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拡張

ミニシアターの小さな入り口で、いくつもパンフレットを取って眺めた。よく知らない演者が、何かを表現している。その「よくわからないもの」と対峙する感覚だけで充分だった。ビデオショップで100円レンタルを何度も繰り返した田舎の高校生あがりの上京なんて、それぐらいの変化で十分なほどに新鮮である。

「しぶといんだよなあ、この街」
いつも行っていた喫茶店のカウンターで、職人のおじさんがつぶやいたその一言がすべてだと、今では思う。人口150万人にも満たないこの小さな都市にこれだけミニシアターあるのすごくない?冷静に。というか多分、ちいさな何かをしぶとく続けて成り立たせる。物好き、を救う街。

などという言語化のそばで、首を縦に大きく振りながら、彼女は2杯目のコーヒーを頼もうとしている。そしてわたしはと言うと、大好きな街を離れて1年以上が経っていた。

「いよいよこっちで生きる覚悟をしたんだ」
別れ際に言われた言葉で自覚した。ああそうなんだ、と思った。多分、だいぶ前に覚悟は決めていた。

深夜タクシーの中からまだ明るい渋谷を眺めながら、どうしようもなく蔓延した粒子はノイズになっていて、大学生の頃、格好つけてタクシーに乗るひとを見ながら「気取ったひとたちだ」と軽蔑の眼差しを向けてしまっていたのに。当たり前にそれに乗り、首都高から東京タワーを見上げて、夜の東京は美しいとまで思ってしまっている。粒子はどうやら感染を広げているらしい。明るい街並みを走るタクシーに乗る主人公が憂鬱な眼差しを向ける映画も、タクシーの中で物語が進むドラマも、いくつも観た。どうしたものか、それらはいつも美しく、ナイトクラブのダンスシーンのミラーボールと同じくらい胸が高まった。

「余白を浪費し尽くした気がしたんだよね」
と答えると、なるほどね、という顔をする。じゃあもっと、こっちで楽しいことを探せるね、と笑うので、敵わないなあという気持ちになった。

あなたが見ている世界を見たい。あなたが進む世界を、同じ速度で歩ける人でいたい。それだけで、この数年間のすべてを乗り切れたこと、あなたは知らないだろうけど。次会ってもきっと「最近摂取した世の中の話をしよう」とあたらしい世界を教えてくれる。全然飽きないな、知らないことがたくさんあることが、楽しいことだと思い続けられる限り、わたしたちは、つよい。

拡張し続けたい、と思うたびに大事にしていることがある。わからないものを、わからないままで持ち続けようね。心地いいことを選び続けることは簡単だけど、“なんとなく心地の悪いこと”を明確にして、それをどうするかの選択をし続けることはやめないでいようね。

余白は大人の嗜みなので。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。