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大切が大切ってこと、ちゃんと思い出せるように


私が文章を書く理由のひとつに「覚えておきたい」というのがある。
うれしかったことも、楽しかったことも、悲しかったことも、なるべく覚えておきたい。 

喜びであれ悲しみであれ何であれ、その瞬間にしか書けない瑞々しい感情が「その時」の文章には宿っている。
どんなに忘れたくないと思ったことでも、少しずつ忘れていってしまう。だから、書いて残しておく。
心の中で「忘れないぞ!」と覚えておくよりも、書くことでより記憶に刻み込まれるから。
それにもし忘れても、読み返せば思い出すことができるから。

と言いつつ、実際に自分の過去の文章を読み返すことってあんまりない。というか怖くてなかなか読み返せない。
特に、自分の胸中をさらけ出した文章や、痛みを伴う文章、深く潜って書いた文章などは読み返すのが怖い。必要に迫られて読み返すときは、思わず薄目になってしまうくらい。

書いてる間や、投稿するまではなんべんも繰り返し読む。
私は文章を書くとき、出だしから終わりまですらすらと綴れるわけじゃなくて。言葉が虫食い状態になるので、何度も頭から繰り返し読んで空白や違和感を埋めて調整しながら書き上げていく。
1万字くらいあるとそれこそ一度読むだけで10分以上かかってしまうので、それを何度も何度も繰り返しているとものすごい時間もエネルギーもいるのだけど、完成する頃にはその1万字を暗唱できるようになっていることもある。
(今までに書いた中だと、Perfumeのライブレポはほぼ1万字あったけれど当時完璧に暗唱できた)

投稿する直前にも必ず通して読み返すし、投稿してからもすぐに一度読み返す。
これだけ読み返しても後から誤字脱字が見つかったりするのはご愛嬌……?(逆に読み返しすぎて感覚が麻痺してるのかも)

その後も誰かから「スキ」や「いいね」の通知が届くたびに「わー!(◯◯さんが)読んでくださった!」とドキドキしながらまた読み返す……みたいなことをいつもしている。改めて文字にすると少し恥ずかしいけれど。
とにかく私は自分の文章を何度も何度も繰り返し読む。

でも、新しい文章を書き終える頃には前の文章はほとんど読み返さなくなり、次の記事、次の記事……と文章が過去になればなるほど読み返さなくなる。いや、読み返せなくなっていく。

文章を書いているときって、私にとってはある意味なんかノリウツッテル状態で。
(しらふだし、意識も記憶もちゃんとあるよ)
特に私は「熱量がすごい」と言われるような文章をよく書いてしまうのだけど、普段の「中の人」はというと口数も少ないし、ぼんやりと生きているような人間なので……。
時間が経ってから読み返すと、自分でもその熱量にやけどしそうになることがある。顔から火がでる的な。

自分が書いた文章に向き合えないという事実にずっと負い目を感じていた。
「自分が書いた文章は、自分の子どもみたいな存在だから」
「どこに出しても恥ずかしくない」
そう言えることに憧れがある。
そういう人を見るたびに、私は自分の文章を大事にできていないのかな……って、自分で自分に申し訳なくなっていた。
でも、自分の過去の文章を読み返せない=自分の文章を大事にできていない……というわけではないのかもしれないと最近は思っている。


きっかけは、何気ない呟きだった。
2ヶ月程前、Twitterに放ったつぶやきから、私が過去にアメブロで書いたBUMP OF CHICKENのライブレポを読みたい!とおっしゃるフォロワーさんが現れる。
そのレポは2014年に行われたBUMPのライブツアー『WILLPOLIS 2014』における大阪公演2日目のもの。

アメブロは8年ほど前から今までずっとゆるゆると書き続けていて、その存在こそTwitterやnoteでも公言しているものの、リンク等は貼っていない。
(昔はTwitterでシェアしたりもしていたけれど、思うところあって数年前からはそれもやめている)

私の中でアメブロは、「内側に開いた場所」
noteは、「外側に開いた場所」
そんなイメージかな……?

「読みたい」と言っていただけて、うれしいのと同時に少し迷った。
2014年といえば当時の私は25歳……?
今よりも顔文字を多用して全体的にテンション高めの弾んだ文章は今の私からするとそれだけでちょっと恥ずかしい気もする。
でも、読みたいと思っていただけるその気持ちがうれしくて、ありがたくて、DM(ダイレクトメール)で個人的にブログのURLをお送りした。

そして、読んでいただくからには……と、勇気を出して自分でも読み返してみることに。
そしたら思わず笑ってしまったのだけど、そのレポ「その1」〜「その8」まであって。
入場前の様子とかフォロワーさんに会った話とか、後日談とかまで入れるともっとあって。
小分けに書いているから、繋げたら多分今よく書いてる1万字前後くらいのボリュームにはなるのかな。
見たこと、聴いたこと、感じたこと、なるべく余すとこなく書いて残したいっていうところ、今も変わってないや。

恐る恐る、読み進めていく。
やっぱり今よりテンション高めで心の声もダダ漏れてるんだけど、あれ?思ったより大丈夫かも…… という感覚。

そして、思い出した。
文体こそ明るいものの、2014年って言ったら私が今までの人生でどん底くらいにしんどかった時期だ。
いろんなしんどいことが「これでもか!」ってくらい立て続けに起こって、心も身体もボロボロだったとき。
ライブのチケットはそうなる前にとったものだったけれど、こんな状態でライブに行けるのか、行っていいのか悩みながらの参戦だったんだ。

