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私はきっと「そのままでいいんだよ」って言葉がほしかったんだ
「岡崎さんは、生きてるだけで尊いんだよ。」
それは、あまりにも唐突なできごとだった。わたしは上を向いたまま、一瞬フリーズしてしまう。
あと2,3日後には満月になりそうな、おおきな月がぽっかり浮かぶ、夏のはじめの夜だった。
その輝きに夢中になっていたわたしは、ふと我に返って声がする方を向く。
言葉の主は、まっすぐな瞳でこちらを見つめて、真剣な表情をしていた。
その人は、さっきまで眺めていた月よりもはっきりと、光を放ってこちらを見ていた。その瞳があまりにも透き通っていることに、わたしはなんだか感動してしまう。
あれ、もしかして今、すごいこと言われた…?
そのことにようやく気づいたとき、月は木の葉に隠れて姿を消していた。それなのに、わたしたちの周りだけなぜかぼんやりと明かりが灯っているように見えたのが、やけに印象に残った。
***
こうやって、いざ文字にしてみると恥ずかしくなってしまうような、ストレートな言葉。そんな直球を投げてきたのは、まだ知り合って間もない友人だった。
それまでは事務連絡程度の会話しかしたことがなくて、なんとなく「自分とは全く別の世界で生きている人なんだろうな」と思っていた。
そんな人に突然「生きてるだけで尊い」なんて言われても、「わたしの何がわかるの?」と反発心が芽生えるか、「この人わたしを騙そうとしてるのかな…」と警戒するか、どちらかになるはずだった。
だけどこのときなぜか、その人の言葉はすんなりと心に入ってきた。それだけじゃなくて、わたしは深く安堵していた。
夢の中にいるような、やわらかい毛布にくるまれているときのような、あたたかくて、ほんの少しくすぐったい、不思議な心地。
それは、25年間生きてきて、はじめて抱いた感覚だった。
わたしが彼の言葉を素直に受け入れることができたことと、彼がわたしの文章をずっと読んでくれていたことは、少なからず関係性があったように思う。
表面上の努力やつくりものの笑顔、普段は必死に背伸びして維持している、きらきらした自分。
そんな表向きの自分に対してじゃなくて、等身大の、むしろそれ以上に泥臭くてかっこ悪い、弱さ全開のわたしに対して、「そんな姿が好きなんだ」と彼は言った。
最初は何かの冗談かな、と思って、笑って受け流していた。よくあるお世辞とか、社交辞令かな、と思って、あまり重く受け止めずにありがとう、と応えていた。
だけど、どんなにわたしが笑っても受け流しても、彼はまっすぐな瞳で「特別なんだよ」と繰り返した。
これはもしかすると、冗談でも嘘でも、社交辞令でもないのかもしれない……。
そのことに気づいた途端、急にどんな顔をしたらいいのか、何て返事をしたらいいのかわからなくなって、すっかり動揺してしまった。
もうそこにはない月を探すふりをして、わたしの視線は、いつまでもぎこちなく宙をさまよっていた。
ひとりの帰り道、自分の中にはじめて生まれたこの感情に恐る恐る触れてみたら、そこには戸惑いがちに佇む「幸せ」の2文字があった。
そうか、わたしは今、幸せなんだな……。
しみじみとその感覚を噛み締めていると、今度は喉のあたりがじんわりと熱くなって、深呼吸すると空気が小さく震えた。
今までの人生で、こんな風に誰かに真正面から「あなたは生きているだけで尊い」なんて言われたこと、あっただろうか。
「考え方がユニークで面白いね」とか、「いつも新しいことに挑戦している姿が素敵」とか、そういう行動面での「良いところ」について褒められたり、共感してもらえたりすることは、何度もあった。
もちろんそういう言葉は、今だって誰かに言われるたび、素直に嬉しいな、と思う。
だけど、自分の存在そのものを肯定するような言葉をかけられたことは、今の今まで、一度もなかった。
だから、言われてはじめて、「ああ、存在自体を誰かに肯定されることって、こんなにも嬉しいものなのか……」ということを、知ったのだった。
この言葉をはじめて投げかけられたとき、「あ、わたしって、このままでいいんだ」という事実が、すとんと心の底に落ちてきた。
落ちてきてから、もしかしてわたしは、この言葉をいつか誰かに言われる日を、ずっと待っていたのかもしれないな、と思った。
それくらい自然に、25年生きている間、ぽっかりと空いていた心の隙間に、ぴたりと何かがはまった感覚があった。
言葉が心の中に優しく落ちてきて、身体中にゆっくり広がって、その意味がようやく咀嚼できて、実感として、心の真ん中に静かに着地したとき。
わたしは思わず、涙を流していた。
あなたは、そのままでいい。
人間はみんな、生きているだけで尊い。
そんな言葉、世の中を見渡したら、わりと簡単に拾うことができる。
何気なく開いた、本の一節。
誰かのTwitterのつぶやき。
探そうと思えばいくらでも、見つけることができる。
だけど、面と向かって誰かにそう言われることって、滅多にないことなんじゃないかなと思う。
少なくともわたしの今までの人生に、そんな瞬間は一度もなかった。
だから、心が大きく揺さぶられたのだ。
「ああ、わたしって、生きててよかったんだなあ」
と、はじめて実感したのだ。
25年間生きてみて、生き方とか人間関係とか、大体のことはなんとなくわかってきた、つもりだった。
だけどこのとき、「わたしはまだ、人生について何もわかっていなかったんだな」と気づいた。
わかったつもりになっていたけど、人生は、もっともっとあたたかくて、煌めいていて、やさしいものなのかもしれない。
わたしが知っている世界なんて、何百、何千とある世界の顔の、ほんの一面なのかもしれない。
絶望も孤独も吸い尽くして、すっかり人生について知った気になっていたけれど、それだけじゃ、なかったんだ。
そんな風に思わせてくれる瞬間が、25年目にして、はじめて訪れた。
これからはもう少し、希望を持って生きてみようかな。そんなことも、はじめて思った。
傷つくことにも、裏切られることにも、もう散々慣れ切ってしまったけれど。
それすらも必要だったんだなと思えるくらい、あたたかな気持ちになる瞬間が、ほんの一瞬でもあるのなら。
わたしはこれからの人生に、もう少しだけ期待をして、生きてみてもいいのかもしれない。
頭上で光り輝く満月はやっぱり美しくて、ついつい見惚れてしまう。
だけど、あの夜わたしをまっすぐに見つめていた瞳の輝きには、どんなに完璧に見える月も、勝てないかもしれないなあと思う。
そんな光が心の中にあるだけで、今まで暗いだけだと思っていた夜道が、こんなにも明るく見える。
今はそのことが、何よりも心強い。
そのままでいいんだよ、そのままでいてほしいんだよ。
その一言は、この先もずっと、わたしの心を灯し続けるのだろう。
今、生きていることが、嬉しい。
結局わたしは誰かに愛されたかったんだなあ、と照れ臭くなってしまうのだけど、そんな素直な自分も、悪くはないのかもしれないな、と思うのだった。
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