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自己紹介

おいたち

札幌生まれ千葉県育ちの日本人です。赤ん坊の頃に両親が離婚したので母子家庭育ち。物心ついた頃から宗教熱心過ぎて束縛だらけの親元から逃げだす作戦を練りまくる。学業よりも宗教優先の親元では進学断念。

貯金の毎日

それならできるだけ早くお金を貯めて自立しなければと、バブル時代のゴルフ場で高収入のキャディさんに。いい同僚や優しい先輩、おばさま方に可愛がっていただいたので、それはそれでとても楽しかったです。後に1位でプロテストを合格した研修生とかからゴルフも教えてもらえたし。

自立の起爆材は親の過干渉

それでも続く母との宗教観の違いからくる口論と過干渉の毎日のおかげで、日本から出ないと完全には自由になれないかもくらいに思い詰めたので、日本脱出計画をたてました。本当はアメリカの大学に留学するお金を貯めるつもりだったけど、ある一件があってからその計画は頓挫。それならもう今すぐ貯めたお金を使って飛び出しちゃえということに。

日本人が居なさそうなところってどこ?

どうせ海外に行ってみるなら、当時海外旅行が大ブームで主要な英語圏の国は日本人でいっぱいだったようなので(今どきの中国人みたいかも(コロナ禍前ね))なるべく日本人の少なさそうなところに行きたいと、ネットもない時代に情報集取・・・やれば出来るもんなんですねぇ、これが。

で、見つけたのが、ヨーロッパの農家でフルーツピッキング体験か、イスラエルのキブツでボランティア体験。ワーホリは市場がすでに日本人でいっぱいだったので選択外。出発は、湾岸戦争のすぐ後くらい(これで年齢のアタリがつく?)にトロントとロンドン経由でイスラエルのキブツに9ヶ月間滞在。

けっこ〜ん

そこで出会ったのちの旦那と結婚して、イギリスに引っ越して、就職して、子供二人生まれて、そのうちの下の子が障害児なのでそのケアをしながら、色んなことをあれこれ数撃ちゃ当たる方式で試行錯誤を繰り返しつつ今に至っている人です。

就職〜

東京で少しCADの学校に通ってたことから、イギリスではロンドンの日系会社で小1年働いた後、地元の車のデザイン・エンジニアリング系の会社でテクニカル・イラストレーター兼Web系プログラマー(こっちでプログラミングのコースをとった)兼日系自動車メーカーとのリエゾン兼通訳をやっていました。

産休〜リストラ〜

産休から復職した2年後にリストラ(その会社もその後解散)、起業してささやかながら4・5年操業したけど、二人目が生まれてから子育てが一人目の時より大変だぞ…?と右往左往しているうちにビジネスも開店休業状態になったのでおしまい。どうも障害児らしいということで検査やコンサルテーションやらセラピーの毎日。下の子が入学して自分の時間が持てるようになったので、バイオリンを習い始める(昔から憧れていたけどバカ高い日本でのレッスン料じゃまず無理だった)。先生との相性が良かったのか6ヶ月くらいで耳コピ出来るようになった。その後は合気道を始める(今9年目)。

あっと言う間に

そうこうしている間に気がついたら上の子が、私がイスラエルに行った頃と同じ歳になっていることに気がついてびっくり。ということは、私も同じだけ歳を取ったということで…ヤバい、人生折り返し地点過ぎてるんじゃん、なのにまだ何も成し遂げていない、どうしようと焦った矢先にこのnoteのブログを知ったところ。今ここ。

あれから随分と遠くに来たもんだ…、あの頃の私が今の私までの道程を知っていたらもうちょっと上手くやっていけたんだろうか?と妄想しつつもネタにできるかもと。忘備録も兼ねて回想とかしつつ、今考えていることやこれからのこととか徒然なるままに書き連ねていこうかと登録しました(ですます調めちゃくちゃ)。

ちなみに、日本を出て25年以上経つので、日本語が昭和のままです。すみません。

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