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「健康的な美しさ」なんて嘘だと思ってた。

クラスでモテている子は、みんな肌が白くて、
朝練とも合宿とも、廊下の隅でやるミーティングとも
無縁の社会に生きていた。

彼女たちはいつも男子の話をしていて、
昼休みはメールの返信の仕方について議論していた。
私たちはそれを横目に、先輩に態度を注意されたこと、
後輩のあいさつが小さいことへの不満を言い合いながら、
今日のランメニューが軽いことを祈っていた。

中学では入ることが当たり前だった部活も、高校になると
いつのまにか半数が「受験勉強のため」にやめていった。
彼氏がいるサッカー部の練習を窓から眺めるのが、
彼女たちの放課後の過ごし方だ。

いつからか、
汗をかくこと
大きな声で「ファイトー!」と叫ぶこと
必死な顔で校舎周りを走ること
頑張っていること
全部が「男子の前では恥ずかしい」と思うようになっていた。

「うちら女捨ててるよね」
制服のスカートをばっさばっさと広げながら、
制汗剤スプレーを足に吹き付けてチームメイトが笑った。

「(私は捨ててない)」
そう思ったけど、「まじ捨ててる」と返すことで守られる絆があった。

そんな彼女も、半分に分けた体育館の隣に
好きなバスケ部の男子がいるときは絶対に掛け声を出さないし、
柱の陰に隠れて筋トレをする。
それは「女の子らしくない」から。

私たちはいつも、真似できない「かよわさ」に憧れながら
「健康的な美しさ」を誰かに見つけてほしいと願っていた。

スポーツをすることは、女らしさを捨てること。
だから、スポーツと恋愛はいつも二律背反だった。

女子アスリートの熱愛報道や結婚会見を見るたび、違和感に包まれた。
そんな馬鹿なことってあるものか。
茨木のり子の詩を思い出したりして。

そして徐々に気づき始めた。

練習後に髪の毛を時間をかけて整えること。
アイプチが取れてないか気にすること。
かわいいウェアを着ること。
彼氏をつくること。
そんなことに目ざとく反応しては、いじりあい、牽制しあい、
(女を捨てていなければ)
そんな呪いを掛け合っていたのは
だれでもなく私たち自身だった。

女子アスリートの活躍をメディアで見るたびに、
私は部活時代の気持ちを思い出す。
当時辛くて逃げ出したかった練習に、向き合い続けた人たち。
「女を捨ててる」なんてこと考えもせずに、
自分自身に向き合い続けた人たち。

その強さに私は今、ようやく純粋に憧れることができている。

でも、憧れるだけでいいんだっけ?
思春期に否定し続けていた「健康的な美しさ」を、今は認められる。
それだけでいいんだっけ?

これは私の自己満足にちがいない。けど、
「私の意見は、間違ってました!ごめんなさい!」
を行動で示したい。

もっと言えば、
あの頃気づけなかった価値観を広めることで、
罪悪感を払拭したい。


強く美しい、女子アスリートたち。
彼女たちの魅力を伝えるには何ができるだろう。
考え、会いにいくうちに、見えてきたことがある。

女子アスリートも、自分の体のことがわからない。
女子アスリートも、出産や育児に向き合う。
女子アスリートも、摂食障害になる。
女子アスリートも、キャリアを描き悩む。

女子アスリートも、恋愛をする。
女子アスリートも、おしゃれをする。
女子アスリートも、傷つき、苦しむ。
女子アスリートも、アスリート以外の時間がある。
みんな、自分の人生を生きている。

メディアやサポーターが見たい姿、期待する姿で彼女たちを縛らない。
ありのままでいられる空気をつくりたい。
一人の人間として生き、悩み、喜ぶ姿が、誰かの背中を押す。

立ち止まりそうな後ろ姿めがけて、全速力で走っていく。
そんな記事を一つひとつ生み出していきたい。

そんな思いで、メディアをつくっています。


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