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あなた以外の人との、人生を選んだ。身勝手なわたしから、愛の言葉を。




あなたとはきっと、これからも一緒に生きていくのだろうな、と思っていた。


それは疑いようもない事実で、たぶんこれは運命なのだろうなと、あなたもきっと、どこかで思っていたんじゃないかなあ。


それなのに、わたしは今、あなたではない別の人と、これからの人生をはじめようとしている。


どうしてかな。


まさか、こんな未来が待っているなんて。
あの頃のわたしたちは、まったく想像もしていなかった。


確実に言えることは、あの日が人生の分かれ道で、わたしはそのうちの片方を、気づかぬうちに選んでしまっていた、ということだけ。


そして、選んだその先にいたのは、あなたじゃなかったんだ。



***


「やっぱり俺、遠距離でもいいから、これからも一緒にいたいよ。」


まっすぐな瞳がわたしを見つめてそう言ったあの夜、わたしの心はぐわんぐわん、と大きく揺れていた。


「ごめん。今はまだ、答えられない……。」


そんな曖昧な返事を絞り出すことしかできなかったわたしは、いま考えたら、優柔不断でひどい人間だったなと思う。


「だって俺たち、こんなに仲良しなんだよ?この先、これほど相性がいい人、出会えないよ。」


寂しそうに、でも人懐っこく微笑む表情は、それまでにも何度も見たことがあって、純粋に「守りたい」と思ってしまう。



彼の寂しさを、守りたい。

この平穏な日常を、守りたい。



だけど、ここで迷いを見せたらだめだ、と心をなんとか冷静に保とうとする。


「そうだよね、わたしもそう思ってるよ。だけど今は、しばらく自分のことに集中したいの……ごめん。」






約3年間、一緒に過ごした彼との2度目の遠距離が決まり、春を迎え、わたしは「しばらく自分のことに集中したいから」なんていう身勝手な理由で、一度別れる相談を持ちかけた。

彼が京都に赴任することが決まった、年の暮れのこと。

今回はお互い社会人だし、精神的にも大人になったし、遠距離と言っても国内だから、物理的な距離を考えれば、1度目の遠距離と比べて、障壁はとてもちっぽけなもの。

日本とイギリスでの遠距離を乗り越えたわたしたちは、お互いに「関係性を続けよう」という気持ちさえあれば、今回の遠距離なんて、「なんてことない」ことのはずだった。

けれどわたしは、結婚して誰かの人生に責任を持つ前に、自分の人生にじっくり向き合って、自分のためだけに、時間や労力を使う期間を、どうしてもつくりたかった。

誰かと一緒に生きる前に、最後に自由な時間がほしい。

そんな気持ちが、彼との関係を続けるための熱量よりも、ずっと大きくなってしまっていた。



「きっと、そう思うような相手だったんだよ。気にしなくていいんじゃない?」



別れを決意したことを話すと、多くの人は、優しさからかそんな言葉をかけてくれる。

だけど心の中では、これは完全に自分の問題だと思っていた。

わたしが不器用で、余裕がなくて、自分勝手なだけなんだ……と、罪悪感に苛まれていた。






「これから先、人生を一緒に生きてみたい、とは思ってる。だけど、今じゃないの。今は、自分のことで精一杯で、あなたを思いやることが、できないと思う。」


「一度友達に戻ろう」と決めてから、約4ヶ月。久しぶりに会ったこの日も、わたしの気持ちは変わっていなかった。

そして、彼の気持ちも、変わっていなかった。

わたしがこんなわがままを言っても呆れずに、むしろ冷静に話を聞いてくれる彼は、もしかするとわたしよりも、ずっと大人だったのかもしれない。


「俺もいろいろ経験してきたし、前みたいに迷惑かけることもないから大丈夫だよ。仕事も忙しくなるし、そんなに頻繁に会うこともできないと思うからさ。お互いそのくらいで、いいんじゃない?」


