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兄とは付かず離れず

認知した子。

この言葉の意味がわかる人は少ないと思う。私もつい先日知った。大事な話があると両親に呼ばれて家族全員が集まったとき突然兄から報告を受けた。

「10年前の話だけど、今の奥さんとは別に元カノとの間に子供が生まれてたんだ。」


認知した子とは婚姻関係にない男女の間に生まれた子供を指す。親が年金受給のために戸籍を取りに行ったとき、見知らぬ女性と子供が私たち家族の戸籍の中に組み込まれていたことに気づいた。兄はこの事実を墓場まで持って行くつもりだったらしいが思わぬところで発覚。妹の私にはもちろん、親にも言うつもりはなかったらしい。

黙ってたことを叱責したいわけでもない。そのときに何があったのか詮索しようとも思わなかった。ただこの長い年月、誰にも吐露せず独り抱えて生きてきた兄をやるせなく思った。責任という十字架に括り付けられ生きてきたのだろうか。想像しただけで息が苦しくなった。

お相手の女性(私から見たら義理のお姉さん)、とその娘さん(義理の姪)に対して何をどう思うのも憚られる気がした。大変なのかもしれないと情けをかけるのも、元気で温かい家庭を築いてほしいと応援するのも、どう思ったとしてもそれは相手との関係を「片付けたい」という極めて独善的な感情のような気がした。

兄に特別な言葉はかけなかった。優しくするのも気持ち悪い感じがして、そうだったんだねと一言だけ添えた。夜風が気持ちよくなんとなく話がしたかったから二人で小一時間深夜のドライブに出かけた。


「(責任の)十字架の大きさで言うと、HUNTER×HUNTERのクロロ団長みたいだよな。」


兄の言葉は相変わらずウィットに富んでいた。気まずそうにしている私に気を遣ってくれているのかなと思った。そういう所が兄は昔から抜群に気が利く男だった。夜の高速道路はやたらと光がまぶしくて解像度が高い。形容しがたい高揚感がある。心拍数が上がっているのはこの景色のせいか、久しぶりに運転しているせいか、それとも驚愕の事実のせいか…多分全部だった。

帰路につき寝る間際のリビングで「お前はいい旦那さんを見つけろよ」と言われた。うっせ、と返した言葉がおやすみなさいの代わりとなった。翌日、私は朝から仕事だったので兄とは別れの挨拶もせず実家を後にした。




あれから数カ月。別に何も変わらない。日々の仕事に忙殺されあれだけ気にしていた兄のこともお相手の家族のことも、この記事を書くまでそっちのけだった。

将来子どもを産むことはあるのだろうか。たとえそれがシングルマザーという選択肢しかなかったとして産むという決断をするのだろうか。そもそも家族が必要だと思うのか。いくら考えても分からない。難しい問題はポイっと棚に上げてのらりくらり生きている。


ここまでとりとめもないことを書いてしまったけれど最後に兄との関係性について触れておきたい。私たち兄妹はつかず離れず、互いを否定も肯定もしない。連絡を取ることもなく半年に一度、盆と正月に近況報告して生存状態を確認する。最近は?とか、仕事どう?年収増えた?とか単語レベルでぼそぼそと話し、会話は途切れ途切れになる程度しか弾まない。傍から見るとサーバが落ちてるときにping打って死活監視するのと同じくらい機械的に映ると思う。

ただ、大事な所に踏み込みはしてないものの、突き放してるわけでもない。近しい間柄だからこそ複雑で、何気ない言葉に裏があったり、隠れた思いが詰まっていたりする。なんとなく生きてるんだな、元気そうだなって思えるだけで心がふっと軽くなる。20年近くずっと同じ家に住み寝食を共にし、いまやもう別々の人生を歩んでいるなんて人間関係は家族以外にあり得ない。唯一無二であり他の誰かと代替できる関係ではない。

兄と会う回数は残り人生でもう数えられるくらいになってしまった。高々あと数十回。かなり衝撃的な数値である。会える時に会っておきたい。二人だけの会話をもう少しだけ大切にしたい。兄にそんな気があるかはわからないが私はそう思っている。それでいい。それだけで私たち兄妹には十分すぎるほどの絆なのだ。


おしまい


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