見出し画像

書くのは子どものころより少しめんどくさく、辛くなった。

放浪の末にオレゴン州ポートランドにたどり着き、住み始めて3年目に突入。映画AKIRAのように荒れるアメリカの情勢の中、日々生きる希望をポートランドでコツコツ集めている。住む街のいいところを見つけることは、わたしの人生のいいところを見つけること。1988年生まれ、鎌倉育ち。


私はずっと書くことが好きだった。

小学生のころ、日記帳みたいなものを提出する宿題があって、内容は自由だったので、ときどき詩みたいなものを書いていた。ほとんどはいわゆる中2病と呼ばれるような、痛々しいくらいかっこつけていたり、センチメンタルだったりする文章だったけど、当時の担任の先生は笑ったり批判したりすることはなく、まじめにコメントしてくれた。「いいね」とか、「情景が浮かびます」。とか。

小学5年生くらいだろうか?運動会の日、朝早くに登校したら、黒板一面に白いチョークで詩が書きつけてあった。おろしたてのチョーク特有の整った細い線。教室の窓から朝の光が差し込んで、黒板に光の筋をいくつも投げかけていた。照らし出された詩は私の詩だった。私は先生に何も言われていなかったから驚いた。前日の宿題帳に、運動会のバトンリレーに関する詩を書いて提出した。その詩を先生が気に入って、みんなが登校する前に大きな、きれいに揃った字で黒板に書いてくれたのだ。私は嬉しかった。それは、先生が本当に私の文章を好きだと思ってくれたのが、伝わってきたからだ。

私は今でも書くことが好きだ。

けれど、書くのは子どものころより少しめんどくさく、辛くなった。まず、資本主義社会で生きるうえで、お金にならないことを、やっていいと自分に許可を出すのは難しい。時間の使い方に対する価値観も変わってしまった。時間とお金は、資本主義社会では同じようなものなのだ。

それよりなにより、書くことには、不確実性が伴う。書きたいことがあっても、書き終わるまでは、それがうまく表現できるかなんて分からない。書きたいことすら、書いてみるまで分からないときもたくさんある。すぐ書きあがるかもしれないし、予想外の時間がかかってしまうかもしれない。書いたところで、出来は悪いかもしれない。伝わらないかもしれない。誰も読まないかもしれない。その、不確実性がめんどくさく、辛く、書くという行為を避けたくなってしまうのだと思う(そんなことに時間を使うくらいなら、確実にやるべきこと、できることがたくさんあるし)。

手を抜くこともできる。こんなもんでいいだろう、こんなもんで伝わるだろう、そこまで踏み込まなくてもいいだろう、ちゃんと言葉を尽くさなくてもいいだろう。そのようにして、傷つかないように、がっかりしないように、とりあえず書いたは書いた、で終わらせてみることもできる。

でもそうやって、”不確実性の沼にはまらない範疇”でだけ書いてしまうと、「書く」という行為の面白さや醍醐味自体が死んでしまう。それはなぜだろう?

私たちが書くことに真剣に向き合うとき、それは不確実性との付き合い方を工夫するときだ。

不確実性を前に、知っていること、できると分かっていることに逃げ込むのではなく、不確実性の中で何かを生み出す選択をする、ということが、書くことの本質だ。書くことだけに限らず、アートや表現全般、やり切るまで何が生まれるかなんて本当に分かりっこないのだ。

子どものときは、知らないことばかりだった。だから、不確実性がなんちゃらとか、本質がなんちゃらとかいちいち考えずに、分からないだらけの中で普通に生きていた。書くこともその一部だった。大人になった今、そのように生きるのは難しい。不確実なことを試みることは、損すること、失敗すること、無駄にすること、恥をかくことへの導火線と同義になっている。

けれど、不確実性こそ、人生じゃないだろうか?

人生、何が起こるかなんて分かりっこない。
それが恐怖であり可能性である。
どんなにうまくいってても最後の最後、苦しくて孤独になるかもしれないし、逆に今どれだけ辛くても、逆転する可能性だってある。

人生は、不確実。書くことも、また不確実。
結果が分からないまま、生き続ける、書き続けるしかない。

よく書けた本や文章を読むと、どこか救われた気になるのは、それを書いた人が、世界/人生/創作の不確実性から逃げ出さず、向き合うか、戦うか、付き合うかしたことが、伝わってくるからかもしれない。内容は必ずしもポジティブじゃなくても。

よい人生も、よい文章も、そこからしか生まれないのだろうと、今私は思っている。



この記事が参加している募集

沼落ちnote

はじめまして!アメリカに住んで約11年のNanaoです。ポートランドで日々コツコツと楽しみを見つけて生きてるよ。もしよかったら↑のリンクからInstagramも見てみてね。