見出し画像

脳のクセか育ちのクセか

早いもので1月3日も終わろうとしています。明日から始動という方も多いんじゃないでしょうか。

私の場合は就労移行支援での訓練中で求職活動を再開という形になります。
去年にADHD(注意欠如多動症)と自閉症スペクトラム(ASD)の傾向ありと診断されてから、自分の障害特性について日々思うことがあるのですが、今日はその話を書こうと思います。

昨日は義兄が営んでる料理屋で正月休みを利用しての食事会でした。
この会は親戚一同あつまっての毎年恒例のもので、鍋をつつきながら近況を語り合ったり、話を聞いたりしたりします。
初めはワイワイ楽しんでるのですが、食べるものがなくなって落ち着いてくると、空いた食器やらが目について仕方なくなってきます。
話がひと段落すると片付けを手伝ったり、テーブルをキレイにしたりして、落ち着くとまた親戚の話が始まります。
最初は楽しく聞いてるのですが、だんだん飽きてきてモゾモゾしてしまいます。
最終的には見切りをつけて一人先に店を出ました。

別に親戚がキライというわけではありません。久しぶりに会えて嬉しいし、義兄の話はユーモアがあって面白いです。
ただ、ろくに話に入れないまま「いつになったら終わるのかわからない話をただ聞かされている」という状態がどうも自分には苦痛なのでは、と思うようになりました。
他の人はあまりこんな風に思わないのでしょうか
それとも思ってても言わないだけ?
割り切ってらっしゃるのでしょうか
まあ、何にしても知った者同士ならともかく、そうでなければ単に「付き合いの悪い人」なんだろうなぁ、て思います。

私は基本的にマイペース人間で、一人でいる方が気が楽なことが多いです。それって自閉症スペクトラムによくある症状のひとつなのだそうです。(他にも色々あるのですが)
これは少々複雑な家庭事情の下で育ったがゆえに、他者に煩わされたくないという心理からきたものだとばかり思っていました。
あと、TwitterでASDの女性は化粧を嫌がることが多い、といった話が出ていましたが、これもまさにそうで、毎朝ちゃんと化粧して出るようになったのは30代半ばぐらいだったのを思い出しました。
そういう男勝りな部分もそういう性格ゆえとばかり思っていました。でも、もしかしたら、本当にASDとは関係ないのかも知れません。

そんな感じで、いざそのような診断を受けると、子供の頃に不自然に感じていたアレコレは果たして脳のクセによるものなのか、育ちのクセによるものなのか、自分でもわからなくなります。
その辺も含めて自分の再構築は年が改まってからも続きます。

(画像提供:Geralt by pixabay

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?