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新・田舎暮らしの教科書 アフターコロナ編 400字✖️約300枚
2020年、新型コロナウイルス感染症の発生によるテレワーク、在宅勤務、サテライトオフィスといった勤務形態の流れは、勢いのまま、郊外から地方への田舎暮らしや二拠点居住ブームをもたらした。
波がもっとも大きくなったという点では、見る限り、バブル期の別荘ブーム、平成の週末郊外暮らしブームに次ぐ第三の波と呼んでいいだろう。
平成晩期からの国や自治体による田舎暮らし呼び込みの流れはそれなりに一定の波及効果はあった。しかし、目に見えた大きな波かといえば、コロナ禍の最中に突如発生した大きな波ほどではなかった。干満にともなうコンスタントな波のなかに突如、大波が発生した。日々、地方で都会からの人の波を見ていると、そんな印象は否めない。
これまで静かな別荘地だった場所から、集落に至るまで、いま地方には人が押し寄せている。空き家や売り物件は文字通り飛ぶように売れる。
下見に来る客などはまだいいほうで、不動産屋やディベロッパーの煽り文句に文字通り煽られるがままに物件は売れていく。
最近では物件照会はインターネット上で可能なので、現地や現物を下見することなく手付金を振り込み、仮押さえし、なかにはオンライン内覧だけで売れていく物件も少なくない。
そう、この大波はまさにネットサーフィンに乗った都市部の富裕層によるネット買いがさらにその勢いを支えているのだ。
だが、その勢いも明確なのは、海岸ではなく、内陸に向かっていることである。
いまだ都市部の住民にとっては、2011年3月に発生した東北大震災による悲劇の記憶が強い。
以後、田舎暮らし、移住暮らしでも長いトレンドは、海岸ではなく、内陸に向かっていた。
波の強弱は当然ながら物件の価格や相場に反映される。
内陸部の、山の物件や土地相場が上昇したのに対して、沿岸部は停滞した。
そのなかでのコロナ禍である。
本州中部では、これまで売れなかった山がそれこそ飛ぶように売れ、日本全体が緊急事態宣言に見舞われたコロナ禍にあっても、林業や伐採業者らは、未曾有の開発ブームに押されている。
しかし、である。
よくよく考えてみて頂きたい。
これまで幾度もの地方ブームのなかで売れ残っている土地には、売れ残っているだけの理由があるというもの。
そんなことは都会であっても同様だ。
マンションでも戸建てでも、すぐに売れずに残っている部屋や土地には、人々が忌避するだけの理由があるのだ。
地方の一等地は、その後、よほど道路状況や周辺環境に大きな変化がない限りは、基本的には界隈で一番いい土地は、1980年代後半の昭和バブルの時期に最高値で売れているのだ。
その後残っているのは、それ以下の土地、ということになる。
すでに数回の地方ブームの波に洗われたうえで残っている物件のなかから、終の住処としてベストな土地や物件を探すといういことは、まずもって、労力を伴う覚悟の必要な話ということになる。
そこにきて、リモート内覧だけに任せておくと、地獄を見る。
最近のカメラはよくできている。
細部に渡って誤魔化しがきかないほどに粗が写り込む一方で、選挙ポスターや芸能人の写真同様、粗を消すソフトや技術もかつてないほどだ。
不動産業者のなかには、こうしたソフトを使って現況以上に内部や外部を良く見せたり、痛みを隠したうえでネット上の写真を展開しているところもある。
そもそも、中古物件であれば、家屋の傷みは外からは決してわからないものである。その場を訪れ、その場でそれこそ床下から柱の根本までなめ回してみなければ到底、把握できないことはいくらでもある。
築年数ではその傷み具合が決して把握できないのが、田舎の家屋である。
家屋だけはその土地の気候や風土を一般論から眺めてはいけないのだ。
日照時間は日本有数で、湿度も低くて雪も少なめ。
どの移住人気地の役所や不動産屋でもそんなことを謳ってみせるのだが、それはすべて「一般論」でしかない。
家屋や土地はすべて、その場所固有の「個性」があるのだ。
同じ山裾や山里でも、その場所だけはなぜか北風ばかりが強く吹き込む土地もある。そうした土地では、築年数が浅い家屋であっても、その傷みは築年数の何倍もの深刻さであることもあるのだ。
