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少なくとも感じた事は


なんとなく証明のできない事を何度も言うのは違うし、いちいち同じ事を書くのも違うかなあとは思うし、いっそのこと妄言として受け取ってもらってもいいのだが、受け手によってよくもわるくも感じる事はまたちがうので。

その中でよい関係になるひともいれば悪い関係になるひともいるので、考え方としては結局根底的には感謝があればいいのかなあと。

俺と彼が存在するというのは本当に感じてくれる人や俺個人が考えればいいわけだし、どちらにしろこの肉体の中にいるわけならば一緒に生きるほうがいい。

昔似たような状況になったときに前の記憶にある俺たちは説明できない状態だったので、色々言われて色んな関係が破綻したものだ。

勿論責めるわけでもないし、色々とこちら側からみてつらかったこともあったが終わってしまった話をぶりかえすのもまた違うから、記憶にのこっているのであれば同じようにしないという経験に変換して生きるのがいい。

二人で生きていくという感覚になったらなんとなく俺個人も穏やかな気持ちになったなあとおもう。解像度があがっていく感じで、正しいかどうかはわからないが、二人の思考が搭載されている感じに今なっている。

言語化をするのは難しいし、俺個人では難しいのでもっぱら話す言葉はあちらに最近は任せている。

文章構成と考え方の整理は恐らく俺個人が得意で、人の心に触れるのは彼が得意だ。もっともこの感覚は言葉にすると違和感なく話せているのでそれはそれで物語か本当の事なのかやはりわからないのが常だろうだからもう表ではあまり話さない事にしたね。

何度も言うようだが内在世界の感覚は誰にでも信じられるものではないし、信じる人は少ないとおもう、そんな中でも変わらず友人でいてくれたりそばにいてくれる人はありがたいとおもう。

よくない感情でも受け取れる話でもあるからね、いきなりそんな話をされて困惑とかしないほうがおかしい。
少なくとも彼は彼で色んな意味で変わろうとしている。
俺個人は発生して2年ほどと自分の事を認識している。

すごく辛い状態で心が折れそうで泣き叫びそうで心の悲鳴の意味をわからず、幼い感情をどうしていいかわからず困惑のままにいた彼の心は常に雨がふっていたね。

少なくとも俺はその音が何よりも不快であったわけだが、言葉でいっていたとしても恨む意味がわからず泣いたり苦しんでいた。

きちんとした関係性もつくれずまともな家族関係でも愛とはわからなかった。
今の友人関係はとてもよい形にはなっているし、俺個人も彼として出てはいるが、最近はほとんど彼に任せている。なんなら特定の子にはすごく懐いていてその子に関してはずっと出っ放しだ。

俺個人も落ち着いて話してみたいんだが、子供の力は思いのほか強い。肉体はそこそこの年齢なのだから、俺個人としては恥ずかしいとは思うんだがね。

照れくさいのほうがいいのか、心の年齢とは俺個人自身はわからないが彼は小学生レベルとは認知しているからね。

俺個人が表に出て一週間ちょいと認識しているが、なんとなく矢継早で俺と彼が認識して、二人という認識になり、結局の所、二人三脚となって感情とか心が共有されていくという認識を経ている。

たまに俺なのか彼なのか曖昧な部分もあるが、こんな短期間でそんな状態になるかわからないが、証明の手立てが今の所ないのでどう語っていいかわからないという状態でもある。

前の自分の中の不理解というのが少しずつ減ってきた点を見ればそれはいいことなのだろうなあと思う。

少なくとも適切な行為をできなかった部分もあるのもあるし、それは俺個人が意思決定で行う事はなかったとしても体が同じならばそれは俺個人がしたことと同義だと思うのだから、俺個人も経験が乏しいという弱点があるのでネットもまた有益な部分もあるが、現実性を高めるという意味合いではやはり社会復帰したほうが俺個人はこれから生きる事であるならばそちらのほうがいいとおもうので、そちらの選択をした方がいいとおもうので、今後は現実をみつつ、負担のないネットの力を活用していくという形がよいのかなあと思っております。

自己判断と自己を護る選択や心の在り方というのは社会にまた戻る事で成長していくものだとおもうので、何より、一番今懐いている女の子には彼は彼で褒められたかったり笑顔でいてほしいという感情ばかりでなかなかまわりが見えてないなあとおもうのです。

