「カッコつけようとすると、ダサくなるのかなぁという話」

犬飼さんという 俺たちのSPA!の編集長がおるんですよ。

メンズ服はスーツ(制服含む)、ミリタリー、ワークウェア、スポーツ、民俗が源流で、その機能性や意味を強化したり削いだり無意味化するのがデザインだとすると、そういった意図なく単なるデザインのためのデザインに陥ると途端にダサく見えるのかなあ……

このTweetを引用して気づいたんですよ。

わし、フォローしてない!!!!!!!!!!!!

マジパンのやつをフォローしてたので、その流れで見えてたようで、フォローしてる気になってたけど、してなかった!!! 

たまになんかありますよね。

まぁそれは置いておいて、ドレカジのバランスとかの話をしていると、

メンズはあんまり着飾るのをよしとしない、

とか意味のないデザインはカッコ悪いとかはなんとなくわかるんですが

カッコ悪いのは、なんでなんだろう、意味がないとなんでカッコ悪いんだろう、

とか思うじゃないですか?

自然はカッコいい!!! けどもそもそもお洒落したい、かっこよくみられたいいぃいいい!!! というのがそもそも、けっこうアンナチュラルなわけじゃないですか? モテたい!!! ってのはめっちゃ自然な感情だと思いますけど。


で、犬飼氏のTweetを見て、思ったのが、

ようは 

カッコイイ と思われようとしていると察されるとダサい

ということなんじゃないかなーと思ったわけですよ。

いや、そもそもお洒落ってカッコイイとか思われたいから、やるんじゃねぇの?という逆説的なものなんですが、だからこそ、バランスが難しいのかなーというわけですよ。

極論、不自然だからかっこ悪い、わけじゃなくて、カッコイイと思われようとしている姿がダサいという 業 みたいなもん、というね。

氏のツィートに書いてあるとおり、かっこよく見せようという意味ないデザインがカッコ悪くダサくみえるわけですよ。

これはなんだろう。

ファッションだけに限らずに、いろんなデザインや心情・信条・生き方までもそうなんだろうなぁと思うわけですよ。

人によく見られたい という卑近な感情に人は敏感だから、そこに対して、こうあまり輝かしい感情を抱かないわけですよ。

これは人に対して、敬意を払うとか、大切にする、というものとは違い。

人によく見られたい、というのは他人目線のようで自分目線なわけですよ。

どこまでいっても自分だから自分目線だとは思うわけですが、他人・他者に対して自分がどうあろうか、というそこ。


ファッションも信条も迎合するとダサい。

逆にダサく見えようとも、カッコイイまで昇華させられればカッコいいんじゃないの? と。


そんなことを思ったわけです。あとSPAみてると、もう中年は氏ぬみたいな記事と人生楽勝!みたいな記事のバランスが絶妙で、ほんま娯楽誌だなぁと思います。





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