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PEOPLE 2. NAMI SAITO

心は見えない分、複雑だ。

私は今、インタビューライターとしてキャリアを積むにあたり、様々な人にインタビューしている。自分が触れたことのなかった価値観に出会うのはライターとしての成長、人間としての深みにつながると思った。さらに「書いてくれてありがとう」と取材対象者の人からお礼をもらうこともあり、自分以外のためにもなると信じて行っている。
 今回記事を書くのは、斉藤ナミさん(twitter:@nami5711)。きっかけは、彼女がnoteで掲載するエッセーが面白く、どんな考え方の人なんだろうと興味を持ったからだ。「私の人生ディープですけど、大丈夫ですか?」と取材前に言われていたが、想像以上に“ディープ”だった。一方で、共感もした。

斉藤ナミさん。38歳。

29歳の頃から強迫性障害に苦しんでいる。今は概ね回復し、日常生活には支障のない程度になっている。ただ、数年前までは外出するのも大変だったし、今でも気をつけながら生活している。取材の最後の方で、強迫性障害について話してくれたのだが、それまで全くそうしたことで悩む人には見えず、むしろ笑顔の可愛らしい明るい人だと思っていた。

ナミさんは2歳上の夫と、10歳・6歳の息子2人との4人暮らし。看板店を営む夫を手伝いながら、デザインの勉強や、エッセーを執筆している。現在は穏やかな毎日を過ごしているが、10代の頃は「暗黒時代」だったそうだ。この話はまた後日。

心の奥底に閉じ込められていたもの

 20歳の時だった。ナミさんの友人が通り魔にあい、殺害された。中学時代、クラスが一緒だった。通学路が途中まで同じで、約束していたわけじゃないのに、朝は自然と家を出るタイミングが同じぐらいでいつも一緒に通った。性格もなんとなく似ていて、仲が良かった。
 友人を殺害した犯人はナミさんの弟の友人で、事件後は2人も警察に事情を聞かれた。犯人は引きこもりがちな未成年だった。犯人はのちに警察にこう語った。「自分が変わりたいから殺した。殺せば変われると思った」。身勝手な動機で突然友人が奪われ、当然ショックだったし、悲しさ、悔しさでいっぱいだった。でも当時はそれ以上深く思い詰めなかった。

 それから年月が経ち、ナミさんは29歳になっていた。お腹には次男がいた。
 ある日、近所で強盗殺人が発生した。その犯人は今でも逃走している。そしてこの事件がナミさんに9年前の通り魔事件を思い出させた。友人が殺された時の悲しみ、恐怖、理不尽さ、混乱が一気に攻め上がってきた。
「次は私なんじゃないか」。そう考えると外にも出られなくなった。
 
「ほぼ1日家の中にいて、窓は常に閉めていました。寝る時は近くにバッドや包丁をおかないと眠れなくなって、ちょっとした物音に敏感に反応するようになりました。外に出れば「すれ違う人が襲いかかるかも」と思わずにはいられなかったんです。ただ、当時息子が1、2歳ぐらいで、1日に1度は散歩に行かないといけなくて。どうしようと悩んだ末、晴れていても傘をさして歩くことにしました」

なぜ友人は死ななければならなかったのか

 事件後、ずっと考えていた。なぜ友人は死ななければならなかったのか。そして、生きる意味とは一体なんだろうか。
 悪いことをしたから地獄に落ちる。そんな方程式があるとする。すると、人が死ぬ時は、その人がそうなる原因を招いているのだろうか。これまで死んでいった人たちは、その人たち自身でその結果を招いていたのだろうか。では、アフリカの子供たちはどうか。どんな悪いことをしたら、10歳も満たない子供たちが飢餓や戦争などで命を落とすのか。それを自分で引き寄せているわけない。
 
「生きている意味なんか、ないんじゃないか」
 
 ある日、ナミさんはそう気づいた。
 何か楽しいことがあった時、「わ〜幸せ!生きてる意味を感じる!これのために生まれてきた!」と“生”を実感し、意味づけをしたとすると、“死”にどんな意味があったのか考えなくてはならなくなる。楽しくても幸せでも関係ない。いいことしたからいい目にあっている、悪いことしたから悪い目に遭う、のではない。いいことしても殺される人の方程式はどうなってしまうのか。友人が通り魔を招いているはずもないし、友人は何か悪いことをしたから通り魔に遭ったわけではないのだから。

 我々はよく、自分たちも動物だということを忘れる。人間という動物。ただ、子孫繁栄している生物。人間だから生きる意味があるように思えたり、持たせたくなる。でも実は、人間も生物の一種にすぎない。アリや、カエルは、生まれてきた意味を問うだろうか。
 まだ死んで寿命が来ていないから生きているだけで特に意味はないのではないか。そうすると、死んだ人の説明をする必要がない。むしろ、そうでなければ腑に落ちないのだ。

