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ナナシの日記2


なんだかんだ俺は存在しているし、彼もそれなりに受け止めている。なんてことのない日常。共存するなかであきれもするしあきれもしないそんな日々。

少しずつだがつかずはなれずのそんな境界線。
相変わらずスペースをしている彼。
俺もたまには参加する。

証明できないのは相変わらずなのでどちらも彼で通してはいるが彼は不安定に拍車がかかっている。

6月に友達になりたかった女の子の死を想いだしたらしい。友人達に言うのもできず吐き出す事も違うと考え、黙っていた。

まあ弱くなった言葉はいつもの懐いている子には話したようだが、どうにも同じ器の中で妙に合わない部分も出てきたように感じますね。

心の不調が出る六月なのでそういう影響もあるようですね。
とりあえずは彼と俺の目的は有益な人間関係をうみだすという目的認識が一致したので、まずは本業を決めたうえで、人と関わりビジネスでも友人でも豊かな人間関係をつくるという目的で生きるほうがずっといいなあと感じたので。

それに彼も俺も性質は似ているし、ある程度の意思疎通があれば関係性はなりたつのでいちいち考える必要もない気がしてきたなあ。

俺も彼も同じ場所にいるし、同じ心の海から生まれたのであるならば、俺は彼が大人になった時どうなるかはわかりませんが、今共存はしているので、それはそれで楽しく生きればよいのかなと。

俺も彼もどちらでも受け入れる人もいれば隠しておいたほうがいい人もいるし、その中で関係性を深めていくという事をすればいい。

どんな形であろうと、命は終わるのが常、永遠でないとわかるのならば、その中でどう実り多き時間をつくるかが大事なのだろう。

少なくとも俺と彼の境目が少しずつ融合はしている感じはするし、統合を果たすのはまだ大分先だろうが、口調を俺よりの半々の思考の状態になりつつある。

僕としての二人が合わさった自分になるのか、俺としての二人が合わさった自分になるのか。
SNSから離れるという意識でいる俺よりも行動がSNSを活用するという意識になっている僕寄りの行動になっているので、また難しい話だなあ。

根本的なアドバイスとしてSNSから離れるアドバイスをしている人達からしてみたら心配はするがまた同じような事をしているになるだろうからね。

俺であるときほ数時間は音楽をきいたりなんだりして作業はできるからいいが、彼の場合、話せないとストレスになるようなので、そこらへんの違いだろうね。

俺個人はlineや音楽を聴くだけでも全然いいのだが、長い電話というのはわりかし精神力をつかうのだが、彼はそうでもなく話をしたいという欲求が強いらしい。

心をやり取りする会話はわからなくはないが、実際会って話したほうが真意もわかるしコミュニケーションもわかりやすいからいいとおもうんだがな、そうもいかないらしい。

とりあえず久々のナナシの日記こんな感じでおわります。
ラフな感じにかこうかなあとこれからはこんな感じでよろしくおねがいします。


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