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リメンバー・グリーン

リメンバー・グリーン
                                   七時雨こうげい

 一際大きな揺れに襲われて、エイミーは目を覚ました。
 トラックの荷台にある幌に寄りかかるような形で眠っていたエイミーは、肩に担いでいたカラシニコフを抱えなおした。
 他に乗っているのは拠点に運ばれる物資と、端っこの方で眠っている少女だけだった。
 幌をめくって、外を見る。
 月夜に照らし出されたのは、荒れ果てた道路と、樹に侵食されたビル群だった。
 夜に外出するのは、これで恐らく三度目だろう。昔、姉と一緒に夜に出た時には、母親にこっぴどく叱られたものだった。
 当時の恐怖を思い出して、ライフルをぬいぐるみのように抱きしめ、深く息を吐いた。
 日が沈んだとはいえ、例の緑化獣(Gモンスター)が出ないとは限らない。近頃も、地元近くのコロニーで日没後もGモンスターを見たという報告もある。
 今思い出したところでもうどうしようもないな、と思いつつ身を強張らせた。
 するとその時、巨大な何かに吹き飛ばされたようにトラックが横転し、エイミーは外に投げ出された。
 顔をしたたかに打ったエイミーは、痛みに顔をしかめつつ立ち上がった。その背後で悲鳴が聞こえる。
 恐る恐る後ろを振り向くと、蟹のような形をしたGモンスターの腕が、兵士の胸を貫通していた。叫びと共に放たれる弾丸が、その甲殻を虚しく叩く。
 そして腕が引き抜かれると同時に、その穴から噴き出した枝葉が全身を覆った。
 緑化症の患者を見るのはこれが初めてではない。それでも、目の前にいた人間が一瞬にして植物になってしまったことに、ショックを受けずにはいられなかった。
 蟹が、その金属でできた骸骨――第三次大戦で使われた類人兵器の成れの果てだ――をこちらに向ける。
 見られた。認知された。
 全身から冷や汗が噴き出し、足がすくむ。
 こうして正面から近くでGモンスターを見るのは初めてだった。苔むした甲殻とその隙間から見える枝の筋肉。
 不気味に光る赤い瞳が、エイミーの姿を映し出す。
 覚束ない手つきでセーフティを解除し、レバーを引いて弾をチェンバーに送り込んだ。そしてその頭部に向けて銃口を向ける。
 一瞬の呼吸。この体に染みついた一連の動作で落ち着きを取り戻したエイミーは、引き金を引いた。
 ストロボのようなマズルフラッシュが、自身の影を道路に焼き付ける。
 空気をゼリーのように引き裂いて飛んでいった弾丸だが、やはり甲殻で弾かれてしまう。震える銃口を向けながら、ゆっくりと後ずさる。
 気づけば、周囲は地獄のような有様になっていた。
 数体のGモンスターが輸送車をひっくり返し、生存者たちを次々と植物に変えていっている。斜め後ろでは、エイミーの乗っていたトラックの運転手が、半ば植物になりながら、こちらに助けを求めていた。
 コロニーで出発前に交わした素っ気ない挨拶が脳裏をよぎる。
 あそこまで侵食されてしまえば、もう助けることはできない。
 一緒に乗っていたあの少女はどうなったのだろうかと首を巡らせるが、それらしき姿は見当たらなかった。
 もうすでに植物になってしまったのだろうか。周囲には、すでにいくつもの木が乱立し始めていた。どれもさっきまで人間の形をしていたものだった。
全滅は時間の問題だ。
 その事実に絶望しきり、構えていた銃口を下す。
「こんなところで死ぬなんて……」
 誰に言うでもなく、一人呟く。
 緑化症になってしまった姉を救うために志願した。
 誰かのためになれると思って志願した。
 なのに、まだ始まってすらいないのに、こんなところで終わってしまうなんて。
 エイミーは自分の運命を呪った。
 そして次の瞬間、Gモンスターの腕が振られ、エイミーの身体は紙人形のように吹き飛んでいた。
 側に立っていた木にぶつかり――それは一番最初の犠牲者だった――左腕が嫌な音を立てて折れた。
 悲鳴を上げ、左腕を押さえる。今まで感じたことのない痛みに、思わず涙がボロボロとこぼれた。
 そして無様にも痛みでのたうち回りながら、こちらに迫ってくるGモンスターを見上げた。
 もたげられた腕が振り下ろされようとした、その刹那。
 横から飛んできた徹甲弾が、その甲殻を貫き、内部の組織を滅茶苦茶に破壊した。木片が散らばると同時に、衝撃で揺らいだ巨体が、ゆっくりと倒れる。
 撃ってきた方向を見やると、数台の装甲車と、その前を走る歩兵たちが見えた。
 その時、誰かに襟元を掴まれたエイミーは、ずるずると引きずられながら、戦闘領域から離脱していった。
 遮蔽物の裏側に隠され、エイミーを引っ張っていた人物が、片膝を立ててこちらを見た。顔はスカーフに隠れてよく見えなかったが、どうも女性らしいというのは分かった。
「大丈夫。絶対に助けるから」
 それから何か注射機らしきものをエイミーの太股に注射すると、そのままどこかへ去ってしまった。
 彼女の姿を追おうにも、急に襲ってきた眠気に耐え切れず、意識は深い闇の中へと落ちていった。

