場に驚きミックに話を聞きたがったがミックは「そんなの後あと!」と言って、初めて見た町の風景にいちいち足を止めるユルクをバルボのもとへと引っ張っていった。

「……さあ着いたよ。ここがホテル・グラントバージヴィンだ」

 案内された宿の前に、ユルクは棒立ちになる。窓の数を目で追う。三階建てだが、一つのフロア、特に一階部分が高い。やたらと多い窓は装飾的な柱に飾られ、優美なアーチ状の玄関を多くの人が行き来していた。
「でけえ……」
 呟いているユルクにミックは何度目か分からない呆れ笑いを浮かべ、その背中を押し、ホテルの中へと入っていった。ホテルの中もこれまた豪華で、床には赤い絨毯が敷かれ、天井には金色のシャンデリアが吊り下げられ、階段の手すりやカウンターは木目が見えるどころか顔が映るほどに磨き抜かれていた。
「ユルクー、そこに突っ立っていると人にぶつかるよ」
「あ、うん……な、なあミック。俺、なんか場違いじゃないか?」
「そうでもないんじゃない? こういうところには使用人とかも出入りしてるから」
 ユルクはロビーを行き交う人々を見た。しかし、誰もが皆ヴァイツ村の住人よりも上等な服を着ているので、見た目からは全く身分が分からなかった。
「ここの景色は後でいくらでも見なよ。行こう。バルボは二階にいる」
 ミックは先に立って階段を登っていく。ユルクは慌ててその後を追った。バルボの部屋は二階の角部屋にあり、ミックがドアを軽く叩いて名乗ると、「入れ」と低い声が返ってきた。
「失礼します、バルボ様。先日救助したヴァイツ村の生存者、ユルク氏をお連れしました」
「……し、失礼します」
 ユルクは緊張に身を固くしながら、頭の中にある父から教わった礼儀作法をどうにか引っ張り出しつつ部屋に入った。部屋の中はホテルの外観に違わず豪華だった。が、ユルクの頭にはまったく入ってこない。全神経がともかく、部屋の長ソファに腰掛ける一人の男に向いていた。
 その男は、室内だというのに背に紺色のマントを羽織っていた。顔はいかめしく、眉が薄い。そして何よりユルクの予想を裏切ったのは、その男、バルボの体格が良かったことだった。背は決して高くないが、商人というより兵士や騎士のような体つきは、仕立ての良い背広越しにも見て取れた。
「ようこそ、ユルク。そこに掛けたまえ」
「は、はい」
 ユルクは促されるまま長ソファの斜向かいにある、ひとりがけのソファに腰を下ろした。ミックは立ったまま、ユルクの斜め後ろに陣取る。
「ミックからもう聞いているかもしれんな。私はバルボ。行商人だ」
「ど、どうも……ユルクです。こ、この度は命を助けていただき、ありがとうございました」
「礼には及ばない。なにせ返礼は先に徴収したのだから。……さて、そのことについてまずは話しておこうか」
 バルボの言葉に、ユルクは思わず前のめりになりそうになった。返礼、とはバルボが売り払ったという、父から譲られたあの剣のことだろう。
「無断であれを売り払ったことについて、まず先に謝ろう。すまなかった」
「……いえ」
「あの剣についても話すべきことはあるが、先に私があのヴァイツ村に赴いた理由について話そうか。
 ユルク。恐らく君はミックから私のことを少しばかり聞いたはずだ。そしてこう考えたのではないかね。何故、今まで村に来たことが無かった商人が都合よくあのタイミングで来たのか? と」
 ユルクは頷いた。ミックに販路拡大ではないかと説明されても、どうにもそこは違和感があった。
「ミック……さんは、販路拡大のためと話していましたが……そもそもうちから売れるのは小麦ぐらいだし、商人から景気よく何かを買えるほど裕福でもありません。たまたま通りかかるような場所にも無いし……」
「ふむ、そこまで考えたか。君には商才があるかもしれないな。その考え方は正しい。商隊がヴァイツ村に向かう予定は無かった。私は馬車の一台でヴァイツ村に向かった。北の山から竜が飛び立つのを見て、な。この理由について、君はどう考える?」
 話を振られ、ユルクは真剣に考えた。そして言った。
「人助け……?」
「だと、思うかね。君の命の対価に私は剣を売り払った」
「うっ……ですよね……」
「思ったことを無礼を承知で言わないのは、君が真っ当な教育を受けた証拠なのだろう。しかし、君が教えられた道徳よりも、商人は利を優先する。
 そうだ、私は金のために動いた。村に乗り込んだ私は、残った金目の物、そして何より竜が残した物を、集められるだけ集めて荷馬車に放り込むよう人足どもに指示を出した。遺体の埋葬などもちろんしない。後から来るだろう国の人間がやればいいのでな」
 話を聞くうちに、ユルクの顔はみるみる歪んだ。バルボの堂々とした振る舞いは彼を立派な人間に見せていたが、その言葉はやはり道理に反している。ユルクにとっては受け入れがたい理屈だった。
「その火事場泥棒の最中に君は発見された。そして、人足に見捨てられようとしていた君の助命を指示したのが、そこにいるミックだ」
「どうもー」
 ユルクはちらと後ろを振り返ってミックを見た。そして、バルボに向き直って口を開いた。
「……どうして俺を助けたんですか? 剣だけ奪って、見捨ててもよかったはずなのに」
