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つまらない物語なんてない #野心日記 3

人生は、起承転転転々々々々々…… だなぁと思う。今日思いました。仕事中に。

いきなり何を言い出したんだろうこの人は。と思われるかもしれませんが、その説明はあとでします。


今月、お給料がいつもより少し少なかったんです。
そうだろうなぁと思っていたし、理由もだいたい分かります。
私は時給で働いていて、明確な勤務時間は決まっていません。
朝は9時前後に出勤して、その日の業務が終わったら退勤。毎日平均5時間くらい働いています。
明確な時間は決まっていないとはいえ、お給料が30分刻みなのと仕事内容的に9時前にはタイムカードを切るのが理想。

…なんだけど、最近娘のイヤイヤというか「保育園行きたくない」に拍車がかかっておりまして。
(私の職場=娘の預け先)
行ったら行ったで楽しんでるけど、なかなか切り替えが出来ないというか、まだ遊びたい〜テレビみたい〜ゆっくりしたい〜行きたくない〜 っていう感じで。
それに付き合っていたら、タイムカードを切るのが9時を回ることが増えてしまいました。1分でも過ぎたらその分のお給料はカウントされないので、そんな日が多ければそりゃ月のお給料も少なくなります。

昨日、タイムカードを切ったのは9時1分でした。
その日は娘の調子がよくて準備もスムーズに進んだので「今日は9時までに出勤できそう」と思っていたのですが…。自転車で職場へ向かう途中、娘が手に持っていたはずのおもちゃが無いことに気付いて。探しに戻ったんです。
あぁ、その数分がなければ30分ぶんのお給料が…と思ったけれど、長い(かどうかは分からないけれど)人生からみれば些細なことなのかもな…って。

生活は切羽詰まってるしお金は本気で必要だけど、お金より大事にしたいことがあるときもあるよなって。
…とか言ってるからお金貯まらないんだろうなぁ。

お金必要って言ってるわりに、たぶん私は根本的に数字やお金への興味が薄いと思うんです。
お給料のことだって、肌感覚でいつもより少ないなって思うだけで実際いくら少ないのかまでは調べようとしないし…。
そりゃお金だって、私みたいな人間よりお金を愛してくれる人ところに行きたいよねぇ。

前回の野心日記にも書いたのですが、私はお金が必要だから小説を書こうとしてる(その発想がぶっ飛んでるのはさておき)のに、小説を書くためを口実に少しの自己投資を楽しんでたりします。
矛盾してるっていうか、本末転倒というか。ホンマツテントウ虫ですよね。

でもこれ多分矛盾してないんですよ。
野心表明のnoteでも書いたように、お金だけじゃなくて「人生で一度でもいいから小説を書き上げてみたい」っていう気持ちが私の野心の正体だから。

そりゃ書くからには賞を目指したいですし、賞金で借金完済して人並みの生活送れるようになりたいです。

でも、小説を書くためにああでもない、こうでもないって悩んで、小説を書くことを口実にささやかな自己投資をしている今も私にとって大切で。
例え賞に届かなくても、私の中にたくさん「豊かさ」は残ってくれると思うんです。

ささやかな自己投資… 例えば小説の題材にしたい花があるとして、花の生態を知るために実際にその花を買って育ててみるとか、そんなレベルのこと。別に無くても生活に困らないような些細なことです(あくまで例え)
でも、そんなことすらなかなか自分にしてあげる勇気がなかったから、新しくて楽しい。

それに、今はスマホという便利なアイテムもあります。
指先ひとつでいろんな人の体験談や価値観に触れられる。
ネットの情報なんて…と言われるかもしれないし、そりゃ実際に触れたり体験できたらいいけれど、それが難しい私にはありがたい存在です。
どんな素材でも、自分次第で世界は広げられると信じたい。

野心表明のnoteでは、「借金がなくなって生活に余裕がでてきたらしたいこと」としていろいろ羅列しています。

まずは家族でおいしいもの食べに行きたいよね。
帰省や、旅行もいいな。
子どもたちが何かしたいこと(習い事とか夢とかその他もろもろ)があるなら援助したいし、行きたいところがあるなら連れて行きたい。
心が豊かになるような経験をたくさん、あげたい。

「お金がない」を理由に諦めなくていいことまで諦めたくないし、諦めさせたくない。

自分のことなら、衣服やおしゃれにも気を遣ってみたいな。
ずっと後回しにしてきたから、何を着たいのかすら正直分からないけど…
だからまずは、あきやあさみさんの自問自答ファッション講座を受けたい。
あと、結婚式を挙げていないから、せめてフォトウェディングを撮って両親に見せたいなとずっと思っている。
好きなアーティストの新譜だって迷わず買いたい。
ライブももっと行きたい。もしかしたら遠征とかも、できちゃうかもしれないね。
遠くの地にいる、まだ顔も知らない人(SNSで繋がったリスナーさん)たちに会いに行くんだ。
いつもお世話になっている大切な人たちに何か贈り物もしたいし…

これも全部、豊かに生きるためのことばかり。
私はきっと「心の豊かさ」を「より豊かに生きる」ことを求めているんだな。

豊かに生きるためにはお金も必要になってくるし、結局お金も大事だよねって話にはなってくるんだけど…
お金だけのためにここまでやれないです私は。自分が心から楽しい、やってみたい!って思えることじゃなきゃ、やれないですよ。多分。

「小説の主人公は言うまでもなくその物語の登場人物たちであって、書いている私ではない」と前回の野心日記に書きました。
でも、「小説を書く」というその行為自体においての主人公は私なんだと思うんです。

