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そうだ、料理人になるのだ。1章

『手に職』と『溜め*』

うちのいえはほんまにあつい。木造建築角部屋日当たり良好 エアコン扇風機を起動させても効かないので日中は仕方無しにジョナサンや図書館へ逃げ込む私達は、家があるのに所在ない。(私達というのは私自身、と1Kのアパートで共に暮らす連れのことである)今日も最高気温が更新されるのか。そんな朝、私はある程度の決意を持ってブログを綴っている。

コロナウイルスが私達に塒を巻いてから今まで、アルバイト先が有難く手配してくれた失業給付金と週2、3のアルバイトで食いつなぐ生活、この状況を脱する時がきた。料理人になります。

会社員をやめてから一年半、将来店を開くという夢を抱きつつも、飲食業界で社員として働くことに何かしらの理由で避けていた。この世界でやってくのは働くのはしんどいぞ厳しいぞ、とその世界でやってる人みんながくれる言葉。恐れる私。でも決めた。良くも悪くもコロナによる不況下で自分自身の無力さを痛感し焦り苦しみ悩み考え、飲食で社員として修行する決心を決めた。相変わらず慎重派だなあ。
今まで周りのデキる人たちに寄っ掛かりまくって生きてきたし、そうすれば楽だった。そういう人生を一生歩んで幸せな場合もある。だけど私を取り巻く環境と夢のためにはまずやっぱり「手に職」をつけなければならないんだ。26歳にもなって恥ずかしいけれど、一刻も早く。私の選んだルートは経済的、精神的にも苦しむだろうけれど、5年後それが報われる予感が、前職よりも、凄く肝にしっくりきている。

今面接を受けている2つのお店のどちらかで決めるという決心は、つい先ほどついたところ。連れやお母さん、バイト先のオーナーや社員さん、様々な人に自分の考えを聞いてもらってようやっと決意することができた。

これは余談だが、以前本で読んだ人それぞれが持つ“溜め”*というやつについて最近考える。一般家庭で育ち新卒3年で会社員を辞めた私は、金銭面で“溜め”は全く持っていないのだが、人に関する“溜め”はかなり群を抜いて持っていると思う。(人と比べることはできないけれど自分がそう思えればそれでいいと思う) いつの時代も、周りの人は本当に頼りにさせてもらえる人たちばかり過ぎで、申し訳ないほどに幸せで、その“溜め”のおかげで今までも今も私は前に進めている。
そういえば私の連れにも言えるかもしれないなあ。彼は私よりも一層かなり金銭の“溜め”は持ってないが、凄く多くの、人の“溜め”を持っているし、それを作るのが上手く私も見習うことがよくある。(だのに、彼には仕事がない。なんでなんだ教えてくれ神) 似ている者同士支え合って生きてゆこうではないか。あ、これはおのろけではありません、悪しからず。

ここで話を戻そう。面接1店舗目は人気のイタリアンバル。私の応募文章がかなり心に響いたらしく、2、3日以内に連絡くれたら採用するとのこと。これから新店舗も展開していく、その人材固めの雇用ということで良き成長環境ではある一方、安月給で社会保険は完備なしという国民的に不安な面もある。料理人には引っ越しが伴うことも承知した。

ということで、これから2店舗目の面接に行ってきます。

しばらく我が苦悩は続くだろうし、また白髪も増えるだろう。ただ夢を目指して。


私の人生、トゥービーコンティニューなのだ
ナナオロウ(2020/08/21 10:00手記)

*「どんとこい、貧困! 」(よりみちパン!セ)より
“溜め”とは、「がんばれる条件」みたいなもの。お金がある、頼れる人がいる、みたいな自分のやる気だけでは満たせないモノだったりする。