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今こそ見てほしい映画『恋のドッグファイト』

 時は1960年代のアメリカ合衆国。ベトナムの戦地へ赴く若き海兵隊員たちの出征前夜を軸に据えて描かれる映画『恋のドッグファイト』は、いわゆる「切り抜き動画」が大量に出回る今の時代にこそ、見てもらいたい作品である。

 本作のタイトルにもなっている「ドッグファイト」とは、容姿が最も醜い女をナンパして連れてきた男が優勝できるという「ブスゲーム」のことだ。本作で主人公・エディーを演じるのは、リヴァー・フェニックス。端正な容姿と確かな演技力で一世を風靡した彼が出演する麗しい恋物語だとばかり思っていた私は、本作の序盤で繰り広げられる「ドッグファイト」に衝撃を受けた。

 しかし、本作を最後まで鑑賞すると「ドッグファイト」なる遊戯への見方、それに興じる若き米兵たちへの印象が、序盤に抱いたそれとは全く違うものになる。主人公・エディーは「ドッグファイト」のために連れてきた少女・ローズと恋に落ち、愛し愛される幸せを知り、それゆえに葛藤する。それとは対照的に、彼の仲間たちは海軍兵士と殴り合ったり、ポルノ映画を見ながら売春婦に癒してもらったり、お揃いの刺青を入れたりと、刹那的な行動で出征前夜を過ごす。

 自分が戦争に行くことを頭では理解できても、心や体の奥底には戦争への恐怖がうごめいている。自分の運命やアメリカ社会に対する、やるせない思いも湧き上がって、冷静ではいられない。しかし出征は明日に迫っている。逃げることはできない。
 「ドッグファイト」が誉められた遊びでないことは明らかだ。しかし、物語が進むにつれ「ドッグファイト」やその他の粗暴で刹那的な行動の中には彼らなりのルールが存在するのだと分かってくる。恐怖も、やるせなさも何もかもを、出征前の一夜でどうにか消化しなければならない若者の葛藤が見えてくる。

 物語の舞台は1960年代で、現在のようなSNSはない。では、仮にこれが今現在の物語だと考えてみてほしい。もし本作冒頭の「ドッグファイト」に興じる海兵隊員たちの姿だけが切り抜かれて、SNSに投稿されたとしたら、彼らは女性蔑視の価値観に染まった品性下劣な男どもとして袋叩きにあうだろう。しかし、本作を最後まで鑑賞した私は、彼らを責めることができない。

 「ドッグファイト」は、本作が描き出したいものを強調するための一場面に過ぎない。本作が描いているのは醜悪な遊びの奥に潜んでいる、戦争なのだ。戦争が彼らを「ドッグファイト」へと駆り立てるのである。本作を最後まで鑑賞した人は、きっとそのことに共感してくださるものと、私は思っている。

 もし私が序盤の「ドッグファイト」に拒否反応を示し、下品なだけの映画だと決めつけて鑑賞を中断していたら、私は本作の妙を知ることなく生きていたのだろう。「こんな映画にリヴァー・フェニックスを起用する意味なんて、どこにあるんだよ。」とか何とか、偉そうに文句をつけるだけになっていたのかもしれない。それを考えると、何だか恥ずかしく、少し恐ろしい。

 切り取らず、早送りもせず、一部始終を見届ける。そして、そのあと湧いてきた感情はどのようなものなのか、自分なりに考える。本作を通じて、私はその大切さを痛感した。

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