そんな状態でも、音楽を全身で受け止めて、目に耳に心に刻んで、それを文章にして残そう伝えようと懸命になっている自分がそこにいた。

……カッコイイじゃん、私。そう思えた。
書いて残してきてよかったな。そう思ったらなんだか少し泣けてきた。

どんなに読み返すのが怖い文章でも、あとで恥ずかしくなるような文章でも、私は基本的に自分の文章を消したりすることはない。
それは、こんなふうにいつかもう一度向き合える日が来ることを知っているからなのかもしれない。
いつかの自分が今の自分の支えになることを知っているからなのかもしれない。
自分が書いた文章を、自らの手では消さない。
これは、もしかすると私なりに自分の文章を大切にしてるってことの表れなのかもしれないな……そんなことを考えた。

今は読み返せなくても、いつか読み返す日がくるかもしれないから。
恥ずかしくても、稚拙でも、不器用でも、私が精一杯に生きた証だから。
それに、過去の文章を読み返すのが怖いのって、裏を返せば「常に今が最高」ってことにならない?かな……(突然のポジティブ)
過去の文章を読み返して恥ずかしくなったりもっとこうすればよかったかなって思えるのは、それはつまり…… 伸びしろってことじゃない……?(ポジティブの飛躍)

フォロワーさんも早速レポを読んでくださったようで、しばらくするととても丁寧な感想が届いた。
自分が好きで書いたものに対して「ありがとうございます」と言っていただけるのは、少し不思議な感覚だった。ありがとうは、こちらこそなのです。
まるごと受け止めてくださったこと、本当に温かくって有り難かった。

「読みたい」と言ってくれる人がいたから、私も勇気を出せた。あの頃の自分にまた会えた。
文章が、息を吹き返した。そんな気がした。

ひつじぐもさん、本当にありがとうございました。
大切なことを思い出させてもらって。

どんなに忙しくても、自分が大変な状況でも、フォロワーさんたちに対してまめに声をかけるひつじぐもさんの姿、いつもすごいなぁと思って見ています。
フォロワーさんたちの作品にもいつも心のこもった感想を伝えていて、ひつじぐもさんの言葉に救われている人はきっと多いんだろうなと。
私も、私の文章たちも、ひつじぐもさんからの言葉に何度も救ってもらいました。

自分に厳しく、人にあたたかい、そんな印象を受けるひつじぐもさん。
絵や文章など、葛藤しながらも自身の創作へ向き合う姿勢もカッコよくて、度々勇気や刺激をいただいています。
なかなかちゃんと伝えられていないけれど、ひつじぐもさんの繊細で可愛くてあたたかい絵も、心にぐっと迫る文章も、大好きです。

最近だと、音楽文に寄せられたこちらの文章がとても印象に残っています。

※音楽文のサービス終了に伴い、観覧は2022年の3月末までとなります。

ひつじさんは「また暗い話を書いてしまった……」とおっしゃっていたけれど、私はこの文章を読んでとてもあたたかい気持ちになりました。
胸がぎゅっと締めつけられながらも、ひつじさんの優しい眼差しと、「少年」の生きる力に勇気をもらえました。
小説のような、でも映像で見ているかのような語り口にも引き込まれて。読んだあと、胸がいっぱいになりました。
きっと、また何度も読み返します。
(実際、ひつじさんにnoteで紹介させてくださいとお話してから2ヶ月以上経ったいま読み返してみると、また胸に迫るものがあって。この2ヶ月の間に私自身いろいろあったからだと思います)

終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて

借り物の力で構わない そこに確かな鼓動があるなら
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう

(HAPPY/BUMP OF CHICKEN)


まだまだこの文章が届く人がきっといるはず。未読の方は読めるうちに、ぜひ読んでほしいな。

絵は現在、Twitterのリンクを貼れない状態なので最近ネットプリントしたひつじさんのイラストを紹介させていただきますね。

BUMP OF CHICKEN結成25周年に寄せてのイラストです。

画像1

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可愛らしい絵柄に、水彩の透明感。
私は特にひつじさんの「アオ色」が好きです。
細部への拘りや、推しへの惜しみない愛が詰まった絵。手元に置けてしあわせです。
ありがとうございます。大切にしますね。



私は今でも自分の過去の文章を読むのは少し怖いけれど、最近は少しずつ緩和されてきているような……気がする。
それはきっと読んでくださる人や、感想など思いを寄せてくださる人たちのおかげです。

誰に何と言われようと、逆に誰にも何とも言われなかろうとも、自分だけは自分の作品に絶対の自信を持っている!
……そうあれたら一番いいのだろうけれど(そういう気持ちが少しもないわけじゃないけれど)、まだまだ修行が足りません。
それに、誰かのお陰で立てている。そんな自分もわりと好きだったりします。

noteなどを投稿するたびに読んでくださる方々や、過去の文章までさかのぼってたくさん読んでくださったり、言葉で伝えてくださる方々。
過去も今も含めて、書いたものを肯定してもらえるって本当に励みになる。
それでも満たされない思いというのは存在するもので、なんて欲深く愚かなんだろうと思ってしまうこともあるけれど。

いただいた思いをしっかりと受け止めて、これからも私は私のペースで書き続けます。
大切が大切ってこと、いつか忘れてもちゃんと思い出せるように。


震える足でも進めるように
自動的に空が転がるように
次々襲いくる普通の日々
飲み込まれないで
どうにか繋いでいけるように

(トーチ/BUMP OF CHICKEN)


【おまけ】 

トップの絵は、件の2014年のBUMPのライブにおいて演奏された『white note』という曲の一幕を、記憶をたよりに再現したものです。当時のアメブロのライブレポから引っ張り出してきたよ。

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ステージ前方のスクリーンにこういう映像が流れて、それに合わせて手拍子や足踏み、合唱をするっていう。いわゆる「音ゲー」みたいな感じでとても楽しい演出でした。またこういうのやりたいね。

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