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最近疑問に思っていたこと諸々

どうやら町長選が今週末に控えているようで、今朝は選挙カーの叫び声で目が覚めました。

「みなさん、おはようございます!○○でございます!ご迷惑をおかけして申し訳ございません!地域の皆様へご挨拶に伺いました!」

日本に帰って来たんだなあと思います。

騒音問題とか、幼稚園が煩いとか、え?と思うところにまで文句の声が出るらしいのに、選挙カーの騒音はどうして堂々と許されているのだろう?


それに選挙カーってそもそも効果があるんだろうか?

ただ煩いだけで迷惑にしか感じないから、あんまり走り回られると余計に投票したくないって思うのですが、それって少数派なのでしょうか?

選挙カーでサッと通り過ぎて行くときに聞き取れる情報って立候補者の名前と、せいぜい「子育て支援します!」とか「減税!」とか根拠や具体例の示されないただのスローガンだけ。
スローガンだけでは投票する決め手にはならない。じゃあ選挙カーって意味があるのか?

名前を繰り返すことでただ単純にサブリミナル効果を狙っているのか?

効果はないけどみんながやってるから誰もやめられないだけなのか?

せめて立候補者本人が声を出せば良いのに、なぜかいつも女性が声を出しているのも不思議です。



最近疑問に思っていたことと言えば、
"電気自動車は環境に良い"という触れ込み。

確かにガソリンじゃないと車から排出される排気ガスは減るけど、電気を作るのだって同じくらい環境に悪いのでは?と疑問に思っていたのです。

すると丁度良いタイング!
アルバイトをしているバーに電気自動車の開発に携わっている方が来たので、尋ねてみました。

曰く、
自動車だけを見れば確かに電気自動車の方が排気ガスを排出しない分環境に良いけれど、電気を作る時に燃やす燃料も考慮したら結局ガソリン車と比べて環境に良いとは言えない。
それでも電気自動車にするメリットは、ガソリン車に比べて電気で全て制御されるシステムの方がより精密な操作が望めること。それからブレーキをかける時に減速するエネルギーを電気に替えて充電することが可能なこと。その点ではガソリンより効率が良いと言える。

という回答をいただきました。


現状では発電による環境へのインパクトを考慮すれば電気自動車だからと言って必ずしもエコだとは限らないのだな。
それなのに広告や宣伝を見ていると排気ガスが出ないからエコ!として売り出されているのが不思議です。電気自動車にはバッテリーの製造などにもいろいろ問題があるようです。

でもブレーキで充電できるとは知らず勉強になりました。この辺りの精度がもっと高まれば電気自動車にも環境に対するメリットが出てくるのかも。
面白いお話を聞くことができてよかったです。


車といえば、これまたバーのお客さんで、全自動式AI制御の自動車の開発に携わっている方が来たことがありました。


たくさんのセンサーを搭載し危険察知の性能を試している試作機の写真や、全自動自動車のプロモーション映像を見せてくれました。

AI制御の自動車はとても安全なのだとか。

そこで気になっていた疑問を尋ねてみました。

もしも予測していなかった障害物に遭遇し、右に避けても人が2人、左に避けても人が3人いて事故が避けられない場合、AIはどっちを選ぶの?というトロッコ問題です。

お客さん曰く、
予測していなかった障害物に出会う可能性はまずもってないけれど、もしもそういう状況になったら、、、自動車は止まるかな、と。

じゃあ走行速度が速過ぎて急停車すれば運転者が怪我をする可能性がある場合は?

と尋ねたけれど、
そんなに速く走らないから大丈夫!と、冗談めかした雰囲気になって明確な回答は得られませんでした。


お客さんはAIのプログラミングや倫理的な分野の専門家ではなく、技術的な分野の専門家だったのかもしれません。
でもAIに関わるなら絶対に考えることを避けられないような定番の問題に対して、特に気にも留めていないかのような回答は意外でした。

全自動自動車はすでにアメリカでは実用化されているそうなので、トロッコ問題のような状況に対してどう判断するべきか、実際に誰かがすでに決定しプログラミングしているのでしょう。どうプログラミングされているのか、AIはどう判断を下すのかが気になるところです。

その後、

AIは被害人数の少ない方を選ぶのかな?

顔認証システムで現場にいる全員のデータを照合して性別、人種、年齢、病歴、経済力、学歴、犯罪歴などからより"生きる価値がある"と判断した方を救う選択をするとか?

でも人間の価値ってどういう基準で決まるんだろう?

顔認証とマイナンバーで納税しているか照合されて、滞納してたら犠牲になったりして?

たとえば自動車には運転手1人しか乗っておらず、右に行っても左に行っても被害人数が多くなるのなら、運転手を犠牲にしてそのまま障害物にぶつかる可能性もあるのかな?

ということは被害人数を最小限にするためにはAIは自らを犠牲にする選択をするのか?


という話をしました。
考え始めると、疑問はつきません。

全自動式の自動車は、故障や暴走する危険性を除けば、人間に比べて居眠り運転や脇見運転、酔っ払い運転の可能性がないので、その点については安全かもしれません。

ただ技術面だけでなく、倫理面についてはより深く考えるべき問題がありそうです。

今まで、もしもこういう未来が来たらどうするか?と仮定し、思考実験されていた問題が、もうはっきりと現実になっているのだなあと感じる出来事でした。

果たしてAIにも、助かりたい!という自我はあるのでしょうか。

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