…いいのかもしれないなあ。

ふと、反射的に同意しそうになる。

彼の言っていることはぜんぶ正しくて、反論する余地がない。自分だけが、駄々をこねている子供みたいだなあと、呆れてしまう。


「わかってるよ。でも……ごめん。」


煮え切らない返事しかできないまま、時間はどんどん前に進んでいく。





その日、わたしは夕方の新幹線で、東京に帰る予定だった。

タイムリミットは、もうすぐそこまで迫ってきている。


「……わかった。もう新幹線の時間まであんまりないし、とりあえず、どこかご飯にでも行こうか。」


わたしの曖昧な態度に苛立つ素振りもみせず、相変わらず穏やかな表情で、「なに食べたい?」と聞いてくる。


わたしはこの優しさに、今までずっと甘えていたんだなあ。

そして、これからも、その優しさに甘えようとしているんだなあ……。


つくづく、なんて身勝手な人間なんだろう、と自分が嫌になる。

だけど、今回ばかりは、そう簡単に決められることじゃなかった。






最後の食事は、わたしが京都を訪れるたびに何度も足を運んでいる、お気に入りのお寿司屋さんに行くことにした。

この3年間で、はじめて彼の運転する車の助手席に座り、移り変わる京都の景色を窓から眺める。


次に会うときは、鴨川沿いのこの道が、綺麗な緑になっているのかなあ。


無意識にそんなことを思ってしまう自分に気づき、「こんなこと考えたら、だめだ」と、頭に浮かんだ感情を振り払う。

そんなことを繰り返しているうちに、ますます自分の選択が間違っているんじゃないか、という考えに取り憑かれそうになる。



「次に遊びに来たときは、もっとお店に詳しくなってるから。今回行けなかったあの店も、常連になっておくから、今度行こうね。」


「うん、楽しみにしてる。」


鯖寿司を食べながら、京都の特集が組まれた雑誌をめくり、言葉を交わしていると、もう何日もずっと一緒にいるような感覚になる。

数ヶ月ぶりに会ったとは思えない、あまりにも自然な日常の瞬間。

今までも、これからも、ずっとこんな毎日が続いていくんだろうなあ、とつい思ってしまうほど、何気ない、穏やかな時間。


別れるって今は思っているけれど、もしかするとこんな感じで、これからも日常が続いていくのかもしれないなあ。


明日も今日と同じように、世界が存在するのだと信じて疑わないように。わたしたちの日常も、変わらず続いていくのかもしれないな、と思った。

わたしがどれだけ「今は自分の時間を過ごしたい」と言ったって、今回もまた、同じところに戻ってくるのかもしれないな、と。

そうなったら、今度こそこれは、運命なのかもしれない。

流れに身を任せた先に、そんな未来があるのなら。
それはきっと、しあわせな人生なのだろうな。






たしかにこのとき、わたしは「彼のことが大切だ」と、心の底から思っていた。

「この日常が大切だな」と、改めて実感していた。

これからも、ふたりで一緒に、いろんな景色を見てみたい。いろんなものを食べて、「おいしいね」って笑い合って、いつか一緒に夢を叶えたい。

それまでは、お互いにできることを増やそうねって、お酒を飲むたびに、ほろ酔いで夢を語り合った。

その時間は、きっとこれからも続いていくのだと、信じて疑わなかった。






当たり前のように、ずっと、そこにあった日常。
わたしはそれを、手放した。






「次は、いつ来るの?夏はたぶん俺が東京に行くから、秋くらいがいいかもね。」


バス停に、京都駅行きのバスが滑り込む。

列が動き出して、ああ、タイムリミットが来てしまった、と思う。


「うん。また、来たいな。ありがとうね。身体に気をつけて。仕事、がんばってね。」


最後までわたしはちゃんとした答えを告げられないまま、片手を振ってバスに乗り込む。





そのとき、3年前ロンドンの空港で、握りしめた手を離して搭乗口に向かったときの張り裂けそうな寂しさが、身体の中に蘇った。

人気の少ない、早朝の空港。数時間後にはまた始まる、元どおりの日常。

