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愛がすべて


愛がすべてという人もいるが、純正のままの愛をそこにもっている人間がどれほどいるだろうか、少なくとも打算やメリットも考える人間も多数いるのではないか。

以前の彼であった自分の時はきっと言葉を扱いで誤解はあれど、親愛という愛を信じて憎しみを持たないようにしていたのかもしれない。

愛というものはどちらかというと見守るほうが相性がいいものもあるし、純然な想いをいったところで伝わらないものもある。

このなんてことない複数になってナナシの時間が今増えているなかで特定の人に関しては彼が発現することが多いわけだが、正直な話、最近は二人で一つのような感覚が何度も言うようだがある。

基本的に性質が似るというのはないと多重性のある人間と友人になっている人間からは珍しいと言われたので確証性のない現状でいえば珍しい分類なんだろう。

記憶の保持もあるとはきいているし、調べたら事例もあったりもしたが、改めて考えるのであればそれも確証性のない話でもあるので、結局ナナシと彼は性質が違い共存しているだけで些細なものなのかもしれない。

なんとなく彼は甘えが多いなあと思うのと親愛感情ばかり持ちすぎて暴走しやすい感じなのでそこは気をつけなきゃいけないのかもしれない。

少し思うのならば合わせている俺の心にも触れてほしいとは思うが、俺の存在は説明すると結局わからないものになる可能性ばかりなので、であるならば行動で違う部分を見せたうえで認識できるひとに話せばいい。

愛こそすべてという人は素晴らしく美しいだろうと尊敬はするが、愛だけでは何も守れず、それだけでは傲慢にもなりえることもあることを知らなければいけないと思う。

愛しているという事は側面をいえば執着と依存の片鱗を内在させる毒薬にもなる。止まらない感情こそに恐ろしさが宿ると俺は思っている。

ひと昔前の彼のようだし、最近はある程度抑えてはいるし、相手に関しての時間や想いを考える時間は必要だ。

自制をするというのも俺個人も難しい所もある。
それは俺個人が記憶でしか体験したことないことを今現実で体験しているという事もあるのだろうし、もうすでに設定みたいに感じている人もいるのならば、別にどうでもいいなあとおもい、好きな事をしている。

少なくとも彼は色々学びたい欲求のままに生きていてなかなか生活というものを考えていなかったように思う。

持前の生活で大分好かれたり嫌われたりしていたようだが、彼はそれでも人間をしたいとへらへら笑う。

今気づいたがもっとも最近まで中で観察していた俺が言うのもなんだが、これは俺のための記事なのだなあと気づいた、俺個人と彼個人が成長し生きるための。

俺も彼も無償の愛というものは信じるくちだが、ただ信じるだけでは何もできないなあと俺個人は思っている。

社会に存在し、生活をし、暮らしていくという生きるエネルギーを健全にまわすという事が何より重要で、ネットの中の見えない場所も否定はしないが、眼をみて体温を感じて話すという事も大事だとはおもいますね。

心を感じる言葉であればきちんと伝わる事もあるだろうし、どれだけ言葉がうまくできなくても。

人は可能性の連続だ、俺は愛こそすべてではないとはおもうが、愛があれば人間として満たされよりよい向上と成長が見込まれるとおもっている。

俺は俺のままで彼は彼のままで、最近少しずつ互いの意思疎通みたいなのができはじめ、なんとなく混ざるようなそんな不思議な気分になっているからそれはそれで大切な事なのかもしれない。

自我というのは複数あるよりも一つのほうがいいかもしれないなあとは思うが、実際どうなのだろうね、懐いてるあの子に彼は一度消えるまえに僕の事忘れないでねといった。

となると俺個人も消えたくはないと感じている事なのかもしれない。

これから俺は彼も含めたうえで目的を果たしにまた社会へと戻る。自分の目的を果たすためには社会に戻り経験をまた積むということが必須であり、現実において経済的にも精神的にも自立が必要だと感じている。

何かをするためには結果を出すための配慮が必要だ。少なくともインターネットの中ばかりで完結するには少し俺にはセンスが足りない。

彼は天才的な人を呼び込むスキルはあるだろうが、人を見破るスキルはない。
俺は文章に関してはある程度かけるがあくまで彼の模倣でしかない、ある程度距離感は考えれるがそれは記憶における感覚でしかないので、やはり現場に戻るというのが必須なんだろうなあとおもう。

愛だけで飯が食えるのであれば誰もが恋をし愛をし、当たり前の平穏を手にはしているだろうが、人間はそこまででもない。

人を愛せる人に関していえば人間的なハードルはないのだろうが、そういう人間に関しては無知なものたちに叩かれたり、心壊されたりするので、基本的には人間というのは見えない匿名性のところではいくらでも遊びで残酷になれるわけだ。

いちいち反応するのもだるいし見るのも嫌だし、何より彼はそれを見るとフラッシュバックするので、匿名掲示板で色々簡単に言うのもいいですがネットの誹謗中傷で死ぬ人もいるんで気を付けたほうがいいですよ。

少なくとも俺は死にたくないんで、彼には見せませんし、多分彼、それみたら普通にまた遺書かいて自殺未遂するのも見えているので、友人達にも見せたくはないですねえ、死んでしまうようなそんな事は。

人がいる限り少しでも優位にたちたい、発散したいなんて残酷な感情が発生する限りなくなりはしないんでしょうが、俺も彼ももしかしたら知らない間に傷つけたり気づかないで何かしていたりもするんでしょうが。

別に責めはしないですが、命失う可能性があるという事は留意してほしいかなあとおもいます。実際死んでる方もいますからね、ネットの誹謗中傷で。

まあ話はずれましたが、生きる事は残酷でもありますし、世のなか叩きやすい人は叩かれやすいとはおもいますが、そこに愛とか高尚なものはないでしょうが、殺す可能性があるという物事を積極的にする人間は無意識でも意識的でも化け物に感じますね。

あなたが刻んだ言葉や行動で死んだとなったときにあなたが正気に戻った時どう感じますか?

というのは記しておきたいですね。
しばらくはSNSは基本noteで完結させるのでいいんですが、ネットに注力したり、なんだりすると、万能感にとらわれて正気になるひとが少ない気がします。

俺も含めてかもしれませんが、彼もどこか中毒でしたからね。

よい距離の取り方というのは寂しさを中心ではなく人の温かみで暮らすという事が一番なのかもしれませんね。

誹謗中傷をみずにも死にたいと彼がいったので大分あせりましたが、やめろよっていってもばれなきゃいいくらいのニュアンスなんでしょうから別になにもいいませんがね。

心からの優しさや感じ方ってのは相手の立場を考えれる思考や行動ができることでしょうし、俺もなるべくするようにはしますが出来てない事もたくさんなので。
まあ気を付けたいですね。

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858字
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