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さて、「今、思うこと」の第2段です。

今は「新型コロナウィルス」とそれに伴う「新型肺炎」の
ニュースで溢れています。
毎日、毎時間、どこそこの県で感染者が何人出た、
亡くなられた方が何人出た、
欧米では外出禁止令や、渡航禁止など
新型コロナの封じ込めに必死です。

というか、封じ込めに失敗してしまったので、
もうそれしか手段がない、といったところでしょうか。

幸いなことに、と言っていいのかわかりませんが、
私は在宅勤務社員ですので、家から出ることなく
お仕事ができますが、通勤されている会社員の方、
営業のお仕事の方などは、常に危険に晒されていることに
なりますね。

私の友人にも、昨日から微熱が出て、体がだるく、時々咳が出る、
ということで、今日から3日間自宅謹慎、4日めになっても
治らなかったら検査、という崖っぷちの人がいます。

震災や天災、人災が続けて起こり、
今は日本人全体が未知の恐怖、新型コロナにさらされています。
日本人全体、ではなく、世界中の人全体が、ですね。

私は医療について自分の持病については
ある程度知識がありますが、
ウィルスの感染拡大などはまったくの素人です。
ですから、ラジオ(私のうちにはTVはありません)から
流れてくる情報とネット上の情報が主な情報源になります。

この新型コロナウィルスの感染拡大によって、
国同士の紛争、国内紛争などしているわけにはいかない、
みんなが協力して、事にあたらなければいけない、
と争いの終息に向かってくれないものか、とも思います。

私は無宗教ですが、信心する宗教をお持ちの人にとっては、
他の宗教の信者がウィルスに感染しても、
「ほらみたことか、そんな宗教を信じているからだ」
となってしまうのでしょうか。

私は幼稚園がキリスト教のところでしたので、
お昼のお弁当の歌の代わりに賛美歌を歌い、
お祈りをし、「アーメン」と感謝していました。
ですので、キリスト教については受け入れやすい状態です。
とは言え、キリスト教もカトリック、プロテスタント、
他にも様々な宗派があって、どこが自分に一番合っているかと
考えると、大雑把に考えればカトリックなのかなと思います。
実際、一時期修道院に入ろうかと思っていたこともありました。
なんだかいろいろなことに惑わされて、
もっと心静かに暮らせないものかと思っていたのです。
また、中学校まで通っていた塾、というか少人数の寺子屋みたいな塾でしたが
キリスト教短期大学で開かれていた塾だったのです。
毎年クリスマスパーティにお呼ばれして、
牧師さんのお話をいただき、先生や学生さんたちと交流があり、
考えてみるととてもキリスト教には近い時期が長かったですね。

それでも、今無宗教でいるのは、
やっぱり日本古来からの八百神の考え方が好きだったからでしょうか。
日本にはどこにでも神さまがいます。
どんな状態にあっても、神さまがいます。
欧米で言えば、天使がいる、ということに
置き換えられるかもしれません。

唯一絶対神、ぶれることないただひとつの真実。
そういうものもあるのかもしれませんが、
(いえ、多分、あるのです、絶対な存在は)
それを掴むには、私の腕は短すぎるのです。

私の中では天照大神。
太陽の光、暖かさは、時に過酷なこともありますが、
誰の上にも平等に注がれるものです。
たとえ曇りでも雨でも、昼間が夜と同じ暗い帳に
沈むことはありません。
だからこそ、古代の人は日食を恐れたのでしょう。
北極、南極に近い国では、日が沈まない時期があったり、
太陽が昇らない時期があったりしますが、
だからこそ太陽のことを大事に思っているのではないかなと
考えたりします。

話は変わりますが、私が子供の頃は夏の日焼けは元気の証拠、
みたいな感じで、夏休みは毎日プールに通い、
甲羅干しのように日焼けするようにしていました。
それが高校の頃からでしょうか。
日焼けはやけどの一種、オゾン層が破壊されつつあり、
有害な日差しが強くなっているから日焼け止めが必須、
と認識が変わりました。
日焼けすると将来シミ、シワになる、というのも常識のように
なってきましたね。
当初は夏の日差しだけ避ければ良い、でしたが、
今は日差しは1年中あるから、たとえ冬でも安心はできないと
言われています。
私もベランダに出るだけでも日焼け止めを使っています。

太陽は絶対的な存在、と言えるかもと思いますが、
その存在もただ恵みを与えるだけではなく、
試練も与えてくれるのですよね。

やっぱり神さま、ですね。
日本には神さまと仏さまがいらして、
神さまは試練とご褒美を与えてくれて、
仏さまは救いを与えてくれるといった感じでしょうか。
お寺に法話を拝聴しに行ったことがないので、
仏さまについては、実はあまりよくわかりません。

仏教もいろいろ宗派があり、密教も日本に入っています。
それを考えると、やっぱり日本は八百神なのですね。

私はスピリチュアルにも興味を持っています。
人が本来持っている力のほとんどは封印されている、
というのは、多分そうなんだろうなと思います。
ただ、今の段階では、私にはまだスピリチュアル方面に
進むには時期尚早なのだと思います。
癒さなければならない感情、過去がたっぷり残っていますから。
でも、乗り越えられない壁はない、ともいいますしね。
多分、いずれ私はそちらにシフトしていくのでしょう。

けれども。
白状しますと、私の中には未だに差別する感情というものが
残っています。
人として否定するというわけではないのですが、
自分が理解できないものについて、排除したいという気持ちが
働きます。
それを自覚するたび、自分は未熟だと感じます。
それを受け入れられるようになれば、
私の人生の行き先も少しずつ変わってくるのではないでしょうか。

私は昔から「縁の下の力持ち」という言葉が好きでした。
表舞台に立たなくてもいい、
でも、いなくてはならない存在になりたい、と。
今、会社では1グループを任されていて、リーダーとして
物事にあたっています。
リーダーは思いっきり表舞台かと思いますが、
今年の目標は「ひとりで頑張りすぎない」なので、
メンバーにいろいろなことを体験してもらい、
私は見ているだけで、メンバーに活躍してほしいと
考えています。
私のグループは、ある業務の特化グループなので、
他のグループリーダーよりは楽なのだと思います。
メンバーも優秀な人が揃っているので、
業務の教え甲斐があるというものです。

新型コロナから宗教の話に、
そこから会社の話やら何やらといろいろ書いてきましたが、
こうして書いてみると、
私自身、まだ迷走しているなと感じます。
いろいろなことが中途半端な知識で止まっていて、
勉強していかなければならないことがたくさんあります。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

七瀬葉月

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