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10年前のこと。

今日、10年前のことを思い出した。

きっと、今日は思い出した人が多いと思う。それほどのことが起きた日だった。今日はもちろん、この数日のテレビの特集はほとんどが震災一色になっている。

もう10年が経ったなんて。まだその日のことは鮮明に覚えている。

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2011年3月11日。東日本大震災で、千葉県成田市は震度6弱を記録した。

私は当時、成田のショッピングモールのアパレル店舗に勤務していて、その日も遅番で13時から出勤していた。遅番が出勤すると、早番が休憩に行くので、早番が戻ってくる14時くらいから、私はストックでマネキンの返却の箱詰めをすることにした。

マネキンは私の身長よりも大きいくらいなので、腕や足を分解して大きな箱に入れる。これが結構重労働で、力を入れて箱詰めしていたので、店頭にいたスタッフが、

「地震です!!」

とストックに勢いよく駆け込んでくるまで、地震に気がつかなかった。その声に驚いて、動きを止めると大きな揺れを感じる。

(これは、まずいかも)

と、あわててストックから出る。

ストックの扉の近くにレジカウンターがあり、お客様がレジでお会計をしている途中で、お財布を持ったまま呆然としている。「危ないかもしれないので、外に出ましょう」と促して、スタッフでお店に残った人がいないかを確認して、店の外に走る。

店の外は停電になって薄暗い。モールの一番近い出口までは50mくらいだろうか。とにかく急いで外に出ようと走る。

出口に向かう途中でも、エスカレーター付近の床がひび割れて隆起しているのが見えて、急に怖くなったのを覚えている。

外に出ても、余震が止まらず、建物が崩れてしまうかもしれない、ガラスが割れるかもしれないと話す声も聞こえてくる。

さらには、裏側の看板の一部の大きなコンクリートが落ちたという話まであった。

少し余震おさまったところで、店内に戻ると一部の商品が落ちていたものの、お店の中はほとんど無事だった。ほっとしながらも停電が復旧せず、時折強くなる余震におびえていると、館内から営業を終了するというアナウンスがあった。

急いでレジ締めをして、スタッフ全員で店を後にする。携帯で確認できた情報によると、道もひび割れて通れなくなっているところもあるとか。スタッフは全員車通勤だったので、全員が不安を感じながら車で帰宅した。

私の帰り道は目立った道のひび割れなどはなく、大きな混乱もなかったのだけれど、とにかく揺れる。余震が続く中、車の揺れを感じながら神経をすり減らすような気持ちで運転を続けた。

当時私は実家に住んでいて、家族5人暮らし。両親はちょうど北海道旅行に行って不在で、弟は東京の大学に、妹は仕事が休みで家にいた。地震の直後に妹に電話をしたら無事だったので安心していたものの、そのときばかりは早く会って安心したいという気持ちが強くて、家に到着して車から降りると、走って家の玄関に向かった。

玄関まで出てきた妹と顔を合わせて、思わず抱き合って半泣きになって、「よかった」と言い合った。

家の外観に損傷はなかったものの、家の中はありとあらゆるものが落ちていて、めちゃくちゃになっていた。もともと物が多い家ということもあり、二階への階段は物で塞がれてしまうほどになっていたし、食器棚の皿はほとんどが床に落ちて割れてしまっていた。

部屋のテレビがついていて、そこで初めて今起きていることを知ることになる。言葉にできない感情。信じられない映像が流れ続けるテレビを呆然と見ていることしかできなかった。こんなことが起きている。目を離せないのに、受けとめきれず、こころがおかしくなってしまいそうだった。

そして、また大きな地震が来るかわからない状態で、夜になった。

夜になっても余震が続くので、車の防犯センサーが反応して、車のクラクションが鳴り続けてしまう異常な夜。気持ちは落ち着かなくてほとんど眠れず、いつまた大きな地震があってもいいように、テラスに出られる大きな窓を開けたままにして過ごした。

家族はそれぞれ無事ということがわかっていたものの、それでも気が動転してしまって、テレビの映像を見ることしかできない無力さと苦しさ、恐怖に気持ちが支配されるような感覚。

朝になって揺れが少なくなっても、まだ自分が揺れ続けているようだった。

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その後も、地域によっては停電、断水が続き、コンビニから水や食べ物がなくなり、ガソリンスタンドには車の列ができてしまう事態。

そんな時期が続き、少しずつ回復していく日本を感じてきた。

そして10年後の今。

私は当時と違う仕事をしている。記憶を自分の中での正しい状態で残しておけるかもしれないという期待から、ライターになった自分で文章にしてみようと思った。

もっと大変な思いをしている人はいるけれど、自分の中での辛いできごとの記憶として、一つの体験談として残しておきたい。

また10年後に思い出して書き直すかもしれないけれど、今、自分にできるあの日を忘れないためのこと。

自分や誰かの命を守るためにどう行動するか。

何があっても忘れずにいよう。

ここまで読んでいだだき、ありがとうございました!もっとすてきな記事をお届けできるように、頑張ります!