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聖夜に名も知らずの星座の話connecting dots of memory in the holy night sky~my christmas statement~

 2020年のクリスマスは一日を会社で過ごした。残業したかったけれど社内の早く帰ろうムードが凄くて、雰囲気に押されて無理やり私も業務を定時に終わらせ帰路に就いた。会社を出て真っ暗な住宅街を突き進んで大きな国道を目指す。脇に点在する回転寿司屋、焼き肉屋、牛丼屋、ファミレス、どこもかしこも嘘みたいに無人の店をわき見しながら歩く。きっとみんなお家で仲良くクリスマスパーティしてるんだろうな。ふと目に入った牛丼屋のポスターの、人気女優が鍋すきをおいしそうにほおばっている姿に思わず見入ってしまった。最後に食事を摂ってから既に6時間も経っていた。

 今月は例年通りの繁忙期に加えて新しい仕事を任せられるようになり、一か月が風の様にめまぐるしく過ぎていった。毎日走り抜けていると日に日に神経は擦り切れ、仕事納めを目前にこのところ惰性ぎみで仕事をしていた。今朝、早退する予定のパートさんに早めに仕事を切りあげて帰るように促したら「今日は私一日中いますよ?」ととぼけられた。どうやら休む日にちを間違った。しかもお休みするのは昨日だった。つまり過ぎた話だった。齢28。近頃よく時間をすっとばしたり巻き戻ったりしてしまうらしい。

 空腹を携えているとドライブスルーの飲食店ばかりに気をとられてしまうので、ふと夜空に忘れられないクリスマスの記憶を思い浮かべる。毎年よく思い出すのは家族と楽しくご馳走を食べた記憶や友達とプレゼント交換をした記憶よりも、何故か学生時代働いていたスーパーの駐車場で、真っ赤な包装紙のプレゼントを抱え呆然と立ち尽くしていた自分の姿である。

 私は高級住宅街近くのスーパーで働く警備員で、クリスマスのその日は朝からプレゼントやオードブルを買いに来た家族連れがひっきりなしにやってきては大きな荷物を抱えて帰ってゆき、お陰で駐車場は満車、子供たちは場内を走り回り入場できない車の列は場外の道路をも詰まらせ周辺道路を渋滞させていた。私自身もそれらの対応に追われ、警備員としてもクリスマス需要の恩恵を被っていた。その日の夕方、たまたま通りがかったベンツに乗ろうとしたマダムが私を呼び止め、「鍵を探したいからお願い」と突然荷物を私に託した。女性は待てども一向に鍵を見つけられず、私は側でずっと彼女を待つしかなかった。赤い包装をされた長方形のその箱は両腕で抱えると私の顔の高さまである大きさだった。(きっと今晩これを大切な人に渡すのだろう。)そう思うと、プレゼントを持ってあげるという行為が何か特別な任務に思えてきた。そう気づいてしまったからには逃げられない重量感があった。しかし、真っ赤な箱を抱えた私は、何故かだんだんと自分の中で滑稽な人として俯瞰された。200台も車が止められるこの大きな駐車場に、仕事もほったらかして他人のプレゼントを大事に抱えぼうっと突っ立っている自分。(私は、一体何者なのだろうか。)

 そしてあるときの私は小学生だった。家族でクリスマスの日に唐揚げやスパゲッティを口いっぱいにほおばりながら、とにかく笑っている。何がそんなに楽しかったのかは全くわからないがずっと私は笑っている。目の前に座っている父親はシャンパンキャップを鼻にはめてトナカイの物まねをしている。いつも仕事で機嫌が悪かった父親は陽気になると子供たちの前で嘘みたいにエンターテイナーになってみせる人だった。特に瓶ビールの蓋を瞼に挟んで変顔したり片手で蓋をつぶしたり(!?)、蓋芸が得意だった。ひょっとすると子供の私は楽しかったというよりもそんな父の姿が嬉しかったのかもしれなかった。シャンパンキャップのトナカイは酔いが勝ってちょっと狂気じみていた。

 頭上に大きなオリオン座が輝いている。今年、占いの本を読んで以来星座に興味があり、ふとした帰り道に夜空を見上げる癖がついた。特に今夏は、標高約1300mの高原で幾千もの星屑が広がる夜空を目の当たりにすることができた。資料を頼りにかんむり座や白鳥座、ひしゃく座など、普段地上では見つけられない星座を肉眼で捉えては感動し、「星をつなぐ」という行為に遊び心を覚えた。夜空に無造作にひっくり返された星屑に見えて実は規則性がそこにあるのだと知った瞬間であった。

 28年間、いつも師走は忙しかった。卒論に追われたり休学してアルバイトばかりしたり、その間にも色んな出会いや別れがあり。。。この10年間は特に時系列が紆余曲折しており、時々自分で納得したはずの人生を掘り起こしては後悔したくなることがある。SNSで目にする旧友たちの結婚、転職、事業の立ち上げ______。田舎の一般企業で働く私とは確かにどれも違う世界で輝かしい。けれど、今の私は今までの出来事がなければ出会えなかった人々、環境に身を置けている。色んな記憶の断片を集めていくとどうやら私はこれまでの28年間をくねくね回り道して大きな星座を描くように進んできたみたいだ。回り道した分かなりクリエイティブな星座だと思う。それでいい。きっと私は置かれた場所で今しっかり輝けているのだ。比較的劣等生だった私の、私なりのある意味ねじ曲がった自己肯定宣言である。

 仕事帰り、時空に点在する記憶の断片が繋がった瞬間だった。

  happy belated christmas. hope you have a wonderful new year


P.S. 今回の作文が一年のいい締めくくりになった。何だか気持ちがよいのでchristmas statementを毎年の恒例行事にしよう!

写真 「星座を見つけよう」H.A.レイ