何度も上書きしながら描く、わたしの理想の"10年計画"
ここしばらく、すっかり無気力な状態が続いていた。
周りにはたぶん気づかれていないくらい。その程度。
だけど自分にとっては、確かに何かが違う。身体のどこかに違和感がある。
まるで自分の中からやる気というものがすっぽり抜けて、どこかに落としてきてしまったような「足りない感覚」を、ずっと抱いていた。
転職して2年間、朝から晩まで組織の中での「評価」を得るために全力で走り続けてきたわたしは、ありがたいことに思ったよりも早く「表彰」という形で評価を手に入れた。
それ自体はとても嬉しかったし自信にもなったのだけれど、表彰された数日後、これから一体どこを目指して頑張ればいいのかわからなくなってしまった。
本当は、やりたいこと、なりたい自分があってここへ来たはずなのに、いつのまにかその目的や自分が心からやりたいこと、手にしたいものが何かをすっかり忘れてしまっていた。
わたしはこの会社で、何がしたかったんだっけ?
どんな人間になりたくて、何を手に入れたくてここへ来たんだっけ?
わからなくなって、何もやる気が起きなくなってしまった。
もちろんその間も日々の仕事には忙殺されていて、ゆっくり考える時間なんてない。しばらくは少し休んで、またやる気が出たら頑張ればいいやなんて、そんな悠長なことも言っていられない。
忙しさは変わらないけれど、とにかく心が何も感じない。ただそこに仕事があるから、淡々とこなしている。
そんな状態に、漠然と「あまり良くないなあ」とは思いつつ、日ごとに積もってゆく仕事の山を無心で切り崩していくことしかできない日々が、かれこれ2週間くらいは続いた。
休日に恋人と新しい場所に出かけても、大好きな本屋さんを訪れても、今までのように心が大きく動くことはない。だから、文章もしばらく書けずにいた。
こんなことはここ数年間でははじめての出来事で、少し戸惑った。
わたしはどうしてしまったんだろう?と、自分のことがわからなくなり、焦ってもいた。
だけどそんな煮え切らない「グレーな状態」が何よりも苦手なわたしは、とりあえず何か行動を起こそう、と思い立った。悩んだらとりあえず行動してみる。それが、幼い頃からの思考パターンだった。
自分のことがわからなくなったら立ち止まってみるといいとか、自分を見つめ直すといいというのはよく聞く話。だったらそれを、やってみようじゃないか。
とはいえ、方法は色々ある。何をするのがいちばんいいのかな……。
悩みかけたその時、ふとお正月に新幹線で恋人に提案されてつくった、「10年計画」の存在を思い出した。
「10年計画」とは、その名の通りこれからの10年間を「理想」から考えた未来の人生年表のようなものだ。
そのときは、「仕事」「家庭」「住まい」「趣味」の4つのカテゴリに分けて、今(26歳)から10年後(36歳)までの計画を立てた。
その10年計画を書いたメモを3ヶ月ぶりに開いてみると、この短期間でも忘れてしまっていた自分の好きなものやほしいもの、やりたいこと、なりたい自分が欲望のままに、ぎっしり書かれていた。
▼イメージ
この表の下に、各年齢になった時点で身につけていたいスキルや達成したいこと、理想の暮らしなどをカテゴリ別に書いている。(載せるのは少し恥ずかしいので、今回は割愛します。。)
これを見返したことで、自分の好きなものややりたいことを思い出すことができた一方で、今の自分には正直ぴんとこないものもあった。
たとえば、「20代のうちに、マーケターとして社外でも活躍できる人材になる」というのがそれにあたる。
これを書いた当時の自分は、「社内で求められる成長」や「組織における理想の人物像」ばかり意識していたのだろう。今改めて考えてみると、本当に自分が人生をかけてマーケターになりたいと思っていたかというと、そうではないような気がした。
