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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#1

【あらすじ】

放浪騎士の息子ユルクは、ある田舎の農村で平穏な生活を送っていた。
ある日、村の警鐘が鳴り響いた。村の者は口々に、大イノシシが森の中に現れたと言う。森へ入り難なくイノシシを退治したユルクだが、一つの疑問を持つ。こんなに巨大なイノシシが村の近くに現れるのはおかしい。何か異変が起こっているのではないか?
翌日。異変を探るべく、ユルクは再び森へと向かった。そしてそこで、驚くべき存在をユルクは見たのだった――。



【一章】

 麦が実り、黄金の穂がさざ波のようにそよいでいる昼日中のことだった。
 カン、カン、カン!
 と、打ち鳴らされた警鐘に、ユルクは刈り取りの手を止め顔を上げた。拍子に、少し日に焼けた額から汗の粒が流れ落ちる。今日は日差しが強く、金色の髪が汗で重く湿っていた。短く切り上げた髪と顔をまとめてタオルで拭き、ユルクは刈り取った麦の束を担いで畑から出た。
「おーい、ユルク兄ちゃーん!」
 真っ直ぐに伸びる農道の向こうから、まだ幼い年頃の少年が駆けてくる。よほど焦って走ってきたのだろうか、大粒の汗で全身をぐっしょり濡らしていた。
「ハンス! 何があった?」
「ユルク兄ちゃん……それが、森の方からでっかいイノシシが出たって」
「イノシシ?」
 ユルクは首を傾げた。イノシシ程度で村の警鐘が鳴るとは思えない。警鐘は、火事や盗賊、あるいは魔物が出た時に鳴らされるものだった。
「デカイって、そんなに大きいのか?」
「うーん……」
「……ハンス、お前まさかまたイタズラで鳴らしたんじゃないだろな?」
「え!? 違う違う! 今回のはおれじゃないって!」
 今回は、と自白したも同然のハンスの頭を小突くと、ユルクは麦の束をハンスの腕に放り込んだ。
「わっ」
「代わりに頼む。俺は行くよ」
「あ、うん! イノシシは北の森から来たってさー!」
 走り出したユルクの背中に、麦を抱えたハンスが叫ぶ。軽く手を振ってユルクはそれに答え、麦穂の海に挟まれた農道を疾走した。

 農道は、集会場や商店といった村の中心に繋がっていた。そこを更に抜けて北に向かう。緩やかな登り坂の先には教会があり、ユルクは一度そこに入った。ステンドグラスが日光を和らげながら色とりどりの光を投げかける教会の中には、年老いた神父が一人立っていた。
「おお、ユルクよ……来てくれたか」
「アントン神父! 俺の剣は――」
 走り寄るユルクの前に、アントンは一振りの剣を差し出した。彼が持つと重たげに見える長剣を、しかしユルクは軽く片手で持ってみせた。
「さっきここに駆け込んできた、エーディトが言っていたよ。森の木々をなぎ倒し、その背は人の身の丈以上にも見えるほどだったと」
「それは……イノシシというか、もう魔物だな。村に来る前に片付けよう」
「頼む、ユルク。いつも戦わせてすまんな……」
「謝らなくていい。俺は、自分がやりたいから剣を取ってるんだ」
 うなだれるように頭を下げたアントンに、ユルクは手を振って笑いかける。そして表情を引き締め、踵を返した。
「行ってくるよ。俺の代わりに、勝利を神様に祈っててくれ」
「ああ。気をつけていきなさい、ユルク」
 教会を後にするとユルクは更に北へと駆け、森の中へ入っていった。