そもそも、中古物件として手放されている事情も根深い。
オーナーが亡くなったり高齢化以外の理由で、新築でありながら手放す場合などにも注意が必要だ。
築浅で手放す場合には、「よほどの事情」があると疑ってかかるべきである。
ときには笑うに笑えない事情さえ潜んでいる。
事故物件である。これとて、容易に隠蔽されている。
数年前、ワケあって山中にてまだ30代の孫と暮らす老婆がいた。
老婆はいつも曲がった腰で買い物に出かけるが、若い孫がその手伝いをする姿など見たこともない。
いわゆる引きこもりであったその孫は、東京で持てあました両親が転地療養をかね、田舎暮らしをする老婆のもとへと送られたのであった。
その孫は引き籠もっているだけではなく、精神の波次第では、どうにも抑えがきかないのだろう。
孫の田舎暮らしが始まって以来、当たりには高頻度で救急車が往来するようになった。昼に夜にを問うこと無く。
数年が経っただろうか。
救急車の往来が久しくなくなったある日、老婆が山を下り、杉並の親族宅へと去っていった。
自殺未遂を繰り返していた引きこもりの孫は、ついに本人にとっての本懐を遂げ、浴槽で自殺を遂げてしまったのであった。
老婆も気の毒に、さすがに孫を失ったその場に留まるには気が重くなったのであろう。
本来は事故物件であるはずのその中古家屋はしかし、このブームの波にのり、あっという間に買い手がついた。
だが、異変が始まる。
本来は決して吠えないはずの、新しい持ち主の連れ犬たちが、朝に晩を問わず、それこそ四六時中、吠え立てているのだ。せっかく、人気の少ない場所で、景色を眺めながら飼い犬たちと余生をと考えていた持ち主も、吠え止まない犬たちの様子に気ぜわしさを通り越して、なにか不穏なものを感じ取ったのかもしれない。
せっかく買ったばかりの物件をさっさと売りに出して去ってしまった。
後から分かったことだが、最近の事故物件は、よほどその場で死体が発見されない限りは、自殺未遂を含めた情報を決して明かさない。
彼らの言い分はこうである。
でも、救急車で運ばれて、死亡が確認されたのは病院だから、である。
それであれば、死んでいるとわかっていても救急車で運ばせれば勝ち、となる。だが、死亡診断が病院で行われたとて、自殺を繰り返して、実際に絶命に近い状態であったのはそうした家屋のなかでのことである。
実態は事故物件でありながら、最後は病院に運ばれたから、を言い口上に、計り知れない念の籠もった物件と知らずに買わされるのではたまったものではないだろう。
敏感な飼い犬たちが、人間にはかぎ取れぬものをかぎ取って吠えるのをやめなかったのかどうかはわからないが、しかし、彼らもまたそんな事故物件であることを知らぬままに去っていった。
そして、そこにはこのブームに乗ってすぐに新しい持ち主が転居してくることになった。
さすがに、不憫になった私はついに、過去の持ち主の壮絶な状況を新しい持ち主に明かす決意を固めた。
当然であろう。新しい持ち主は過去の所有者らに問い合わせたようだが、下手をすれば補償問題にさえ発展しかねないと、当然の危惧があっただろう。
どうも最後の最後まで、そうした不幸があった物件であったことは口上を重ねてとぼけきったようだった。
だが、直近の持ち主は、壮絶な孫と老婆の生活の最後を実際に目撃していた私の言葉にも真実があると感じたのだろう。
入居前に入念に供養とお祓いをし、さらに内装などをほぼすべてリニューアルして、今に至るまで無事に、田舎暮らしを軌道に乗せている。
病院ではなく、自宅で最期を迎えることが多い地方の物件には、この手の話は溢れている。だが、不動産屋はおろか、周辺の住民でさえ、そんな不幸話はおいそれと一見さんの移住者らには教えはしない。
ムラの不幸は自分達の恥、なのだ。
そんな実状を知ったうえで、地方の物件を、不動産屋に煽られるがままに購入する気になどなるだろうか。ブームに乗るということは、気分が高揚した状態にあるということを意味する。
買いたい、移住したいという気持ちが昂ぶっているときに、冷静な実態に目を向けることは難しい。
だが、そこに目を向け、心を配ってこそ、移住を成功させる本当の王道が拓けるのだ。そこを肝に銘じて欲しい。
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