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猫猫年表(1986.8.4~)その1

私は他の人のブログにたどり着いたとき、ほぼほぼ設置してあるブログ管理者のプロフィールを見るのが好きだ。

「好きだ」というとちょっと変かもしれないが、その人がこれまでどんなことを経験してきたのか気になって、長くてもついつい読んでしまう。

そんなわけで、私も自分のこれまでの人生を振り返り書き出してみることにした。

簡単なプロフィール(いやこれも割と結構長いかも)は自分のブログに書いているのだが、子ども時代から今まで、猫猫年表と題して詳細に(覚えている限りで)綴ってみる。

猫がきょうだい代わりの子ども時代

1986年8月4日、台風10号が日本に接近する中、群馬県のとある農家の家庭に長女として生まれる。

1986年は寅年(しかも強運といわれる36年に一度の五黄の寅)、8月は獅子座と、ネコ科の猛獣の組み合わせという生まれである。

父が猫好きで、捨てられている猫を放っておけない質だったため、家には常に猫がいた。(この頃は十数匹といて、厳密には「庭で餌をあげていた」と言ったほうが正しい)


一人っ子だった私は、その猫たちと遊ぶのが日常で、まさに猫がきょうだい代わりだった。

幼稚園のことはあまり覚えていないのだが、初恋はSくんという男の子だったのと、親がPTAの出し物か何か?でセーラームーンのコスプレ(男の子のお母さんはドラゴンボールのコスプレ)をしていたことは覚えている。

習い事は、少しの間だけスイミングを。

なぜか「習い事」というものが嫌いだったため、習い事らしい習い事はこのスイミングのみ!

塾にすら通うことなく、進研ゼミやZ会など通信教育を受講していた。(といっても、テキスト真っ白なまま添削課題も出さずということが多かったかな……親には申し訳ないことをした。苦笑)

小6ですべてが変わった小学校時代

家から徒歩30分の小学校(1学年2クラス)に入学。幼稚園から一緒だった友達をはじめ、最初の頃は男女問わずたくさんの友達と仲良くしていた。

放課後はほぼ毎日のように友達を家に連れて帰って遊ぶほど。勉強もそこそこ頑張っていて(多分)、運動も短距離が得意でほぼ毎年リレーの選手に選ばれていた。

小4か小5くらいからクラブ活動があったのだが、陸上クラブに入って短距離を頑張り、小6のときには100mで市内4位になる。(県大会出場は3位までなので、県大会には惜しくも出られなかったのだが)


恋愛に関しては(小学校で「恋愛」という言葉は大人びすぎているかな?笑)幼稚園から一緒だったOくんを好きになり、バレンタインとか毎年何かしらあげていた。

ただ、学校生活が楽しかったのは小5くらいまで。

うちの学校はクラス替えが2年ごとで、小5・小6と同じクラスだったのだが、小6になって、私はクラスの一部の男子(Oくん含む)からいじめられるようになる。

触ろうものなら「うわぁ溶ける~!硫酸!」などと言われた。なぜ私が標的になったのかはわからないが、容姿とかかな……

ずっと好きだったOくんにまで言われたのが本当に悲しくて仕方なかった。(私がOくんを好きなことが中心人物に多分バレていて、Oくんは中心人物に逆らえなくていじめに加わっていたのだと思う)

いじめてきた男子たちは、小1の頃からあれこれ問題を起こし続けてきた(他の男子へのいじめも含む)ヤツらだったので、誰かをいじめるとかはもうそいつらのライフワークみたいなものだったのかもしれない。


担任の先生に相談して、やめるように言ってもらうとかもしたけど、正直あまり頼りにならなかった。(ここから、私の「各学校最後の年の担任は良くない先生に当たるループ」が開始する。苦笑)

女子は普通に接してくれてたのはまだ救いだったかもしれないが、このことがあって小学校の思い出はすべて最低なものに変わった。卒アルも捨てた。

ほぼいい思い出がない中学校時代

中学校では吹奏楽部に入った。陸上を続けたかったけれど、入学当初は陸上部がなかったのだ。(中2のときにできたが、時すでに遅し)

仲がよかった友達の多くが吹奏楽部に見学に行くというので私もついて行って、楽器をいくつか吹いてみて、もともと音楽も結構好きだったので入部を決める。

(ここから私のクラシック音楽大好きな人生が始まるのである……!笑)

音楽はそれなりに好きだったけど、ピアノなどを習ったことがなかったので、楽譜が読めなすぎて苦労した。(いまだにほぼ自信なし。耳頼みでなんとかやってきた)


正直、中学校生活もろくなものではなかった。というのも、うちの小学校(A小とする)は全員同じB中に進学するため、いじめてきた男子たちともまた3年間一緒だったからだ。

このほかB小の3分の1(~3分の2?)とC小の全員がB中に進学、1年時は3クラス、2・3年時は4クラスと規模は大きくなかった。

B小・C小から進学してきた男子にも何人か問題児がいて、学年が上がるにつれて荒れていった。(市内にある5つの中学の中でもその頃はかなりのレベルで荒れていたらしい)

幸い、小6のときにいじめてきた中心人物とは3年間同じクラスになることはなかった。

でも、廊下で屯(たむろ)しているところに通りかかると、小6のときに言われていたようなのと同じようなことを言われることもあった。

今思い出しても、中学はいい思い出がほとんど浮かんでこない。

生徒会長に立候補したけど落選したり、吹奏楽部でホルンからトランペットに移ったけど(トランペットの同学年部員2人がほぼ部活に来なかったため)、2人を気に入ってた先輩から冷遇されほぼ教えてもらえなかったり、……

なお、「各学校最後の年の担任は良くない先生に当たるループ」により、中1中2の担任の先生はいい先生だったけど中3は例によって嫌な先生だった。


あ、でも英語と音楽の授業は楽しかった気がする。

英語は中学から始まったが、先生がいい先生だった&多分私の語学好きスイッチが入ったのか、ずっと得意科目だった。

授業でNHKラジオ基礎英語を取り入れていて、その番組がきっかけでBackstreet Boysを知ってハマったりもした。

学校生活は楽しいとは言い難かったけれど、勉強はなんとか頑張って(数学はその頃からダメだった……笑)、無事第一志望だった隣県の公立女子高に合格する。

(そういえば本当は埼玉の外国語科がある高校に行きたかったんだった。偏差値的に厳しくて早々に諦めちゃったな)

※県境に近いところに住んでいたので、栃木や茨城、埼玉の高校に進学する生徒も毎年一定数いた。なお近年共学化が進んでいるが、群馬栃木ら辺は男女別学がメジャー&別学のほうが進学校である傾向が強かった。

猫猫年表(1986.8.4~)その2に続く。

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