「頑張ったのに…」また「頑張って」
こんにちは,
昨日あった出来事を少しお話ししたいと思います.
本日は勤務地での子供のスイミングスクールの月1テストの週間.私は監視役.
泳ぎのテストが終わり合格,不合格と分けられ泣いている子,笑っている子…
ある元気ないつも挨拶をしてくれる小学生の女の子
テストが不合格だった.
女の子にしてしまった一言
「大丈夫!いつも頑張ってたの見てたし応援してるよ〜また来月頑張って次合格しようね!」
女の子から一言
「頑張ってって頑張ったのに…」
その一言をぼそっと言って帰って行った.
なかなかに心に来た.ピシャリと音がした
その子供からは私は敵に映ったことだろう…
私は子供に対して,頑張っていた姿に応援という意味で言葉を送ったが,この声援はむしろ,自分が頑張っていないかのように否定された気持ちにせてしまったであろう…
常日頃から笑顔で挨拶をし水泳を頑張っていたのは見てたし,知っていた.そんな子供の応援してるつもりで放った言葉が大きな大きな武器としてその身を刺してしまった….
もっと思慮深く言葉を選ぶべきだった…
帰宅中車の中で考えを巡らす.
自分の行いや言葉について…
本来「頑張って」は遠くから捧げる祈りの言葉であるべきだという
直接他者に対して、安易に無責任に使うと、それは転じて"呪い"のようなものになる.
性質が悪いのは、呪いをかける側,今日で言う私だ.頑張ってと他人に言う時には"悪意"が無いということ.
頑張って自分の中での最善を出しているのにそれ以上の「頑張れ」と"呪い"をかけ続け,上から目線で言葉をかける.想像するだけで悪夢のような光景が目に浮かぶ….
「頑張れ」「頑張って」
でも当の本人はもう頑張ってきた.頑張ってきた結果の今なのだ.
今まで我慢して耐えて抑えて,期待に応えようとしてきた.なのにそれでも、誰もが未だに「頑張れ」と声をかけることだろう.
期待も重圧も重荷もプレッシャーも
辛くて仕方がない…
苦しみの先がいつまでも見えない……….
「頑張れ」という言葉で身体も心ももうボロボロ.
叫びたいほどなのに「頑張らなければ」という思いが足枷になりまた血を流しながら前を向く.
教育や育児などの場で使われるであろう子供の頃に敏感である"頑張れ"という言葉,子供である内は他の道を見つけることの難しさや,先の見えない道の照らし方,方向性など分からないことが多々あるはず….
また言葉の重荷や重圧に塞ぎ込んでしまう場合だってある.
今になっては私は頑張れと他人に言われようとも,その評価に時間が掛かれど最終的に足り得る様にし,また自分の中でのペースや気の抜き方を見つけ何事にも取り組むようになった.無理ならもう諦めるようにした.
たぶん大体の人がこのように解決策を見つけ,問題の解決を行なって行くのでは無いだろうか….勿論その重荷に耐えられなくなり,自分というものが崩れてしまう人達がいるのも理解はしている.それが全てでは無いということも,そうできない人達もいるということも…….
今回の事柄に関して,これは子供に限った話では無いが評価に足り得なかったとき,自分の中で逃げ道を作っておくこと,もしこれ以上頑張れない,そう感じた,思ったなら別に違う手段の用意が必要になるだろう…
もし生きている今にも,死んでしまった先にも,
「頑張れ」があるならば,
今も頑張っている人は,この世の全てが地獄でしがなくなってしまう…
「頑張ってきた」を"認めてほしいだけ"だったのに…
最後に
誰かにとっては応援となる「頑張れ」の言葉でも,また他の誰かにとって「頑張れ」は呪いの言葉でしか無い.結果がどうあれ認めてほしい時もあるし,結果の為に応援してほしい時もある.この言葉は無責任に,無感情に使える言葉なんかでは無く,深い意味を持って相手に伝わる.頑張っている人達,いまも苦しんでいる人達がいつかなにか報われることを願うが,自分にはその人達に何ができるかと考えた所での話でもある….なら自分がこれ以上そんな言葉で今後誰かを傷つけないようにするしか無いのだろう….
そして,どうかそんな人たちには安寧な日々と時間が訪れますように
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