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水樹奈々オタクはいつまですべてを「エモい」「優勝」「尊い」で片づけるのか


いや、ほんとにそう思っているなら、べつにかまわないんだよ。

けれど、ライブに行ったとき、音源を聴いたとき、ほんとに「優勝」「エモい」「尊い」という感想が君の頭に浮かんでいるのだろうか。

僕にはそう思えない。

よく考えてみてほしい。
「エモい」「優勝」「尊い」という言葉は、君のオリジナルではない。

ネット上で発明された用語である。
いってしまえば、スラングのようなものだ。
つまり、それらの言葉は借り物なのだ。

それをたくさんのオタクたちが「自分の言葉」として口にする。

僕はそのことにゴリゴリの違和感を抱いている。

水樹奈々のファンクラブ会員は、現在7万人ちょっといるそうだ。
僕は最近誤って会員番号を失効し、あたらしく入会し直した。その番号が7万台前半だったので、大きく外してはないだろう。

なにがいいたいのか。
つまり、水樹奈々ファンめっちゃいるってことだ。

なにせ、東京ドームで単独公演ができてしまうのだ。
動員力は日本トップクラスといっても、決して大げさではない。

そんなめちゃくちゃ多いオタクたちひとりひとりが、十把一絡げに3パターンくらいの感想を抱いている。

否、そんなことはありえない。
そのことを僕なりに検証してみようと思う。

よし、先にこの文章の結論を言ってしまおう。
僕がこれからいいたいのはこういうことだ。

「みんなほんとは『エモい』というフレーズに収まらない独自の感想があるはず。それをもっと語っていきません?」

お付き合いいただけると幸いだ。

・なぜ「エモい」といってしまうのか。

あなたは水樹奈々のライブに行く。この日が来るのを心待ちにしていた。つらい仕事にも耐えてきた。気分はウッキウキである。

開演前、ツイッターで知り合ったオタクたちと交流を深める。
「いやあ、高まりますねえ」といい合いながら、円陣なんて組んでみたりする。

いよいよ入場が開始される。
集まるオタクの群れ。ここには、静かな熱気が渦巻いている。

席に着き、ペンライトやタオルを準備する。
そわそわする。電波の入りがわるいスマートフォンを取り出し、ツイッターを眺める。

そうこうしているうちに、客電が消灯。客入れのSEも止まる。どよめくオタク。期待感は、興奮へと膨張し、やがて爆発する。

さあ、水樹奈々ライブのはじまりだ。



さて、ライブはどうだっただろうか?

感動した? 興奮した? どの曲がよかった? 演出はどうだ?

あなたは打ち上げの席で、今日のライブの感想を語ろうとする。ハイボール片手に、己が見た感動を、己の言葉で表現しようとする。

…………しかし、言葉がでない。

あなたのなかにはまぎれもなく、あなたにしかない感動があるのに、それが言葉にならない。なってくれない。そのことが、酷くもどかしい。

そのうまく形になってくれないモヤモヤを、あなたはそれでもどうにか言葉にしようとする。

そして、こう言う。

「エモい」

見てきたように書いているが、実際に見てきたんだからしかたがない。

いまのはすべて、僕自身の経験だからだ。

ちなみに、円陣はフィクションである
僕には水樹奈々友だちがほとんどいないからだ。誰か友だちになってください。

と、こんな感じで、僕だってライブで見た感動がうまく表現できずに、モヤモヤクサクサしてしまうことばかりだ。

己の表現力の低さが嫌になることだってある。

けれど、同時に、それがうまいこと言葉になったとき、すごく気持ちがいい。

自分の感動にぴったりハマる言葉が見つかった瞬間。
そういえば、少しは伝わるだろうか?

そのことをめんどくさいオタク界隈では、「言語化」と表現する。

言語化、という言葉がオタクの口からでてきたら、要注意だ。
そいつは、僕である可能性が高い。

言語化の感動を味わうため、僕は今日もライブ後ひとり日高屋で、感想をタグ付きで発信している。うんうんと頭を悩ませながら。

誰に頼まれたわけでもないのに、なんでそんなことしているのだろう。タイムラインを汚してしまい、ほんとうにすまない。

つまり、僕たちがライブで味わった感動は、そう簡単に言葉になってくれない。
言葉にできるほど、単純な感動ではないからだ。

ライブ全体の構成、曲への思い入れ、己の体調、精神状態、恋や仕事の事情。

あらゆる感情がないまぜとなって押し寄せる。
そんな簡単に、言葉になってたまるものか。

だからこそ、そんなときに、目の前に浮かぶあり合わせの言葉ーー「エモい」「優勝」「尊い」に飛びついてしまうのである。

言語化できないモヤモヤを、それでもまだ、少しは表現してくれている気がするから。

・オタクに言葉を取り戻すために。

ここで、冒頭の問いを形を変えてもういちどくり返したい。

君のモヤモヤは、ほんとうに「エモい」で片づけてしまっていいものだろうか。

わかりやすいスラングに逃げたとたん、君の、君だけにしかないオリジナルな感想は、ほかの誰かとおなじものになってしまう。

それは、単純に悲劇である。

僕はあなたの言葉で、あなただけの感想を聞きたい。

水樹奈々がいかにすばらしいか、どこにほれ込んだのかを聞かせてほしい。

モヤモヤと「エモい」の間にある言葉をなんとか絞り出してみてほしい。

そんなこといわれても、誰もが誰も、自分の感情を言葉にしたいとは思わないかもしれないじゃないか。

たしかにそうだろう。
おっしゃるとおり。少しも反論はない。
僕もそう思っていた。

けれど、先日、ありがたいことに「絶対的幸福論」に関するコラムをたくさんのオタクに読んでいただいた。

何人かは感想を直接寄越してくれた。ほんとうにありがたい。

そして、そのとき多くの人が「なんとなく感じていたけど、言葉にできないモヤモヤを表現してくれた」といってくれた。

そう、みなさん、賢明なる水樹奈々オタク諸兄は、あれくらいのこと考えているのである。ほんとうは。

だからこそ、クソ長いオタク長文を読んでくれたのだと思う。

つまり、水樹奈々に関する考察や分析には需要がある。ということになる。けれど、供給は現状、めちゃくちゃ少ない。

むしろ、「奈々さんが着た衣装はこれである」「PVの聖地はここである」「この曲についてはナタリーのインタビューが詳しい」などの、一次情報はかなり充実している。

まめに調べる方々がいるからだ。そういう人たちのことは敬愛している
あらゆるジャンルのオタクにとって、一次情報の蓄積は、もっとも大切な事業である。

けれど、その情報をもとに、自分の言葉で自分の感想を語る
そういう言説は少ない。
くり返すが、もっとあってもいいと思う。なぜなら、僕が読みたいからだ。

リプライでも引用リツイートでもブログのURLでもなんでもいいから送ってほしい。
異論も反論も大歓迎だ。

下手くそだってかまわない。うまく言葉が紡げなくてもかまわない。
はじめては、みんなそんなものだ。

僕は君の言葉を笑ったりしない。

君の感想を読める日を楽しみにしている。

ちょっと「エモく」なりすぎて、恥ずかしい文章を書いてしまった。

ではでは。

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