見出し画像

猫猫年表(1986.8.4~)その2

その1はこちら


女子校最高!部活命!な高校時代

隣県の公立女子高に片道45分くらいかけて通う。

この高校を選んだのは、女子校&進学校(大学に進みたかったので)というのも大きかったが、一番は制服!

県内でも一番可愛いというセーラー服が着たかったのだ。(同じ理由で志望する子は少なくなかった。近くの男子高との統合で再来年にはなくなってしまうけど……)

部活は音楽を続けようか迷ったが、この高校の管弦楽部(オーケストラ部、以下オケ部)は割と有名で厳しいと聞いていたので、最初は英語研究部に入った。

でもクラスにたまたまオケ部の子が多く(しかも副担任が音楽の先生=オケ部顧問)、話を聞いているうちにやっぱりまたやりたくなって、高1の2学期に入部を決める。

中学でやっていたホルン・トランペットはすでに埋まっていたので、人数不足のバイオリンパートに決定。

ホルン・トランペット・フルートと管楽器の経験はあったが、弦楽器はそれが初めて。

半年遅れの入部だったから周りに追いつくのに必死だった。

そこからはもう部活漬け!土日も含め毎日毎日練習練習。まさに「青春!」だったと思う。

毎年6月に定期演奏会(定演)をやっていて、それが部活においての最重要行事だったのだが、時期的にいつも中間テストとかぶっていたのが大変だった記憶がある。

大好きな制服が着られて、友達にも恵まれて、部活にひたすら打ち込んだ高校生活は本当に「最高」だった。

世間的なイメージで「女子校怖そう」と言われることもあるが、個人的には楽しすぎて「最高!!」しかない。(私の場合小・中が嫌な記憶ばっかりだったので、なおさら……)いじめとかも知る限り聞いたことがない。


部活三昧だったわけだが、一応進学校だったのでそれなりに勉強も大変。(あと高1~高2にかけて生徒会にも参加)

英語だけ(笑)は得意科目をキープ、専攻しようと思う外国語はコロコロ変わってたけど、「外国語系の大学(学科)に進む」というのは高1から変わらなかった。

高2で迷わず文系、高3で国立文系コースに進む。

高1から壊滅的だった理系科目を克服できないままだったため(それだけではないと思うが。笑)、第一志望の国立大外国語学部は不合格。

もともと、人気がある言語(英語とかフランス語、私が志望していたドイツ語などヨーロッパ系のメジャー言語)は偏差値が高めだった。

少しでも合格可能性を上げるためにマイナー言語にするか迷うこともあったが、「やっぱり勉強したい言語にしよう!」と前期後期ともドイツ語専攻志望にした結果の不合格だった。(マイナー言語にしてても合格確率は低かったかもだけど)

※余談:第一志望の受験の際、大阪の伯母の家で数日お世話になった。受験当日に伯母がおにぎりを作ってくれたのだが、私の苦手な梅干しのおにぎりで「受験の日にこれを食べなきゃいけないなんて!(作ってくれた伯母には申し訳ないが)」と半泣きで食べた記憶が残っている。笑

結局、センター試験の結果で合格していた某私大のスペイン語学科か、隣県のドイツ語学科という選択肢が残り、家から通える後者に決定。

ひたすら語学漬けな大学時代(前編)

第一志望には入れなかったが、念願叶って語学漬けな大学生活が始まる。

ドイツ語学科なので第1外国語がドイツ語、第2外国語が英語。

それ以外にいろいろ外国語が選択できたので、韓国語、ロシア語、中国語も4年(休学したので正確には5年)の間に選択した。

他にも選択したい外国語はいろいろあったが、大学で授業を取ると教科書代やらが地味に高いため、あとは大学の図書館で本を借りてパラパラ見てみたり、NHKの語学講座を聴いてみたり。

ドイツ語は最終的にGoethe Institut C1(C2が最高なので上から2番目のレベル)、独検準1級(これも上から2番目)を取得した。


大学2年の夏休み、初海外・初飛行機でずっと憧れていた音楽の都、オーストリアはウィーンへ1ヵ月の短期留学へ。

初海外・初飛行機で、直行便でも12時間かかるところに1ヵ月も行くとか、今考えるとなかなかチャレンジングなことをしたと思う。

が、幸い滞在先に日本人のお姉様方がいていろいろ教えてもらったので、とても楽しかった。

実は最終的にドイツ語を選んだ理由が「音楽の都で生演奏を聴きたい」というものだったのだが、それも短期留学中に叶えられた。(シーズン中は毎日のように演奏会をしていて、お手頃価格の学生チケットで見られた)

大学3年の夏休みからは休学して、2ヵ月ウィーン、10ヵ月ドイツ(南部の都市・アウグスブルク)へ

留学ではなく、ドイツ滞在は一応ワーキングホリデービザで。結局働かず、大学に聴講生として通った。

なぜか韓国人が多い所で、同じアジア系ということもあり韓国人と一緒にいることが多かった。

WG(Wohngemeinschaft、いわゆるシェアハウス)で一緒に住んでいたドイツ人も、彼女や親友が韓国人だったので、週末は韓国人いっぱい+日本人何人か(WGに私の他にもうひとり日本人がいた)+ドイツ人ちょっとという構成がおかしいパーティーがたびたび開催された。笑

私はそれまでキムチが苦手だったのだが、ドイツ滞在中に韓国料理を食べる機会が多かったため(変な話だが……笑)、すっかりキムチが好きになった。


ドイツ滞在中は鉄道のパス(それを持っていれば列車のチケットがいつでも50%オフになるというもの)を有効活用して、ドイツ各地を訪れた。

また、ヨーロッパの真ん中という立地も活用(?)して、ヨーロッパ各地へも旅行した。

ウィーン滞在中にスロヴァキア、ハンガリー、チェコ、ドイツ滞在中にイタリア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク。(北欧の物価の高さには本当に驚いた……!!!)

スロヴァキアとイタリア以外は一人旅だった。

(「出世払いで!」と親にはお願いしてお金を出してもらっていたけど、結局返せていないなぁ……うちはそんなに裕福な農家ではなかったので、留学も父が趣味で所有していた外車(多分中古)を売り払って資金を作ってくれるなど、親には本当に良くしてもらったと思う。私が滞在していたときはちょうどユーロも高くて、1ユーロ150~170円くらいしていた)


ドイツ滞在もあと2ヵ月ちょっとで終わり……というところで、私は想定外の運命の出逢いを果たす。

猫猫年表(1986.8.4~)その3に続く。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?