 森は木々を伐採するための林道があった。といっても、長年あまり整備されていないためか、敷き詰められたレンガはあちこちが割れたり、剥がれたりしている。街の中より少し走りにくい道を、しかし難なく風のようにユルクが走り抜けていると、唐突に地鳴りのような音が前方から響いてきた。
 大地が、空気が震え、木々が木の葉を散らして揺れる。何か巨大なものが、木にぶつかりながら近づいてきていた。合間に悲鳴のような声も聞こえてくる。ユルクは剣を抜いた。道から少し外れた灌木の茂みがガサガサと揺れ、そこから何かが飛び出してきた。
「……お、おお! ユルクじゃねーか!」
「ラルフおじさん! 大イノシシが出たって?」
「ああ、奴はこの奥だ。罠なんかでどうにか林道に入らないようにしたが、あいつめ木をなぎ倒しながら来やがるんだ。足止めすんのがやっとだぜ」
「充分だ。後は俺がやる」
 粉挽きのラルフの肩を叩いて労をねぎらい、ユルクは剣を軽く構えた。これ以上進む必要は無かった。地響きは刻々と近づいてきている。ラルフが逃げ去る気配を感じながら、ユルク正面を見据えて待った。

 ――そして数秒と経たず、その時は来た。

 メリメリと音を立てて木が倒れる。林道のレンガが、蹄に踏まれてひび割れる。草や土を蹴散し、地響きを立てて巨大な影が姿を現した。
「ブギイィィ――!」
「……でけえ……!」
 眼前に立ちふさがったイノシシの巨体に、ユルクは息を呑んだ。その体高は人の背丈を優に超え、横幅も大の大人が手を広げたより広い。牙は曲剣のように伸びて鋭く、一突きされればあっさりと命を奪われるだろう。
 しかし、何より異様なのはあらゆる部分の巨大さではなくその目だった。
(……何だ、敵意じゃない?)
 イノシシのような野生動物が持つ、縄張り意識や餌の奪い合いから来る敵意ではない。こちらを邪魔だと思う以上に、もっと別の――
「ブキッ……ブギギー!」
 考えている時間は無かった。イノシシは一ついななき、蹄で地を蹴り突進してきた。とっさにユルクは横に飛んで避ける。すると、大イノシシはユルクを無視して林道を直進し始めた。
「マズイ……! このままだと村が!」
 ユルクは後を追って駆け出し、その体に飛びついた。そして足目がけ、手にした剣を振り降ろした。刃が肉に埋まり、大イノシシは甲高い悲鳴を上げて痛みに悶えた。巨体を震わせ、足をばたつかせて体を左右に揺さぶる。ユルクは振り落とされる勢いに乗って一度距離を取り、剣を構えてその横腹に飛びかかった。
「はあっ!」
 気迫を込めた一閃が大イノシシの腹を割く。血しぶきが飛んだが、しかしその一撃は致命傷にはならなかった。硬い筋肉が刃の勢いを削ぎ、体を守っていた。大イノシシは頭を大きく振る。牙を持つ頭が迫り、ユルクは転がるようにしてそれを避ける。
(横っ腹からじゃ急所の臓腑に届かねえ……こうなりゃ頭しかない!)
 奇しくも大イノシシの頭は正面にあった。ユルクは迷うことなく、思い切り土を蹴って距離を詰めた。大イノシシがいななきを上げて頭を振り上げようとする。しかし、牙が振るわれるよりも、ユルクがその頭に飛びつく方が早かった。
「食らえッ!」
 逆手に持ちかえた剣を、思い切り牙の間、眉間に突き立てる。剣の刃が突き刺さり、骨どころか脳髄までもを貫いた。
「ブギイイィィーッ!」
 大イノシシは悲鳴を上げ、前足を跳ね上げた。振り落とされかけたユルクだったが、しかし抵抗もそこまでだった。悲鳴はそのまま断末魔になり、暴れていた四肢も痙攣し、その動きは止まっていく。
 最後に一度、大きく体を震わせ、大イノシシは絶命した。
 ユルクは大イノシシの動きが止まったことを認めると、しがみついていたその頭からゆっくりと降り、剣を引き抜いた。
「……片付いた、か。けど、なんでいきなりこんなデカイのが?」
 死したとしても威圧感があるその大きさを見やり、ユルクは首を傾げた。自然にここまで育ったとしても、このあたりにこんな大きなイノシシが生息しているのは見たことがない。いるとすれば北の山だろう。
「たまたま降りてきた……のか?」
 少し考えてみたが、ユルクには知り得ないものだった。考えても仕方がない。今は脅威を倒したことを、村の者たちに伝えなければならなかった。


