町中華の極致。
10月某日、自宅にて僕はある衝動に駆られていた。
「揚げ焼きそばが食べたい」
――当然、家で簡単に作れるシロモノではない。
しかし、時刻は既に19時を回っている。
そこまで遠出できるような時間でもない。
近場で、迅速に、この衝動を処理しなければならない。
グーグルの検索窓に、近所の地名と中華料理というワードを入れ、検索する。
あった、一軒だけ。それも住宅地のド真ん中に。
あの辺りに店なんてあっただろうか…と訝しく思いながらも、僕は自転車に跨った。
夜の住宅地をフラフラと徘徊する。
こんな何もない場所でうろつきまわっているのだから、傍から見たら職質されかねない不審さだ。
でも仕方がない、全然見つからないのである。
幾度となく同じ場所を通り過ぎ、何処にあるんだと家と家の間の狭い路地にふと目をやった時、
見つけた。
静まり返った住宅地に完全に溶け込んでいたため、全く分からなかったが、看板が出ている。出前用と思われるカブも停まっている。ありがたいことにまだ営業中のようだ。
良かった…!と思い暖簾をくぐる。
すると、目の前に広がったのは、
居間だ。
どうみても人んちの居間。
なんならじいちゃんちの居間だ。
一瞬たじろいでしまったが、手前の二人掛けのテーブル席に先客がいたので辛うじてここが「飲食店」なのだと認識できた。
先客がいなければ、確実に一旦店を出て看板を確認していただろう。
おもむろに座敷に上がり、田舎の大家族の食卓を思わせるテーブルの上のメニューを見る、
よかった、揚げ焼きそばはあるようだ。
ふすまから飛び出した配膳台の向こうの厨房へ注文を伝える(よく考えればこの強引な作りも面白い、横の棚も最高に生活感があるし)
人懐っこい顔立ちのおばあちゃんが見え、それを聞いてくれる。
料理が出来るまで、しばしTVを眺める。
こういう時でもなければ、TVを見ることもなくなってしまったな…と思う。
でもこの「人んちの居間」みたいな空間でボーっとTVを眺めるのは懐かしい感覚だ。
ほどなくして、料理が運ばれてくる。
麺が太めの揚げ焼きそばだ。
手を合わせてから箸をつける、とてもほっこりした味付けでおいしい。
からしを付け、食べ進める。
食べながら、先客の二人組について考える。
営業マン風のスーツ姿の男二人で、片方は二十代前半、もう一方はその上司の四十代といった風に見える。二人とも酒を飲んでいる。
19時過ぎの住宅地のど真ん中のこんな店に、どんな理由があればたどり着くのだろうか。どちらかが近所に住んでいたりしない限り、偶然にでもここを発見するのは難しいと思うけども。
上司の絡み酒に付きあわされている、といった雰囲気でもない。むしろ若い方が酒をどんどん注文し、バンバン喋っている。上司風の男はどちらかというと聞き役に回っているように見える。
少なくとも若い方の男は、僕と対照的な人なんだろうな、と思う。
何なら今の状況も対照的だ。
狭い二人掛けのテーブル席に所狭しとつまみを並べる二人に対して、デカい机で一人揚げ焼きそばのみ食べる僕。不釣り合い極まりない。
…話す相手も、酒を飲みに来たわけでもない僕は、さっさと帰宅することにする。
会計を済ます。
確か650円くらいだったと思う、結構安いんじゃないだろうか。
今日行った店は、これ以上なく「町」の店だったと思う。
あの座敷、無関係の他人同士が集まっていても「家族」に見えるんじゃないだろうか。
あの座敷で、様々な年代の人々が集まって食事している光景を見に来る為だけに、また来てみたいと思った。
余談:――潔癖症の人の中には「他人の家で出された手料理」が食べられない人がいるらしいが、その類の人には究極にキツイお店…かもしれない。
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