闇夜の梅とあの記憶
春の夜の 闇はあやなし 梅の花
色こそ見えね 香やは隠るる
夜道を歩いていると、いつもこの詩が
頭をふとよぎる。
古今和歌集に収録されている、
わたしの一番好きな詩。
この詩に初めて出会ったのは高校生のときで、
国語の先生にこの詩の現代語訳を聞いたとき、
一瞬で、恋に落ちた。
姿形は見えないけれど、強烈に甘く、
艶やかな香りを放つ、梅の濃いピンク色を
闇夜に思い浮かべ、うっとりした。
と同時に、会えなくても、香りだけで何度も
脳裏をフラッシュバックする
あの人のことも、ふと思い出してしまった。
「匂いの記憶」は、たぶん、わたしたちが
想像している以上に、とてもしぶとい。
ふわっと香りが鼻先をつくと、それだけで、
その香りと結びつく記憶が、
一瞬にして、洪水のように押し寄せる。
こちらが予期しないタイミングで、容赦なく、
その記憶は呼び起こされる。
どんなに長い時間思い出すことがなくても、
すっかり忘れていたとしても、それは必ず、
その時と同じ鮮やかさで、わたしたちの脳に、
はっきりと蘇ってくる。
匂いは記憶を呼び起こして、そのときの気持ちに
タイムスリップすることができる道具だ。
けれど、それは決してこちら側からは
コントロールすることができない。
思い出したくても、匂いを思い出す、
ということはなかなか難しい。
思い出したいときには思い出せないのに、
こちらが気を緩めていると、忘れた頃に、
突然やってきたりする。
身勝手だなあと思いつつ、その不意打ちも、
わたしはなんだか嫌いになれない。
あの頃の記憶を思い出したい。思い出せない。
それなのに、
忘れたくても、忘れられない。
そんなもどかしさや儚さは、
「好き」を伝えることのできなかった、
あの人への想いと、どこか、似ている気がした。
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