「ひとつはミックがそう嘆願したからだ。ミックはバルボ商会に来て間もないが大変な目利きであり、重宝しているので要求を聞く価値がある。
 そしてもうひとつは、竜から生き残ったということ、そのものが価値になるからだ」
「生き残ったことそのものが……価値?」
 意味を飲み込めず、ユルクはオウム返しに言葉を繰り返した。バルボは深く頷き言った。
「集会を開いて体験談を語ったり、自伝を出したりなど稀有な体験は価値を生むのでね。しかも人々は不安を感じ、情報を求めている。君の見聞きしたもの全てが、値千金の価値になるよ」
「なっ……! 俺にあの……あの出来事を売り物にしろって言うんですか!」
「嫌かね。少なくとも君は生活に困らなくなる。家、財産、就労場所、君は全てを失っているわけだが……これからどう生きるつもりかね?」
「靴磨きでも荷運びでも、何だってやりようはあるでしょう」
 吐き捨てるようにユルクは言う。腹の底にむかつきを覚え、目眩がしそうだった。対するバルボは至って平素で表情を変えない。
「まあ、そう言うだろうとは予想していたよ。それに、この価値はさしたるものではない。ただの娯楽、庶民の楽しみだ。最もこの情報を高値で売れるのは人々などではない。国だ」
「……国?」
 嫌そうな顔はまだ崩さず、しかし興味を引かれ、ユルクは聞き返した。
「竜が現れ領地を攻めた――というのは未曾有の事態だ。百二十年前にこのマインライン王国が一度王位継承者の全てを失い、その際に北の竜が攻めてきたという記録が四十五年ほど前に記されているが、書物に記されているほどの竜との戦いがあったかどうかは定かではない」
「民間人レベルだとあるんだけどね、竜と人との戦いは。それもほとんどは正面切っての戦いじゃなく、奇策を用いた人間側の勝利……しかも誇張されてるとしか思えない与太話ばかりだ」
「これが何を指し示すか……もう分かるだろう」
 重い口調でバルボは言い、そこでようやく表情を少しばかり変えた。顔をしかめ、その強面はさらに威圧感のあるものになった。
「我が国には竜の脅威があるにも関わらず、竜と戦う方法が残されていない。……いや、本来ならばそれはマインライン王家が知っているはずだ。だが、実際に人に危害を加える竜が現れたというのに、国は動いてはいない」
「そんな……馬鹿な。あんなのがこの町に来たら、ヴァイツ村みたいに……何もかも燃やされ、破壊されてしまう!」
 こみ上げる吐き気をこらえて、ユルクは言った。バルボはふんと鼻を鳴らし「だろうな」と同調を示す。
「そういうわけで、私は君を軍に売る」
「なるほど、俺を軍に……って、ええ!?」
「国の長、つまり国王が呆けていようと軍は有事に動かねばならん。王が命令どころか敵の情報一つ紐解かぬのであれば、軍は勝手に動くしかない」
「は、はあ、そりゃそうかもしれませんけど……」
 軍が勝手に動いてもいいんだろうか――と言いたくなったユルクだった。ここ百年ほどで騎士団は王国軍と名称を変えたが、騎士だった頃と同じように、軍人だって王に忠誠を捧げているものだとばかりユルクは思っていた。だがどうにも、現実は違うようだった。
「あー……そうか、ユルク、君は今の王をあまり知らないんだね」
 ユルクが首を傾げているところを見て何か察したらしい。ミックが困ったように言った。ああ、とユルクは返事とも相槌ともつかない声を上げる。
「軍に竜のことを話すかどうか別としても、それなら王都に行ってみたほうがいいよ。状況が状況だけど、若いうちに見聞を広めるに越したことはないからさ」
「ユルク。君が何を目的とするかは君自身が決めることだ。しかし、もし軍に取り入り竜の情報を少しでも伝えるというのなら、王都までの馬車と旅費を出す」
「……情報を売りに行くのに、俺に金を出してもいいんですか?」
「商売とは仕入れて売るものだ。出費なくして収入も無し」
 ユルクは一度頷き、そして数秒の後に「分かった」と言った。
「王都に行く。それで、軍に会います」
「交渉成立だな。詳しい話はミックから聞くといい」
「分かりました……っと、そういえば。俺の剣の話は――」
「ああ、すまん。すっかりと忘れていたな。あの剣だが……鑑定したところ、あれはとんでもない曰く付きのものだ。とてもではないが一個人が所有していいものではない。言い訳にもならんが、売らざるを得なかったというのが実情だ」
 曰く付き、と聞いてユルクは不思議に思った。あちこちを放浪していたらしい父から譲られた剣は、簡素な見た目に反してよく切れた。もしや戦場で千人の血を啜ったとかそういう――? などという、おっかない想像が頭をよぎる。
 だが、実態はもっと現実味があり、そしてとんでもない話だった。
「あれは四十年以上も前に王家の手から失われた国宝。さっき話した百二十年前の人と竜の戦争の折に振るわれた、竜殺しの刃。その剣の名は、当時の持ち主の王の名を取ってこう称された。
 ――王剣、バルドゥルスと」
 ユルクは絶句した。宝剣バルドゥルス。いくら田舎者とはいえ、その名ばかりは知っていた。というか、その剣の逸話を寝物語に語ったのが父であり、そして剣の持ち主だったグスタフだったのだ。



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