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親友が24歳になった。


彼女を見ていると、いつもなにかに振り回されていていいなあ、と思う。

北参道で、顔にカレーのルウをつけて笑う彼女に向かって「なにしてんの」って笑いながら話した日に、わたしは改めて、いい友達をもったなあと思ったものだ。

彼女は突然、わたしが通っていた塾にやってきた。10年以上前のことだ。いわゆるお受験コースにやってきたにしては、だいぶ抜けている……。というのが生意気なガキの感想だった。

でも、わたしは彼女の虜だった。だって、持ち物が本当にかわいかったから。どんなものを持っていたか、今では忘れてしまったけれど。親に提示されたなんとなくのものを身に着けていた小学生のわたしにとって、とにかく憧れだったのだ。

小学校が違ったわたしたちは、無事受験を乗り越えて(結構な倍率だった、今思えばわりと奇跡的である)同じ中学に進学した。そういえば、一度も同じクラスにならなかった。変わらず塾がいっしょで、ちょっと話すくらいだった。

今思えばおかしい話だけれど、彼女が別れたあとの男の子と付き合ったことがあるな。そう、元彼がいっしょってやつだ。でも中学のそんな話、めちゃくちゃに愛おしい。

高校ははなれてしまって、大学も一緒ではなかった。初めて会ってからもう13年くらい経つけれど、同じような環境にいた期間なんて3年間しかない。

たとえばなにかを一緒に達成したわけではない。性格も別に似てないし、共通点があるとすれば好きな歌手が一緒だとか、それくらいだ。

でも、「なんか気になる」答えの出ない存在は、それはもう永い片思いのようで。自分の中で答えが出ないからこそ、とにかく気になってしまうのだ。

学校というコミュニティを出てしまうと、もう同じような人間としか付き合わなくなる。そっちのほうが楽だからだ。でも、それだと視野はどんどん狭くなる。わたしの世界で盛り上がっていることが、実はメジャーではないということをわたしたちは認識し続けなければならない。

そんなわたしの意識を、いつも外へと連れ出してくれる彼女は、会うたびにごはんをおいしそうに食べながら、目の前の物事に一喜一憂している。素直さにわたしたちは抗えない。誠実こそ正義だ、と彼女をみているとつくづく思うのだ。

なかなか休みのない彼女は、貴重な休日ですら人と会うことで埋めてしまうので、わたしはいつも「ついでに服買わなくていいの?」とか「待ち合わせ適当でいいよ寝坊したらいって」とか言ってしまう。

次の待ち合わせも多分、「ごめん〜〜〜」って言いながら走ってくる。断言しよう。でも彼女に待たされることだけは、なぜか心地いいから笑ってしまうのだ。


読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。