 大イノシシを倒したことをユルクが伝えると、村はその日の作業を中断してお祭り騒ぎのようになった。倒された大イノシシは村の広場に運ばれて解体され、香草と共に焼かれて村人たちに分配された。
「いやあ、よくやってくれたユルク! 流石は我が村の騎士だよ!」
 そう言ってユルクの胸をジョッキで叩くのは村長のデボラだった。恰幅のいい女村長のその言葉に、周囲がどっと沸く。
「村長、村騎士なんて褒められたってユルクもビミョーな気分だろよ!」
「そうそう、そうだぜ。ユルクの剣技は村一番の枠じゃねえ。きっと国一番の技量さ。もっと胸張りな、ユルク!」
 片手に焼いた肉の串を、片手にエールのジョッキを持った村の男衆が口々にユルクを褒め称える。ユルクは半笑いで答えた。剣の腕に自信はあった。父から叩き込まれた剣技と道義は、確かに騎士と讃えられてもおかしくないだろうという自負もあった。が、だからといって国一番はどうだろうかとも思っていた。上には上がいる。噂に聞くところによると、王の近衛兵長の剣は山を断ち川を二つに分けるという。
「まあしかし、だ……あんなに大きなイノシシが出るなんてねえ」
「村長、いくらユルクが強いとはいえ、彼一人にこの村の守りを背負わせるのは酷というものです。自警団も奮闘はしていますが……」
「おいおい神父様よ、俺らも頑張ってるんだぜ? でもユルクに頑張らせすぎてるってのはそうかもな」
「ええ? 俺は別に――」
 気にしていないとユルクは言おうとしたが、アントン神父はそれを制するように言葉を重ねた。
「そろそろこの村にも、兵の巡回要請をするべきではないですか、村長」
 アントンの言葉に、デボラは唸り声を上げた。
「そうは言うけどねえ。何度か書状を出したものの、返事は検討するの一言で結局兵士は来ず、なしのつぶてさね。期待するだけ無駄って感じだけど」
「そうですね……ですが今回は、この大イノシシの牙があります。これを持って脅威が現れたことを伝えれば、あるいは……」
「うーん、そうだね。分かった。書状は用意しよう。使者は……」
「あ、俺が行くよ」
 ユルクが手を挙げる。うん、と村長は頷いた。
「そうだね。あの大イノシシを倒したあんたが国に報告するのが一番さね。それに、あんたもそろそろ王都を見てみたいだろうし。頼むよ、ユルク」
「ああ、任せてくれ」
「ユルク! 王都の女は肌が綺麗だって話だぜ! チャンスがあったら……どんなのだったか教えてくれよなっ」
「おいハンス、子供がなに言ってんだ。てか、もう寝ろ。夜になるぞ」
「まだ眠くねーもん。そうだ! 俺も連れてってよ、ユルク兄ちゃん」
「馬鹿言え、お前には旅も王都もまだ早いって。大人しく収穫手伝ってろ」
 ユルクはハンスの頭を乱暴に撫でた。周囲でまたどっと笑い声が上がり、さらにむくれたハンスを、ハンスの母親が首根っこを掴んで家に引っ張って帰る。

 それから少しして、宴の席は終わりを迎えた。朝日と共に目覚めるこの農村で夜遅くまで起きている方が珍しい。どれほど騒々しく夜が更けようと、眠りの時間が近づけば、粛々と明日を迎える準備に入るものだった。



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