◇◆◇

 自分が寝ていると自覚した時、エイミーは少し後悔した。このまま眠り続けていれば、あのひどくグロテスクな世界に戻らずに済むのだから。
 しかしこうして意識が戻ってしまったからには、いつかは起きなければならない。
 だからエイミーは、瞼を開けた。
 一瞬、眩しさに目を細めつつも、だんだんと周囲の状況を掴むことができた。どうやら自分はテントの中にあるベッドに寝かされているらしい。
 起き上がろうとすると、左腕から鋭い痛みが走った。エイミーは小さな悲鳴を漏らし、再びベッドに体を沈み込ませた。
「痛むか?」
 声の方向に向くと、そこには本を片手に持った女性が椅子に座っていた。本の上から覗く鋭い目つきに、あの時助けてくれた人なのだと直感した。
「あの、あなたが私を助けてくれたんですか?」
「まぁな。お前のような奴は貴重なんでな」
 そして本をパタンと閉じると、それを棚の上に置いて、女性は立ち上がった。
「私はシド。シド・ソフィア。お前の志願した妖精(フェアリー)部隊の隊長だ」
 予想外の邂逅に、エイミーはしばらく開いた口が塞がらなかった。そんな様子を見かねたのか、シドは後頭部を掻いて、
「少し、歩きながら話せるか? 今日は葬送日なんだ。私も出なきゃならん」
「ソウソウビ?」
 首を傾げるエイミーをよそに、シドは足早にテントを出ていってしまった。
 深くため息をつき、折れた左腕に注意を払いながら立ち上がると、シドの後に続いてテントの外に出た。
 外は既に夜更けで、正面には大きなキャンプファイヤーがたかれていた。
 あの、とシドに問う。
「私どれくらい寝てました?」
「丸一日と言ったところだ……で、歩けそうか?」
「何とか」
 シドは頷くと、ゆっくりと歩を進めた。キャンプの中は、今までエイミーが経験したような、コロニーの警備隊のそれとは、あまりにも規模が違い過ぎた。
そんな二人の隣を、装備を満載にした兵站輸送支援システム(ウォードッグ)が、四本の足を器用に動かしながら通り過ぎていった。
「お姉さんが緑化症なんだって?」
 エイミーは頷いた。徐々に植物化していく姉を見るのが辛くて、最近はあまり顔を合わせていなかった。ここに来ていることだって、もしかしたら知らないかもしれない。
「彼女にお子さんは?」
「いない――」
 それから確証をなくしたように、「――と、思います」
「そっか……最近の研究で、緑化症は遺伝するっていう結果が出ててね。緑化症の母体から生まれた子供が枝葉の塊だった、なんて話もある」
 その話を聞いて、思わずゾッとした。例えば、自覚症状なしに緑化症が進行していたら?
 子供は生まれず、Gモンスターに滅ぼされなくとも、人類は緩やかに死滅することになる。
「まぁ、それを防ぐために私たちがいるってのもあるけど、その前に君に見せたいものがあってね」
 キャンプファイヤーの周囲には人だかりができており、ただ茫然とそれを見上げる者、泣き崩れる者などがいた。
「……え?」
 そしてその火の中に投げ込まれていたのは、緑化症を発症した人々だった。その顔はどれも安らかで、まだ眠っているようにも見える。
「月に二回だ」
 隣に立つシドの顔は、悲しみを必死に堪えているようだった。
「君も知っての通り、今のところ緑化症に有効な手立てはない。発症したら最後、死が待っている。覚悟はできてるかい?」
 エイミーは右拳を強く握りしめた。
 ここに来る前、自分ならきっとどうにかできると思っていた。緑化症の治療法を見つけて、姉を助けることができると。
 しかし、ここに来て現実を見せつけられた。死が当たり前の環境で、人は簡単に死んでいくのだ。
 それでも、今生きてここに立っているのは、きっと何か理由があるはずだった。
「やります。そのために、私はここに来たんですから」
 そうか、とシドが笑う。そしてポケットからワッペンを取り出し、それを手渡した。

「ようこそ。妖精(フェアリー)部隊へ」

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