次はいつ会えるかわからない、という不安。再会して思い出した、愛おしさ。そして、身を引き裂くほどの、恋しさ。

そういえばあのときも、わたしは彼に見送られながら、自分から歩き出さなきゃいけなかったんだっけ。

あのときと今、唯一違うのは、「自分は彼に、寂しさを見せてはいけない」ということだけだ。そのことがなおさら、喉の奥をぎゅうっと強く締め付ける。



でも、たぶん彼は気づいていたのだと思う。



わたしが寂しさを、必死に堪えていることを。

それなのに、なんの約束もせずに、この地を去ろうとしていることを。

それでも彼は、何も言わずに片手を挙げて、黙ってこちらを見つめるだけだった。

そのとき目にした彼の表情は、その日見た表情の中で唯一、純粋な寂しさだけをたたえていた。




そしてこれが、わたしたちの最後になった。





***






ごめんなさい。





謝る資格なんてないのは、わかっている。だけど、あの日からずっと、わたしの心は、そんな言葉で埋め尽くされている。


あの日、はっきりした答えが出せなくてごめんね。


約束もできないのに、「一緒に生きたいと思ってる」なんて言ってごめんね。


それでいて「今は一緒いることができない」なんて、突き放してごめんね。


ひとりで勝手に、あなたとの未来を夢みてごめんね。


それなのに、ほかの人と生きる道を選んで、ごめんね。






どこまでも身勝手なわたしは、この気持ちですら、最近忘れてしまいそうな瞬間がある。

それにふと気づくたび、心がすうすうして、何かをなくしたような気持ちになる。


だけど、出会ってしまった。

日常に差し込んだ、一筋の光。



最初は、ひどく戸惑った。


「今は自分のことを頑張りたい」と言っておきながら、あたらしい人を好きになるなんて、あり得ないと思った。


恋なんて、している場合じゃないのに。


何より、この先の未来で、あなたとの人生を、考えるはずだったのに。


だけど、わたしの人生を照らすあたらしい恋は、あなたとの未来よりも、ずっとずっと、具体的で、現実的だった。

その恋は、いっときの気の迷いではなく、ゆっくりと、着実に、愛に変わろうとしていた。


この人との人生を、考えてみたい。


そんな気持ちが芽生えてしまった。
幸福なことに。そして、残酷なことに。


その感情は、今も日に日に大きくなっている。




だから。




今度こそ、ちゃんと、決めなきゃいけない。
これが、本当の、タイムリミットなのだ。

いまいちばん大切な人と、まっすぐ向き合うために。

いつまでもこんな気持ちを抱えているわけには、いかないから。





この3年間、わたしはあなたに、たくさんの愛をもらいました。

それなのに、わたしはちゃんと気持ちを伝えてこなかったこと、少し後悔しています。

あなたの、寂しくて、人懐っこくて、芯のある眼差しが、好きでした。

穏やかな海のように、広くてあたたかくてやさしい心に、何度も何度も、救われてきました。




ありがとう。

どれだけ伝えても足りないくらい、あなたに、感謝しています。




脂っこいものばかりじゃなくて、ちゃんと栄養のあるごはんも食べてね。

運転、まだまだ危なっかしいから、事故にならないように、安全運転でね。

仕事に一生懸命な姿は尊敬するけれど、無理はしないで、ちゃんと休んでね。健康、第一。

社会人は理不尽なことばかりで、今はまだ自信もないかもしれないけれど、いつか絶対、好きなことで生きていくっていう夢を、叶えてね。わたしも、叶えるから。

好きなことを、ずっと好きでいてね。笑顔で溢れる日々を過ごしてね。

そして、あの頃のわたしたちに負けないくらい、めいっぱい幸せになってね。





たくさんの日々をくれたあなたへ。





身勝手なわたしから、愛の言葉を。



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