「自然の摂理」。そんなふうに考えると、少し楽になった。
とにかく、いま楽しいと思うことをしよう。いまこの瞬間、自分が何をしたいのか考えてみよう。ナミさんを取り巻いた何かが、静かに解けていくのを感じた。

寄り添う夫 「わかってあげられなくて、ごめん」

 事件から、ずっと一番そばで寄り添い続けている人がいる。夫だ。
 寄りそう、というのは定義がバラバラな気がする。寄り添われる側の人間がどうして欲しいのかによるし、どうして欲しいのかわからない場合も大いにある。寄り添っていると思ったら、実はありがた迷惑のようになって、かえって逆効果のこともある。非常に難儀だが、寄り添う人、というのは最も重要なパートといえると思う。
 先述したとおり、現在、ナミさんはほぼ支障なく暮らしている。そこまで回復することができたのは夫の存在が不可欠であったことは間違いない。私が非常に興味深いと感じたのは、その距離の取り方だ。

「夫は底抜けに優しいんです。普段から自分の意見は何も言わない人で。
 多分、私のことを理解はしていないけど、とても汲んでくれている」

 ある日、夫はナミさんにこう言った。「わかってあげられなくてごめん」。ナミさんの状況を全て理解できないと知っていたからこそ、ナミさんが頼んだことは全てやってくれた。
 ナミさんは、森田療法という治療法を試した。「外出して襲われるのはあり得ない」という体験を、繰り返し、何度も積み重ねるもの。夫は何も言わずに付き合った。

「私は、ちょっとした物音でビクッとなるんです。本当に自分でもバカバカしいと思ってますし、そんなわけないのもわかっているんですけど。それについて、夫は多分、馬鹿にしているというか、ハイハイという感じなんです。でも、それは口にしない。“支えてくれた”というより、何についても非難はしませんでした」
 
 ある特定のキーワードを見ると思い出してしまうため、テレビで近所のニュースが流れる時間帯はテレビを消すようにしている。それに夫も静かに協力している。夫の実家に帰省し義父母とテレビを見ている際には、適当な言い訳をつけて、それとなく消してくれる。
 それでも、突然テレビの上部に表示されるニュース速報で目にしてしまうこともあり、完全には防ぎ切れていないのが実情だそうだが、ネットニュースなどでそうした単語が出ない設定をするなどして、徐々に日常を取り戻していった。

「“大丈夫スイッチ”が入れられるようになってきました」

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瞬間、瞬間で楽しいことを。

 今は、エッセーを書くのが楽しいという。ナミさんはnoteでエッセーを書くとTwitterで報告をする。すると、すぐに読者からコメントやリツイートをされて、次のエッセーを待ち望む声を私はよく目にする。「笑ってもらいたいです。くだらないな〜って思って欲しい」と、目尻を垂らした後、こう続けた。

「生きる意味とかを求めていました。自分の存在価値を自分で感じたいと思っていたんです。私でなければいけない仕事、私自体を求められたいとか思っていたんです。でも瞬間、瞬間で私が楽しいことをしていたい。最近、そう思うようになってきました」

 心は簡単に壊れる。いつ壊れるかわからないし、壊れても周囲の人どころか、自分自身でも気づかないことだってある。ナミさんのように、時間差でなることもあるし、治ったと思ったのに何年もしてからぶり返すこともある。私の話で恐縮だが、かつてセクハラ被害を受けたことがある。被害を受けてからだいぶ時間が経ち、なんともない日々を過ごしていたある日、別の男性と食事にいった。すると当時を彷彿とさせる行為を受けた。その男性は別に悪意なくやっていて、むしろ私を好意的に思っていてのことだと思うが、私は当時を思い出して震えが止まらなくなった。どんなに忘れていても、それを完全に忘れる日はこない。そう実感した瞬間だった。いつでも、あの時に引き戻されるのだと思った。

 わたしはナミさんを取材していて、心の問題の根深さと、いかに周りが理解できるかが本当に重要だと感じた。そして寄り添う側の人間が、どのように「一歩ずつでいいんだ」と伝えていくのか。回復の歩みの歩幅は一人一人違う。手を引っ張って欲しい人もいれば、遠くから見ていて欲しい人もいる。千差万別だということを知る、ということ。冒頭で私は「共感できる」と書いた。ナミさんに出会って、形は違えど、近しいものを抱える人だった。自分以外にもいる。そう知ることができるのは、物理的ではない寄り添いになるのだと知った。今回のインタビューは私にも大きな意味をもたらした。
ナミさん、ありがとうございました。


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