見出し画像

誰かを「守る」ことができる自由


しばらく会えないだろうな、と思う人が一人いる。その人とは話がしやすく、一緒にいて力を抜くことができた。そして私はその人に助けてもらっていた時期があり、そのことにとても感謝していた。私にとってその人は誰に対しても力を尽くしてくれる、優しい人だった。


最近まで私がその人の近くにいた理由の一つとして、助けてもらった恩を返したかった、ということがある。


その人と会う用事がなくなる最後の日、その人はとても弱っていて、困っていた。事情を聞くと、とても私では乗り越えられない困難を抱えていた。驚きとショックがはじめにやってきて、次に私はこの人を守らなければ、と思った。その人と代わることはできないけれど、この人がその困難を乗り越えられるよう、近くにいようと決めた。


私はその人のことがとても好きだったし、その人が苦しい思いをするのは、なんだか許せなかった。こんなに優しい人を苦しめる、世の中の仕組みが許せないという気持ちがあった。


そして今、おそらくその人は訪れていた困難を乗り越えた。良かった、と思う気持ちと一緒に、とても寂しい気持ちもある。もうしばらくその人と会えない気がしているからだ。


けれどその人が困難を超えられるまで、一緒にいられて本当に良かったと思う。少なくとも、ほんの少しだけでも私がその人の添え木となれていたのなら嬉しい。


結婚も友人も家族も強制されることがなくなった今の時代だからこそ、自分が誰かと関わるときは優しさと思いやりを持って関わっていきたい。それが今までにたくさんの人たちが積み重ねてくれたおかげで享受できるようになった自由を、また社会に循環させる方法でもあるから。


大切な誰かを全力で守れる自由と勇気を、これからもなくさないようにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?