時折ふいに襲い掛かるむなしさと心の重苦しさ、死にたみは何だろう。
不意に死にたいと思うときがあります。これは私の感覚の中に長年あるものです。特にそれを人に言うことはなく、死にたい私を見てほしいとも助けてほしいとも思いません。ただ、疲れているのだと思います。
数年前の過労の影響かもしれません。
まあ寝れば整うでしょう。もともとネガティブになりやすい気質ですので。
繊細さんなのです。案外。そしてその繊細さをひけらかす意味も感じません。
死にたいというと何かとても深刻な感情のように思うかもしれませんが、そのような重いものではありません。ただ、笹の葉が風で落ちるように、花弁が散ってゆくように、夏から秋に代わって蝉の声が聞こえなくなるように、散りゆきたいのです。
生命力が欠けているのだろうと思います。
気温の変化に体がついていけていないのもあるかもしれません。
そんな死にたみを心身に残しながらも、私は案外元気に生きています。
毎日60分Switchのフィットボクシングをして、朝食には卵を食べています。
大人として生きるのが嫌なんです。嫌でも大人になるのが現実ですが。
もっと楽しく生きていたい。楽しくないならせめて楽がしたい。
そんな鬱屈したぼやきを抱えながら、何かを振り払うかのようにフィットボクシングに励んだ後お風呂に入って寝ます。
皆さんも体調を崩さないようにしてくださいね。それではまた。
古今東西の死生観や形而上学について、いずれ語ってみたいと思いました。
人は死んだらどうなると思いますか?