竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#4
ユルクの眠りは深く、そして短かった。
夢も見ないうちに起きたユルクは、シーツをめくってベッドからそっと足を降ろした。体の節々が痛み、筋がこわばって軋んでいた。だが、歩けないほど重症というわけでも無い。感覚を確かめるように手を握っては開き、そしてゆっくりと歩いて窓際へと向かう。
厚い布のカーテンを横に引くと、空が白み始めていた。朝日はまだ見えないが、世界は刻々と、夜から光を取り戻していた。
「…………どこだ、ここ」
明るくなってみると、部屋の中と窓の外がよく見える。ユルクが寝かされていた部屋は、ユルクが寝起きしていた教会の一室よりも遥かに豪華だった。ベッドは広く、床には毛足の長い絨毯が敷かれ、火は灯されていないが暖炉もある。漆喰塗りの壁には、半ばからつる草模様の壁紙が貼られていた。
窓の外に目を向ければ、そこは町の通りらしきものがあった。やはりヴァイツ村とは全く様相が違い、人通りはまだ少ないが、建物は密集していて、しかも大半が石造りや漆喰塗りの壁をしていた。
「うわっ。もう起きてたんだ……」
「……あ? ああ、ミックか」
窓から外を見ていたユルクは、ドアが開いたことにも気付いていなかった。ミック自身の声でようやくその存在に気づき、ユルクは振り返った。
「おはよう、ユルク……ってか、何起きてんの?」
「え、なにって……そりゃ起きるだろ、朝だし」
「いやいやいや、あの重症で三日ほどで起き上がれるようにならないから。ちょっとそこ座って」
指示に従い座ったユルクの体を、ミックはあちこち触った。肘や膝の曲げ伸ばしをさせられたり、腹のあたりを押されたりするたびに痛みが走る。が、呻いても文句を言ってもミックの反応は薄く、顔をしかめるばかりだった。
「うーん……えぇ……なにこれ」
「なにこれって何だよ……」
「これ痛い?」
「いった! 押さえられたらそりゃ痛いだろ!?」
「普通は痛いで済まないんだよ、跡が残るぐらいガッツリぶつけたとこなんだからさ。って、ぶつけた跡も無いし。君、傷の治り早くない?」
ユルクはあちこちの痛みに涙目になりつつ頷いた。
「確かに、昔っから傷の治りは早いけどさ……いて、いたた!」
「体質……かなぁ。魔女の白魔術とか、神の祝福とか、そういう特別な何かを貰ってたりする?」
「たぶんない……止めろ! 痛いって!」
「もう終わるから我慢! ……ギフトでも無いとしたら、ほんとにただ純粋にそういう体質ってことだろうね……う、ここにあった傷跡も無い」
始終渋い顔をして、ミックはユルクの診察を終えた。ユルクは深々と溜め息を吐いた。朝から何だか疲れた気分になった。
「まあ……治ったんならそれに越したことは無いか。ユルク、まずは身なりを整えて挨拶に行こう」
「挨拶?」
「僕の雇い主さ。君を助けて商隊の荷馬車に乗っけてくれた商人だ」
てっきりミックが助けてくれたものだとばかり思っていたユルクは、その事実にまず驚き、そして首を傾げた。
「……うん? 商人って……隊を率いるほどの商人なんて、うちの村には出入りしてなかったぞ。なんでまた、そんな立派な商人がヴァイツ村に……?」
「え? うーん……たまたま、かな? ほら、販路拡大は商人のサガだし」
「……?」
不可解に思いながらも、そういうもんかとユルクは納得するしかなかった。
ミックが部屋から出ると、ユルクは服を着替え(ちゃんとした服がクローゼットの中に用意されていた)外に出た。
「ああ、そうだ。ここのことについて話しておこう」
外の廊下で待っていたミックが、出し抜けに言った。
「ここはヴァイツ村の南にある宿場町、バージヴィン。の、宿屋の一つさ」
「宿屋? 村長の屋敷とかじゃなくてか?」
「言っておくけど、この宿のグレードは中程度だよ。王族貴族が泊まるような宿はもっと豪華さ」
ええ、と戸惑いとも呆れともつかない声をユルクは上げた。眠るためにある施設に、そんなに豪華さが必要なものなのだろうか。
「ま、富の使い所があるのはいいことさ。溜め込む富者なんてはろくなもんじゃないよ」
「そうなのか?」
「溜め込むことそのものが目的になるからね。使う楽しみはいくらでもあるけど、溜める楽しみは一つだけさ。……うーん、それはどうでもいいんだけど。ユルク、君は顔を洗うべきだね。一階に洗面所があるから行こう」
ミックに連れられ、ユルクは一階へと降りた。降りた途端にまた驚いた。一階は広々としたホテルのロビーになっていて、ソファや観葉植物が設置され、カウンターに立つ受付の男の身なりも整っていた。
「別世界だ……」
と呟くユルクの背中をミックは文字通り押して、一階奥の扉の先へと持っていく。そこには、小さな浴槽をそのまま壁にくっつけたようなものがあった。床も小さな浴槽もタイル張りで、浴槽の上には二つほどの鉤形の物体が突き出ていた。ユルクはそれをまじまじ見た。が、いくら見てもそれが何であるのかが理解できなかった。
「初めて見たかい? これが洗面台。これは蛇口」
「ジャグチ?」
「ここをひねると水が出る。水止めるときは逆にひねる」
「うわっ。何でだよ」
「構造を説明してもいいけどさ……」
説明してもいいと言いながらも、ミックはそれ以上は何も言わずにユルクの手を取って蛇口から流れる水へと突っ込んだ。
「つめたっ!」
「タオルはここに置いとくから、それで顔を洗ったらロビーに来てねー」
ミックが出ていく。ユルクは数秒流れ続ける水を呆然と見たが、やがて意を決して洗面台に顔を近づけ、すくった水で顔を洗った。冷たい水で顔を洗うと、まだ熱っぽかった頭が少しだけ冴えたような気がした。
さっぱりしたユルクは洋々とミックの待つロビーに入った。ミックはユルクを外へと連れ出した。
「僕の雇い主、バルボは別のところに宿を取ってる。さ、行こうか」
「え? ちょっと待ってくれ、宿を出るのか? 宿に残してきた物は」
「別に宿を引き払うのはまだ先出し、荷物の心配はしなくていいよ」
「そうか……けど、剣だけは持ってきたい。あれは大事なものなんだ」
「あー……あれね」
ミックは視線をうろつかせて、歯切れも悪く言った。「ミック?」と訝しさを出してユルクがその目を睨むと、ミックは「ごめん」と項垂れた。
「あれはもうバルボが売り払っちゃったんだ」
「は? 売、った……!?」
ユルクは倒れるかと思った。むしろ、この世の終わりが来たような心地なのに倒れていないのが我ながら不思議なほどだった。立っていられず、思わず手近なソファに座る。何か文句を言いたかったが、ミックに言っても仕方がない。なので、ただ項垂れて呆然とするしかなかった。
「あー……まあ、あれだ。挨拶なんてしたくないってなら、まあいいんじゃないかな。それはそれで、バルボは気にしないだろうし……」
「…………いや、ちゃんと挨拶はするよ……」
助けてもらったことには違いない。竜に見逃されたとはいえ、全身傷だらけの状態で処置も無しに捨て置かれれば、今よりもっと酷い状態だったかもしれない。最低限の礼は尽くすべく、ユルクは剣の重みも無しに宿を出た。
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