とにかく組織で承認されることに必死で、自分がこの会社にとって「必要な存在である」「何らかの活躍や貢献をしている」ということを実感したくて、組織から見た自分に囚われていたから、自分の視点がなくなっていたのだろうなあと思う。
けれど「社内で表彰される」という他者評価を得た今、組織が求める自分をさらに突き詰めていきたい、という気持ちは前よりも薄れていた。
(もちろん、まだまだ自分にできることはたくさんあるし、引き続き会社に貢献していきたいとは思っているのだけれど。)
ただ、自分の気持ちの変化に気づいたことで、長い間とらわれていた「しがらみ」から解き放たれて身軽になり、心を覆っていたフィルターが溶けてなくなったような気がしている。
そんな今、改めて「どんな自分になりたいのか」「そのために、どんな力を身につけたいのか」を考えたとき、「どこでも活躍できるマーケターになる」という目標は、他人の言葉のようで、なんだか少し違和感があったのだ。
そんな違和感を覚えた10年計画を、わたしはまず「現実に即した形」かつ「今の自分が心から望む理想の10年間」という観点を意識して、書き直してみることにした。
いま本当に自分が心動かされること、満たされることだけ書くようにして、自分が心から求めていたわけではないなと感じる内容は、きれいさっぱり消してみた。
わたしが自分の人生をどんな風に生きたいのか、この10年計画をつくり直してみたことで、少しずつ「本当に大切にしたいこと」の輪郭がはっきりしてきた。
そういえば、この作業をしていて思い出したことがある。
学生時代に就職活動をしていたときも、
「海外で働きたい」
「英語を使って仕事がしたい」
と思い、外資系の企業や海外転勤のある企業を最後まで選択肢に入れていた。
だけど最後の最後に絞った2つの内定先のうち一方を選ぶとき、わたしは自分の「とらわれ」に気づいた。
わたしは英語を使って仕事をしたり、海外の人と商談や議論がしたいわけじゃないのかもしれない。
たしかに海外にはこれからも定期的に行きたいし、自分の知らない文化や歴史を知ったり、自分とは違う価値観を持つ人と話すのは好きだ。
だけどそれだったら、別に仕事じゃなくても海外旅行や移住で叶えられるんじゃないか?仕事以外でも、実現する道はあるんじゃないだろうか?
それに気づいたとき、わたしは漠然と「せっかく学生時代は海外に住んでいたのだから、その経験を生かさなきゃ」とか「これからはグローバル社会で戦っていかないといけないから、世界で活躍できるようなスキルを身につけないといけない」と思っていた自分に気づいたのだ。
それはあくまでも「他人の考え」で、自分の心から望む選択ではなかった。(実際、じゃあ具体的にどういう姿になりたいのか?と聞かれたら、大した説明もできなかったと思う。)
そんな思い込みに気づいて、自分が本当に選びたい道を見失わずに済んだことを思い出して、なんだか今と状況が似ているなあと思った。
わたしは「いま、この瞬間」に集中してしまい、先のことを逆算して考えるのが苦手なタイプだから、つい目の前のことに没頭して、当初予定していた行き先を見失ってしまうことがある。
だけどこうして立ち止まって、未来のことを空想することで、しがらみを捨てて自分が心からやりたいこと、ほしいもの、なりたい自分を思い出すことはできる。
思い出して、少しずつ「いまの自分」の心が向いている方に理想の計画を書き直してみる。
すると、ぼんやりしていた夢がくっきりと輪郭を持って現れたり、実は自分の人生にとってさほど重要ではなかったものが浮かび上がってきたりする。
少しずつでいい。時間をかけて、その作業をこれからも繰り返していきたいなあと思う。
ただ、「理想の計画」通りの人生を生きる必要はない。それにとらわれてしまったら、本末転倒だ。
だからわたしは、理想の人生計画を何度も上書きしながら、いつまでも自由でしなやかに、自分の人生を描き続けていきたい。
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