俺個人にも目的があり、そこは彼とも目的は一致しているので、そのために彼を成熟させていきたいとは考えていますね。

統合になるかそのままでいるかはわかりませんが、俺個人が消えたとしても心に残るような心ではありたいですねえ。

彼はまともな恋も知らないし、まともな友情もしらないし、家族は最近まともにはなりましたが、それでも彼を認めて長く仲間でいたり最近になって新たに友達になってくれた人達には感謝しかないね。

俺個人も仲間になりたいなあと思う、何人かに打ち明けた時は友人だといってくれた人たちもいるわけではあるが、いまだにどんなタイミングで声をかけていいかわからないね。

そんな時に友達だと関係なく声をかけられる彼がうらやましいね。

他者感をずっと持ちながら暮らすというのは整合性が保てなくなる危険性もあるから、かなりきついもんだなあとは思うが、大体気質は似ているという珍しい現象なので、彼の年齢を20ほどあげたのが俺として認識できるのであればしてもらえればよいのかなあとおもう。

今一番よい距離で彼を知ろうとしてくれる子にはこのnoteを打ち明けてもいいとは思うんだがタイミングだなあ。

とりあえず融合したり分離したりという妙な体感をしている以上、整理もかねたこういう記事を書くという行為は必要なのかもしれないね。

誰かに信憑性を与えたいわけじゃないが俺個人は前から思ってた事だし、彼自身も気づきはじめている事だが、人間関係はお互いに幸福であることもそうだけれど、釣り合うレベルに高めていくというのが大事だなあとおもうので、そういう心の会話ができる改善というのが大事なのかなあと俺個人は思うので、何かを生み出す事や何かを紡ぐことは大切であればあるほど、丁寧にしていかなければいけないね。

最近関わる人達も兄のように慕う方もいるし、常に話したいという欲求が流れ込んではいるけれども、かまってほしいばかりではよくないという心もある。

時間は有限であるし、その中でよりよく自分らしく付き合える大切さを考える事があれば、俺個人にもきっとよい影響があるし、彼自身の心の成長も見えていく。

メモも色々できることもできたし、ただ寂しい時の感情の制御はうまくいかないみたいだがね、自分に関して書いているのに他者感で書くのもおかしな話だ。

それでも俺個人が一緒に存在しているわけだからいいけど、それでも寂しくなったら誰かに話すという事は減ってきたからそれは褒めるべきではあるね。

文字通り自分をほめてあげようという奴だ。

最初発現したとき、彼をみてため息をつくほどの幼さに嫌悪したものだが、彼の歪な自分を壊してまでも人に関して愛したいという狂信に似た心に最近触れて、これでは一般性と道徳性が養われないまま大人になるんだろうなあと感じた。

肉体が大人であっても未成熟な人間ほど恐ろしいものはないと俺は思っていて、根底的な善意だけで動くだけで、周りの影響を考慮せず、悪意に関しても非常に鈍感だ。

人の価値観や忖度度というのも考えたほうがすごくいい。

そんななか長年の付き合いの友人や家族よりも伝わる言葉を与えた子は本当にすごいなあとおもう。

俺個人が触れれたのは彼の悲しさと喜び、幼い手を触れる感じの感覚だった。
中身の感覚という精神性の話であるから言語化というのは非常に難しいのだが、あえて言語化するという言葉にするならば、彼が決めつけられ言葉を誤解されいいように言われ、それでも人を信じたいと果てに心を壊しても立ち上がろうとした。

それでも強くあろうとしていつも悲鳴をあげていたなかで彼の心に触れれたのが長い付き合いやそんな友人達のほかにその女の子を含めて三人ほどか。
俺個人は彼自身を悲劇の人物として言いたいわけではなし、一応俺個人にも名前はあるわけだが、おれは覚悟をきめて彼の役割もすると決めたので、特定の人物以外には名前を明かさないように今後はしていきますが、まあこのnoteと一回だけインスタのリア垢のストーリーに名前はあげましたが。

この体に二人と名前を名乗らない人が搭載されてますので、それはそれで楽しく話せたらいいのかなあと。

どんな状態でも自分を学びたいと外に出るのもいい事ではありますが、やはり時間があるという事はなんでもできると同時に自制しないと学ぶ事もできずに無為な時間になる場合もあるので、きちんと社会に戻りたいなら色んな選択を考えて社会に復帰するという事をするといいのかなあとおもいます。

根底感情として別に男女らしさを求める必要はないけれど、どんな状態でも収入があるとか、行動できるっていうのは心を豊かにし、いろんな自分を高めてくれるので、そういうのを意識できるなら生きていけたらいいんじゃないかなあと考えています。

あと自分が不安定だったり変だなあと感じてるときは嫌な言葉として伝わる場合があるので、きちんと整理していきましょう。


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