「生活を立て直すために何の変哲もない主婦が小説書いて文学賞に挑戦する」

これだって、立派な(?)物語です。

私だけじゃなく、みんながそれぞれに自分の人生という物語の主人公で。
音楽ライターとして大成することを目指すあの人も、家事や育児に奮闘しつつも笑顔を絶やさないあの人も、日々に忙殺されながらも夢を諦めないあの人も、大好きなアーティストにいつか届くようにと絵や文で想いを表現しつづけるあの人も…
みんなみんな、主人公です。

つまらない物語なんて、つまらない人生なんて、どこにも何ひとつないのだと思う。少なくとも、私にはそう見えています。

人生も物語もうまくいくことばかりじゃない。
失敗するかもしれない。
間に合わないかもしれない。
途中でもうダメだって泣き崩れるかもしれない。
でも、だから面白いと思う(面白いって言い方すると語弊ありそうだけど)

いわゆる起承転結の「転」
人生は、「転」の連続だなぁと思うんです。
(冒頭の「起承転転転々々々々々……」をここで回収)
「転」があるから、物語はぐっと面白くなる。

生きていたら失敗するし、間違います。
自分は正しいと思いながら、間違いだらけで生きています。
でも、誰かや何かとのふとした出会いをきっかけに気付く。間違いが、正されていく。その過程が面白いし、感動するんだと私は思うのです。

欠陥の多い私が生み出すキャラクターは、やっぱりみんなどこか欠けた人たち。
でも、物語の中で少しずつ少しずつ、人との出会いや様々な経験を通して、欠けた部分が満たされていく。
だから、書きながら私自身も一緒に成長させてもらっている… そんな気持ちがとても強くあります。


私の人生においても、いくつもの「転」が訪れました。
全部は到底書ききれないけれど、例えば中2の頃にBUMP OF CHICKENの音楽に出会って、人前で歌えなかった私が音楽の道を志したりしました。
現状、音楽には挫折したような形ではあるけれど私の中にたくさんの宝物のような経験を残してくれています。
そんな宝物を詰め込んだ文章も書けました。

3年前(合ってる?)、amazarashiの武道館公演(ライブビューイング)に立ち会って衝撃を受けた私はその感動を文章にしたためました。
その中でこんなことを書いています。

思えば最近の私は言葉に悩んでいた。
自分のどんな言葉が誰かを傷つけうるのか分からなくて、口をつぐむことも多かった。
そうするうちに、自分の感情も上手く言葉にできなくなっていた。

趣味のブログも思うように書けず、どこへ行ったとか何をしたとか、そういう当たり障りなさそうなことしか書けなくなっていた。
それがダメなわけじゃないけれど、本当はもっと、自分が見て聴いて感じた気持ちなどを自分なりの言葉で書きたいと思っていた。

武道館公演を体験して、私の中に閉じ込められていた言葉たちが少しだけ自由になれたような気がしている。

信じてたこと 正しかった rockin'on.com 音楽文より)

ライブ中、amazarashiの秋田さんが何度も叫んだ「言葉を取り戻せ!」という言葉。

自分の中に閉じ込めていた言葉たちが少しだけ自由になれた気がして、やっぱり私は「言葉」で伝えていこうと改めて誓った忘れられないライブ。
だけど正直、そう簡単に人は変われないだろうという弱気な自分もいました。

でも、あの日から私は少しずつ確実に言葉を取り戻しているんです。自分でもびっくりだけど。

5年分の思いの丈をしたためた文章を、noteで初めて投稿したりしました。
1年かかった。完成なんて無理だと思った。何度も諦めそうになった。でも書けた。たくさんの人に読んでいただけました。

今年最初のnoteでは、自分を追い詰める「しがらみ」を断ち切りたいと声に出すことができました。

Perfumeのライブに行ってきた日のことを書いたnoteでは、ずっと心の奥にしまい込んでいた感情を取り戻すことができました。

瑛人さんについて書いた文章では、家族や愛情について向き合ってみました。

「死」を意識した言動が多くなりました。でもそれは、「生きたい(死にたくない)」気持ちが強い故。
「死」に向き合うのは「生」に向き合うこと。そう思うと、今まで目を背けてきた「死」という言葉を漢字で表記できるようになりました。

幼い頃に人に放って傷つけてしまって以来頑なに封印していた「バカ」という言葉さえ、必要であれば使うという選択を自分に許せるようになりました。

どれもこれも、想像していなかったことばかりです。
これからもたくさんの「転」が人生に訪れると思います。
たくさんの「てんてん」が集まって、物語になっていくんだろうな。

つまらない物語なんて、つまらない人生なんて、つまらない人なんて、多分どこにもいないと思うんです。
素晴らしい素材はそろっているから、あとはそれをどう料理するか…(それがいちばん難しいんですけどね)

生活が破綻しない程度に「ささやかな自己投資」をつづけつつ、心豊かに生きることを諦めないで、書き進めていこうと思います。



【おまけ】
とある日のひとこま

洗濯物を干していたら、娘の服のポケットからびーびーばん(ビービー弾)とタンポポが出てきました。

娘いわく、黄色いビービー弾は「すっごくたまごのびーびーばん」だそう。確かにゆで玉子の黄身っぽい。ちなみに娘、ゆで玉子は白身しか食べません。

前にも洗濯機からどんぐりがコロコロっと出てきて癒されたことがあったなぁ。
そして相変わらず学ばないというか、ポケットチェックの習慣がない私なのでした。
(いつかとんでもないものを洗濯しそう)

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